2022年8月25日木曜日

涼しいかなと思ったけど…

駐車場を出ようとしてサイドミラーを見るとイボバッタがしがみついていました。
そのまま車を走らせ、公園に着く頃には飛んでゆくだろうなと思っていたら
公園の駐車場まで乗っていました(*^^*)

今朝は、少し涼しいかなと思ったけど…
ほとんど風が吹かなくて蒸し暑かった(^^;
 イチジクの実から白い乳液が出ていました。
イチジクは薬用植物として利用されてきました。

効能「緩下、咽喉痛、イボ取り、水虫、痔」(東邦大学 薬用植物園)

無花果(いちじゆく)や物干す寺のかくし妻
(『荷風俳句集』加藤郁乎編 岩波文庫 2013年)

無花果をむくや病者の相対し
(『西東三鬼全句集』角川ソフィア文庫 平成29年)
政府 原発7基 再稼働目指す方針確認 次世代の原子炉開発検討へ」(NHK)
ロシアからのミサイル攻撃への対策は考えていないでしょう…
北朝鮮以上に何をしでかすか分からない国になってしまった。

砲撃相次ぐザポリージャ原発 国連安保理で双方が互いを非難」(NHK 8月24日)

ロシア軍占拠のザポリッジャ原発、「安全確保」が必要 米英仏独首脳が電話協議〟(BBC.com 8月22日)
以前(8月10日)、ちょっとだけ紹介した北森鴻さんのミステリー

  狐狸夢

 裏京都を語るうえではずせぬ聖地があることをご存じだろうか。
 裏寺町(うらてらまち)
 若者でにぎわう寺町通(てらまちどお)り、河原町通(かわらまちどお)りを光さす場所とするならば、裏寺町および裏寺町通りはその狭間にあってひっそりとたたずむ、影の場所である。
影の場所には青春という言葉がよく似合う。
匂い立つ気負いと若干の気恥ずかしさ。
そうしたものがあふれかえる裏店(うらだな)をご紹介しよう。
(『ぶぶ漬け伝説の謎 裏(マイナー)京都ミステリー』北森鴻 光文社 2006年)
 裏寺町通り、その人ひとりがようやく通り抜けられるか否かの細道を歩くと、昼間から縄暖簾(なわのれん)を掲(かか)げる店があることに、あなたは気がつくだろう。
間口は一間(けん)、人の手の脂と得体の知れない焼き物の煙によって黒光りする暖簾に手を掛けることには、多少ならざるためらいを覚えるかもしれない。
勇気と胆力をふりしぼり、店内へと歩みを進めればとたんに無遠慮な視線が――しかも複数!――浴びせられることだろう。
まだ午後も早い時間だというのに、店内のカウンターはすでに常連たちよって占められている。
視線は、思わぬ闖入者(ちんにゅうしゃ)に向けられた彼らの好奇の眼差しである。
しかも全員酔眼。
明らかに、人生の定期航路からおさらばした人々の集団としかいいようがない。
が、ここで断じてひるんではならない。
店主に「上、空いている?」と一声かけ、返事を待つことなくさっさと急階段を上ってゆこう。
 この店の二階には、十畳ほどの座敷がある。
その空間を目(ま)の当たりにした瞬間の、あなたの驚愕がわたしにはよくわかる。
壁一面に書き殴られた文字の群れ。
羅列ではない、それはまさしく≪群れ≫としかいいようのない、異様な風景である。
文字の上に文字が重ねられ、書き殴られて、すでにそれは文字としての機能を失っている。
(し)いていうならば特殊アート。
文字と文字と文字を組み合わせたモザイク模様。
 ゲバ文字という言葉をご存じだろうか。
かつて日本中が学生運動の熱にうなされていた時代、大学キャンパスのあらゆるところで見ることのできた横断幕と幟(のぼり)に躍っていた独特の書体のことである。
店の二階座敷の壁に埋め尽くしているのは、このゲバ文字である。
 流行の3D絵画に向かうように目を凝らすと、積み重なった文字の中に「打倒!帝国主義」と見ることできる。
「自己を総括せよ」「反帝 反米貫徹!」とも書かれているようだ。
六〇年代から七〇年代初頭にかけての、学生たちの熱気がそこにはめ込められている。
気分を考古学者のモードに替えて、さらによく見て欲しい。
積み重なった文字の断層から、時代の遺物を発掘して欲しい。
熱気に浮かされた学生たちの青春の遺物たちを。
 そうしてどうかわたしの青春の声に耳を傾けて欲しい。
 かつてこの店で一人のガールフレンドが漏らした言葉が、今も耳の奥に残っている。
『未熟であること、孤独であることがわたしの二十歳の原点である』
 それを聞きながら静かに口に含んだぬる燗のコップ酒と、棒鱈(ぼうだら)の煮物があの日のままに、わたしの目の前に今もある。
  二〇〇三年十一月十五日。霧傘人(むさんじん)こと水森堅(みずもりけん)記す。
   (一)

