2022年10月14日金曜日

空は広い

青空が広がっていました。
今朝のニュースで気象予報士の近藤さんが「広い範囲で晴れ」と話されていたのですが
外からの中継では、傘をさして寒そうでした。
日本の国土は狭いのに、空は広いなあと思いました。
今日で五島からお別れした朝ドラ「舞いあがれ!」

高畑淳子さんインタビュー」より

例えば、
「変わりもんば、変わりもんとして堂々と生きたらよか。周りに合わせんでよか。自分ば知っとる人間が一番強かけん」
という台詞があるのですが、これも五島の言葉で言うからいいんでしょうかね。
標準語で「自分を知ってる人間が一番強いからね」とか言われても、
カッチーン!となるかもしれませんよね。


脚本家のお一人の桑原亮子さんが、中途失聴による重度の聴覚障害がおありだと知り、
だから言葉を紡ぐというなりわいに、ご自身のいろいろなことを詰めておられるのだなと思いました。


そして毎回、素敵な五島の風景を堪能させてくれていた陰にはこんな苦労が
「舞いあがれ!」撮影チーフの"ここに注目!"
番組は、出演者だけで決まるのではなく
脚本家をはじめスタッフの力が合わさって視聴者に感動を与えると思う。
その意味で前回の朝ドラは、出演者が気の毒だなと思います。
 「政府 再来年秋 健康保険証を廃止 マイナカード一体化発表」(NHK 10月13日)
マイナカードーは任意だったはず。
なぜ普及率が低いのか

山崎雅弘さんのTwitterに

この5年、あるいは3年だけで、日本で一体どれほどの「情報漏洩」と「システム不具合」と「政府機関の不手際」が発生したか。
一つ起きると前のことを忘れる、のでなく、繋げて記憶しないといけない。
今の日本政府にマイナンバーカードを問題なく運用する能力は、もはやない。

(続き)「総務省は『こうした事態になり申し訳ない』としていて、今後、対象者に謝罪してポイントの取り消しなどを行うということです」
このぬるい態度が示す通り、今の日本政府は個人情報の管理ミスを「重大なこと」と思っていない。
自分の責任で守る覚悟など、関係省庁の誰も持ってないだろう。
 こうまでして国がマイナンバーカードの登録を強制してくるのは、
何らかの国民管理を推し進めようとしていると思える。
国民管理の最たるものは国籍ですね。
先日、「天声人語(2020.10.03)」にアンネ・フランクは無国籍だったと
陳天璽(チン・テンジ)さんの本に書かれていることが紹介されていました。
第9章 海外の無国籍
 いまだかなわぬアンネ・フランクの夢


