2022年10月28日金曜日

雲一つない青空

昨日は、薄曇りでしたが、今朝は青空が広がっていました。
これからは陽ざしがうれしいです(^^)v
それにしても朝夕と昼間の寒暖差が大きいですね…

急な“冷えこみ”で体が不調……」(8カンテレ 10月20日)
  宮沢賢治と風刺精神 燃やし尽くした精神 梅原猛

 賢治は一面、仏の世界、慈悲の世界を深く見ている。
 しかし他の一面で、殺害の世界、修羅の世界を凝視する。
 そして世界ばかりか、彼自身の心の中に二つの世界をもつ賢治自身が、己れの心の中に修羅の世界に怒りをもちつつ、その世界を同時に己の心に実在する仏の世界から凝視するとき、彼の風刺的な童話が生まれるのである。

(『現代詩読本―12 宮沢賢治』 思潮社 1979年)
 宮沢賢治と風刺精神という表題は、いささか意外の感を与えるかもしれない。
宮沢賢治と風刺精神がどんな関係があるのか、賢治は詩人で童話作家ではないか、詩と童話はもっとも風刺精神から遠いものではないか、多くの人はそう思っている。
しかし私は宮沢賢治こそ、近代日本の文学者の中でもっとも鋭い風刺精神の持ち主であり、彼の鋭い風刺は彼の深い悩みとともに現在のわれわれに大きな問題をなげかけるのではないかと思う。
前置きはやめて、実際の賢治の作品を見てみよう。
 賢治が生前出版した一冊の童話集の表題が「注文の多い料理店」である。
この本は「注文の多い料理店」という童話のほか八編の童話を賢治みずから集めて本にしたものであるが、生前刊行されたただ一冊の童話集の表題に「注文の多い料理店」という題名をつけたのは、賢治のこの童話に対するなみなみならぬ愛情を示すものであろう。
この童話はどういう内容なのだろうか。
「すっかりイギリスの兵隊のかたち」をした「ぴかぴかする鉄砲をかついだ」二人の若い紳士が白熊のような犬を二匹つれて山奥へ猟に行く。
ところがどうしたわけか鳥も獣も一匹もいない。
それに、あんまり山が物すごいので、その白熊のような犬が二匹一しょにめまいを起して死んでしまう。
「じつにぼくは二千四百円の損害だ。」と一人の紳士がその犬のまぶたをちょっと返してみて云う。
「ぼくは二千八百円の損害だ。」ともう一人が云う。
人一人いない山奥で寒さは寒し、腹は空き、困っているとふとそこに立派な一軒の西洋造りの家があり、その玄関に(図をみよ)と云う札が出ている。
おや、こんな所に料理店があると、二人は喜ぶが、玄関にはガラスの開き戸があり「どなたもどうかおはいりください。決してご遠慮はありません。」と書いてあり、その裏側には「ことに太ったおかたや若いおかたは、大歓迎いたします。」と書いてある。
「ぼくらは両方兼ねているから、大歓迎にあたっているのだ。」と二人は大喜びでずんずん廊下を進んで行くと、また扉があり、「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。」とか、「注文はずいぶん多いでしょうがどうかいちいちこらえてください。」と書いてある。
注文の多い料理店とはへんな料理店だと思って、どんどん入って行くと、つぎつぎと奇妙な注文が書かれている。
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」「どうか帽子と外套と靴をおとりください。」「ネクタィピン、カフスボタン、めがね、さいふ、その他金物類、ことにとがったものは、みんなここに置いてください。」
二人は、よほどえらい人が来ているにちがいないなどと云って注文に従っていく。
こうして行くとまた扉があって、その前にガラスの壺が一つあり、次のように書かれている。
「壺の中のクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか。」と書いてある。
二人は外が非常に寒いのだろうとか、あぶなく耳にひびをきらすところだったとか云ってクリームを塗る。
するとまた扉があり、そこに「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」と書いてある。
二人はその香水を頭に振りかけると、どうも酢のような匂がする。
そしてその扉の裏側に、「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」と書いてある。
 ここに来てはじめて二人は気がつくのである。
沢山の注文と云うのは、こちらの注文ではなく、向うがこちらに注文していることを、西洋料理店と云うのは実は来た人に西洋料理を食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして食べる料理店であることを。
びっくりぎょうてん、ぶるぶる、がたがたふるえて、ものも云えず逃げ出そうとするが、後の扉は一分も動かない。
奥の方にはまだ一枚扉があって、大きな鍵穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあおなかにおはいりください。」と書いてある。
おまけに鍵穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちをのぞいていて、山猫が二匹、「お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらっしゃい。」とか、「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起こしてフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」と話し合っている。
二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、お互いにその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きに泣いた。
そこへ突然あの白熊のような犬が二匹とび込んで来て、山猫をおっぱらい、二人の命が助かるが「しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになりませんでした」と云うところで話しは終る。
 宮沢賢治は民話風の童話作家であり、その童話は危険のない愛情にみちていると思っている人に、この童話の意味について深く考えてほしいと思うである。

…つづく…
(『現代詩読本―12 宮沢賢治』 思潮社 1979年)
今朝の父の一枚です(^^)v

百舌(もず)

○モズの奇習の一つに、昆虫・小鳥・小哺乳類・カエルやトカゲといった類の獲物をカラタチの刺や小枝の折れ先などに突きさしておく、いわゆるモズの速贄(はやにえ)と呼ばれるものがある。
福島県会津地方では、モズの速贄を見つけると幸運がある、という。
新潟県北蒲原郡では、速贄はモズが鳳凰に捧げるためのもので、これを持てば縁起が良く、無尽などの籤にもあたるからと、クワ畑の中を速贄を探して歩いたほどだという。
秋田県仙北郡・南秋田郡・平鹿郡では、速贄をモズの串刺、モズの贄、カヤヘビなどと呼ぶが、これに手を触れるとカヤヘビ(瘭疽<ひょうそ>)になる、といって手を触れることを忌むが、仙北郡の一部では、カナヘビの速贄は幸福を招くものとして宝物にされている、という。
群馬県利根郡でも、モズがクワの木にさしたカエルを取ると子供が育たない、と、秋田と同様にこれに手を触れることを忌む。
また和歌山県御坊市付近では、モズがカエルの首を木にさすと首部の病気が、腹をさせば腹部の病がはやるという。
宮崎県西諸県郡では、モズがカエルをさすと喉の病が流行するという。 
(『日本俗信辞典 動物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 2021年)
先週から心臓リハビリを再開しました。
新型コロナの感染拡大で第8波が起きませんように !
理学療法士のNさんと話していたのは
私の子どものころは1ドル360円位だった。
Nさんのお父さんも私とほぼ同じ世代なので当時の円相場を聞いていたそうです。

為替レート(360円からの円高の歩み)」(野村証券)

円安すぎて 学べない…研究者は食費を切り詰め 図書館もピンチ」(NHK 10月21日)

日銀 黒田総裁が会見「大規模な金融緩和の維持」決定〟(NHK)