 なあ次郎(じろう)ちゃん、なかなかの名文やろ。
いやあ裏京都案内人も板についてきたな、と我ながら感心するわ。
特に最後のくだりが泣かせる、思わへん。
 なにが嬉しいのか、機械人形みたくぼくの周りをぴょんぴょん飛び跳ねる貧相な男に向かって、手にした竹箒(たけぼうき)を毛ほどのためらいもなく真っ向両断に振り下ろした。
「なっ、なにするん」
「なーにが裏京都案内人や、霧傘人や。あんましふざけたこと、書いたらあかんで」
「ふざけたことなんて、書いてへんやん」
「未熟であること、孤独であることがって、これ高野(たかの)の悦子(えつこ)はんやんか」
 とたんに男は頬を膨らませ、ぷいと横を向いてしまった。
 高野悦子。
今はもう知る人も少ないが、学生運動華やかなりし頃、立命館大学の学生ながら弱冠二十歳で自殺した伝説の女性である。
彼女が残した日記は後年『二十歳の原点』というタイトルで出版され、多くの若者の魂を震わせた。
その中に書かれているのが、先の言葉である。
彼女が通い詰めたジャズ喫茶≪シアンクレール≫は、「聖地」と呼ばれることもあったが、今はもう店自体、存在していない。
「高野悦子が自殺したんは1969年やんか。なんでお前が知ってんねん」
…後略…
(『ぶぶ漬け伝説の謎 裏(マイナー)京都ミステリー』北森鴻 光文社 2006年)

これからどんな事件が起きるかは、本を読んでください。
書き出しを読んで、すぐに思い出した居酒屋があります。
そこは、棒鱈の煮物というメニューはなかったし、
午後5時過ぎに店を開けていたけど…
後日、紹介したいと思います(^_-)
今朝の父の一枚です(^^)/
キリの蒴果(さくか)を写していました。

[キリ]
  娘が嫁に行くころには本当に簞笥(たんす)がつくれるくらいに成長する。

 日本国内で育つ木の中で、もっとも軽い木が桐(きり)である。
輸入材まで入れるとバルサがあるが、桐はバルサより多少重いが、比重が0.2~0.35ぐらいだ。
(なら)や欅(けやき)の三分の一近くであり、針葉樹の中でもっとも軽い椹(さわら)よりさらに軽い。
水に浮かべても7割以上が水中からとびだす。
そんなに軽いにもかかわらず、適度の強度があり、割れや狂いが少ない。
 木は一般に水分を吸うと膨張する。
特に軽い材ほど水分を吸ってふくらむ傾向が強い。
例えば、重い黒檀(こくたん)は水を吸ってもあまりふくらまないし、逆に杉などは水を吸ってかなりふくらむ。
しかし、それは一般にであって、中にはまったく別の傾向を示すものがある。
桐はその点不思議な材で、水は吸うのだが、材が膨張したり狂ったりということがほとんどない。
重いわりに変化の多い橅(ぶな)の半分ぐらいしか変化しない。
 もう一つ、桐が他の材にない特長をあげれば「熱を伝えにくい材」だということだ。
桐は軽くて材の空洞が多いので、熱伝導率が非常に小さく、断熱効果がきわめて高い。
桐の箱に入れると中のものの温度がほぼ一定に保たれるばかりか、例えば桐そのものに火がついても「少し厚い材ならば表面だけが変化して内部は燃えない」という珍しい現象が起きてしまう。
防火力がある材なのだ。
…後略…
(『森の博物館』稲本正 小学館 1995年)