『アンネの日記』で世界的に有名なアンネ・フランク。
しかし、彼女が実は無国籍者であったことはあまり知られていない。
あの日記を書いていた頃も、そして1945年にこの世を去るときも、アンネは無国籍だった。
十代の幼い彼女がつづった日記が、第二次大戦中に迫害を受け、そして殺されていった人々を記した歴史的証拠物となった。
また、彼女はナチスの占領下という逆境においても、つねに希望を失わず前向きに生きてきた。
そんな彼女の生き様は、今なお、世界の多くの人々に希望と勇気、そして生きる力を与えてくれている。
(『無国籍』 陳天璽 新潮社 2005年)
 彼女の死後六十年が経過した今日、彼女が無国籍であったという事実を浮かび上がらせた事件があった。
2004年10月、オランダの新聞やメディア、そして議会において、彼女にオランダ国籍を与えるか否か、激しい論争が行われたのだ。
 オランダのKROテレビが、「最も偉大なオランダ人」というテーマの番組を作るため、新聞などを通し、視聴者に意見を募った。
その結果、画家レンブラントなどともに、アンネ・フランクを挙げた人が多数おり、アンネはなんと上位十人に入ったのだった。
のちに『アンネの日記』として出版された、彼女が毎日の思いをつづった日記は、オランダ・アムステルダムにある隠れ家で書かれたものだ。
今では、その家は、ホロコーストの記憶を残し、人類の平等と平和をひとびとの心に刻もうと、アンネの家族と生活遺品を公開し、「アンネ・フランク博物館」となっている。
オランダを訪れる観光客が、必ずといっていいほど立ち寄る有名なスポットである。
アンネは明らかにオランダの誇りとなっている。
 アンネは1929年ドイツに生まれ、4歳のときに家族とともにオランダに移り住んだ。
1930年代半ば、ドイツに暮らしていた他のユダヤ系の人々と同じように、フランク家はナチスによる迫害から逃れるためドイツからオランダに渡った。
1941年、ナチスが定めた法律により、ドイツ国外にいるユダヤ系はドイツ国籍を剝奪されることになり、アンネは無国籍になった。
 無国籍ではあったが、アンネとオランダの絆は確かに深い。
彼女も日記のなかで「オランダ人になりたい」と書き残している。
また、オランダに住むKROテレビの視聴者たちが、尊敬する自国の偉人としてアンネ・フランクをあげるのは、自然なことであった。
 アンネがオランダ国籍を持っていないことを知り、KROテレビの番組企画者をはじめ、多くのオランダ国民は、オランダ法務省に「アンネ・フランクにオランダ国籍を与えてください」と請願をだした。
議会でも、アンネに国籍を与えるべく、法改正しようという動きがあり、政治的な問題にまで発展した。
 法務省も、どうにか彼女に国籍を与えようと、法律の「抜け穴」を見つけることを試みた。
しかし、結局、「国籍法上、死者の帰化は認められない」とのことで、アンネはオランダ人になれず、無国籍のままとなった。
 テレビ局が、彼女を取り上げ、国家の壁を乗り越えるような番組制作に力を注いだ試みは興味深い。
また、アンネに国籍を与えようというアイディアの原動力となった市民の意見、そして議員のサポートも頼もしい。
しかし、残念なことに、政府はみんなの意見を反映し、法律を変えることはできなかった。
 ここにも見られるように、ひとびとの国籍そして法的立場を決めるのは、いつも国家政府である。
言葉を換えるならば、個人の人格形成の重要な基盤となる法的立場や所属は、しばしば国にコントロール(操作)されている。
しかし、一人の人を国籍など国家という枠組みでくくること自体、どれだけ信頼できるものなのだろう?
しかも、なぜオランダの人々は、いまになって彼女を自国民として受け入れようと思ったのだろう?
なぜ六十年前、彼女がまだ生き、そして「オランダ人になりたい」と思っていた頃には、そうしなかったのだろう?
 結局、アンネに国籍を与え、自国民にしようというオランダの人々の努力は報われなかった。
 このことについて、ドナー法務大臣は、10月7日付のオランダ「Trouw」紙のインタビューに対しこう語った。
「アンネ・フランク一人のために法律を変えることはできない。彼女だけが特別扱いし、死後の帰化を認めてしまっては、その他のユダヤ人収容キャンプにおいて命を落とした何万という人々を差別することになってしまう。アンネ・フランクは、われわれオランダのものでなく、世界のものなのだ」
 無国籍者アンネ・フランクは、一国のものでなく、世界のもの。
 無国籍として生きたアンネは、死後60年経ったいまでも、国籍とはどんな意味を持つのか、私たちに問いかけている。
無国籍者の目を通して世界を見ることによって、私たちは平和な世界を築く重要なヒントを見つけることができるかもしれない。
『アンネの日記』が、その代表であるように。
(『無国籍』 陳天璽 新潮社 2005年)
今朝の父の一枚です(^^)v
晴れた日にモズを写したいと言っていました。

鵙啼(もずな)くや一番高い木のさきに
(『子規句集』高浜虚子選 岩波文庫 1993年)

朝ドラの前作を大阪の局が制作したら沖縄と大阪なら大正区で、
神戸だとしたら長田区が舞台になっていたかな?
大正区は、「リトル沖縄」とも言われるほどです。
新長田では、10月16日に「琉球祭」(NPO法人KOBE鉄人PROJECT)が開催されるそうです。
実は、徳之島から本土に移って来て、最初に住んだのは新長田でした。
当時、沖縄に限らず奄美から仕事をもとめてきた人たちは、
本土の人たちから差別を受けていました。
父も本土の人が嫌がるきつい仕事を割り当てられていたそうです。
そんな待遇にも歯を食いしばって父は、私たちのために働いていました。
不況になり最初に首を切られるのは、父のような人たちです。
仕事を探すために、母と私、妹の三人は、母の故郷沖縄に帰りました。
その時に、神戸の港から船で沖縄に向かいしました。
まだ4、5歳くらいでしたが、父との別れを今でも覚えています。
船の別れは、辛いですよ。
今朝の朝ドラにその時の光景が重なりました。
船は、ゆっくり港を離れていくので、長い間、父の姿が見えていました。
しばらくして父の仕事が見つかり大阪にやってきました。