2022年8月15日月曜日

8月15日

朝の空気がムワ~ッとしていて
立っているだけでも汗が噴き出てきました。
風が吹くのだけど、なんか気分が悪くなるような生暖かさ

大阪府に熱中症警戒アラート」(関西NHK)
8月15日の思い出は、2011年7月31日の緊急手術のあと入っていたICUから一般病棟に移動しました。
この時、嬉しかったのがトイレに一人で行けたこと。
辛かったのは、腎不全を併発したので水分制限が続いていた(1日800ccだったかな?)。
8月15日に「終戦」で戦争が終わったことになっていますが
8月9日のソ連参戦から多くの日本人が地獄絵を見ています。
大陸や南方からの引き揚げの苦しみを
戦争証言アーカイブス「祖国への引き揚げ」のなかでいろんな方が証言されています。
たとえば
作家 瀬戸内寂聴・戦争体験
敗戦を「終戦」という言葉に言いかえる日本。
田辺聖子さんの『わたしの大阪八景』より

われら御盾
 <わたしの大阪八景> その四 鶴橋の闇市


 大東亜戦争が始まって四年目の正月があけてすぐに、トキコたちは学徒動員で伊丹(いたみ)にちかい航空機製作所の工場へ行かされた。
寮住まいで週に一ぺんしか、家はかえれない。
昭和二十年である。
トキコは女子専門学校の二年生である。
(『私の大阪八景』田辺聖子 角川文庫 昭和49年 平成29年改版)
 十九年の七月にサイパン島が玉砕(これは全滅という意味らしいのだが、トキコはその字づらからして、昔縁日に売っていたお米をふくらませる菓子の、パーン! といういさましい音を想像してしかたがない)になり、今年に入っても硫黄島もパーン! になってからは、南洋諸島の飛行場を根拠地にしてアメリのB29やP51が連日のように、内地を空襲する。
トキコの動員された工場でも、空襲に備えてあわてて旋盤を疎開した。
それで旋盤より人間のほうが多くなって、一台の旋盤に三交代ぐらいなった。
人間はいくらでもお代わりがあるが、旋盤が壊されたらおしまいである。
だから手持ちの時間が多くなったのでトキコは残念である。
もっと働きたい。
 この工場へ動員されるときまったとき、トキコは嬉しくてたまらなかった。
もちろん、上級学校へ入ったのは勉強したくて入ったのだから、学業をつづけられればそれに越したことはないけれど、何といっても現在は日本の未曾有の国難時代である。
 祖国が倒れるか生きのびるか、緊急存亡の瀬戸ぎわである。
 日本はいま国民の総力を結集することを要求している。
学業はあとでもつづけられるが、祖国はいまこそ、愛国者を必要とするのであって、学生として生きることは一片のわがままにすぎない。
すでに男子学生はほとんどが、ペンを銃に代えて学徒兵として出陣しているのだ。
女子学生もどうして安閑としていられようか。
すべての青春を国に捧げてただただ、祖国と天皇陛下を護りぬかねばいけないのである。

(中略)
 空襲がはげしくなってからは、「再会」という言葉にかけるはかなさは、どの人の身の上にも実感となりはじめている。
 昨日、元気で別れた友人が、今日は出てこない……手に手にとって逃げ出したが、右と左の防空壕へはいったがために、永久の別れになった親子夫婦。
そんな人々はいくらもある。
死んだり怪我したり、という戦争は、いつもずっと遠くであるものだったのに、今は日常、体のそばを渦巻いて流れている。
右往左往、ごった返しながらなだれを打って押し流されてゆく。
にぎやかに渡る三途(さんず)の川原かな。
日本じゅうが焼場になってゆく。
生き残ったものが隠亡(おんぼう)である。

(中略)
 十七日学校へ行く。
軽挙妄動するな、という訓話がある。
軽挙妄動とはどういうことをさすのか分らない。
でも、何となく、意味は察せられる。
軽はかるがるしい、である。
妄はみだりに、である。
神国日本の最後の滅亡の日が一億玉砕でなく、全面降伏だったという、かるがるしさを考えると、日本人はみな軽挙し妄動したくなるのもむりはなかろう。

(中略)
 アメリカの飛行機が頭上をすぎるたびに、みんなは不安そうな表情をする。
敵艦は東京湾や横浜沖に押しよせている。
 東久邇内閣は「一億総ざんげ」というモットーを発明した。
 戦時中には「一億一心」や「すすめ一億、火の玉だ」という標語がたくさんあった。
一億は日本国民の総数である。
戦争や空襲で、だいぶん欠けてるはずである。
その一億だけ消さずにおいて、あとへ総ざんげをつけたらしい標語の作りかたが、トキコにはまたがらんどう精神に思えた。
どこで、何が消えていってしまったのか分からないが、消えたものがある。
それに、総ざんげといったって、何を国民がざんげしてよいのやら、その標語の口吻のかるがるしさと「ざんげ」という言葉の重々しさがチグハグである。
トキコはその標語に、軽挙妄動の精神をかんじてしまう。
…後略…
(『私の大阪八景』田辺聖子 角川文庫 昭和49年 平成29年改版)
NNNドキュメント’22「侵略リピート
この番組は民放の中でもマスコミに携わる者の気概を感じます。
当然、ある方々からしたら目ざわりでしょう。
半藤一利さんの『戦争というもの』に

人間の眼は、
歴史を学ぶことで
はじめて
 開くものである。

     半藤一利