2022年8月24日水曜日

どんよりとした空

どんよりとした空で、蒸し暑かったです。
連日の暑さに…

熱中症 全国で3338人搬送 猛暑日相次いだ21日までの1週間」(NHK 8月23日)
搬送された人の年齢別では、65歳以上の高齢者が1805人と半数以上を占め(54.1%)ている…
昨日の岩波書店のTwitter

今日は #処暑 。
二十四節気では立秋の次で、暑さが峠を越えて和らぐころ…とはいうものの、皆さんの周りではいかがですか。
「秋も未だ暑し裏の戸おもての戸」「秋暑し昼寐の夢に見る西瓜」は、井上井月の句。

井月句集

井月の「残暑」の句に

行人(ゆくひと)の笹をかざせし残暑かな

与謝蕪村の句には

端居(はしゐ)して妻子を避(さく)る暑(あつさ)かな
(『蕪村俳句集』尾形 仂 校注 岩波文庫 1989年)

昔の人も暑さにはほとほと弱っていたのでしょうね(^^;
土曜日に放送された
NHK映像ファイル あの人に会いたい「柳生博(俳優)
柳生博さんが万葉集の中から選ばれた歌

ほととぎす 
(あひだ)しまし置(お)
(な)が鳴(な)けば 
(あ)が思(も)ふ心(こころ) 
いたもすべなし
  巻十五・3785 中臣宅守(なかとみのやかもり)

ほととぎすよ
間をしばらく置いてくれ
お前が鳴くと
私の恋しく思う心が
勝ってどうしようもない
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
[選者 柳生 博(やぎゅう・ひろし)]
 ホトトギスに、もう少し間を置いて鳴いてくれよと言いたい気持ち、わかりますね。
またとんでもない時間に鳴くんですよ。
夜中の12時、1時……、昨夜(ゆうべ)なんか3時くらいに鳴いていた。
しかもちょっと悲しいことがあったり、もの思いにふけっているとき、キョキョキョキョ、キョキョキョ……と、その気持ちが掻き立てられるような鳴き方をする。
これはたまらないですね。
――地方に流され、苦難の人生を送った中臣宅守が、ホトトギスに寄せて思いを詠んだ歌です。
柳生さんは、剣術で知られる柳生一族の末裔(まつえい)です。
家には代々受け継がれている仕来りがありました。
[柳生]
 13歳になったら一人旅に出よという習わしで、夏休みに一ヵ月くらい家を追い出されてしまう。
洗面道具や下着、昔の重い毛布の入ったリュックサックを背負って出て行くわけです。
もちろん、昔の蒸気機関車で。
 私が旅先に選んだのは、八ヶ岳の南麓から東へ向けてのコース。
小海線という高原列車が走っているので、その駅で泊めてもらおうと自分で計画を立てました。
毛布にくるまりながらどこかの駅で寝ていると、夜中に突然、耳元でキョキョキョキョ、キョキョキョキョ……と鳴く声で起こされる。
いつもはそんなことは思わないのに、ホトトギスに鳴かれるとお袋のことや故郷のことが思い出されて、ホームシックになってしまう。
そして誰もいあに真っ暗な駅で、僕も一緒になって泣くようなことがありましたね。
 ――ホトトギスは夏の訪れを告げる鳥。
その鳴き声は天平のころ、貴族の風流の対象として愛されました。
宅守はその声を、人の思いを掻き立てるようだと感じています。
[柳生]
 去年お袋を亡くしたとき、ちょうどここ八ヶ岳でテレビの仕事をしていて、もちろん葬儀には出ましたが、その日仕事を終え、夜中にお風呂に入って切ない気分になっていると、突然、キョキョキョキョ……と鳴き出すなんですよ。
「うるさい」と風呂場の窓を開けても、逃げずにいる。
「お袋はいなくなったんだ」とこっちも泣いていると、またすぐ近くに来て鳴くんですよ。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
歌群の表現と配列
 中臣宅守と狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)との贈答歌群は、独詠歌も含めて63首ある。
これほどの歌がありながら、歌そのものの評価は高くなく、殊に宅守歌は低い。
これらの歌はどれも表現の工夫に乏しく、いかにもありそうな言い回しが並んでいる。
わずかに娘子の歌に激情がある(あなたの行く道を「焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも」<3724>)ことななどが独創的と指摘されるくらいである。
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
 しかし、その平凡さと裏腹に、この歌群には、万葉集中で孤立した語が幾つも見られる。
右の「天の火」がそうだし、「過所(かしょ)」(通行手形、律令用語)、その他「すゑし種、散り泥(ひじ)、底ひ、人なぶり」などである。
「たましひ」もここにしか見えない語(シヒの義未詳)である。
これらの孤立語彙は、日常語と見られ、歌の稚拙さと見合っている。
「世の中の常の理(ことわり)かくさまになり来にけらしすゑし種から」(3761)は、宅守自省の弁だが、何が種かは歌ではわからず、ラシの用法も不規則である。
このあり方は、この歌群の成立契機と構成に示唆的である。
 歌群の配列自体は、悲別、贈答、独詠というように、時を追って整然としていて、編者による意図的な構成を思わせる。
宅守独詠歌群の懐旧的なあり方は、娘子の身の安否という想像さえ生む。
しかし、表現のありようからは、詠まれたままが並んでいるとも見える。
どちらに与(くみ)するにしても、或る人目を引いた結婚とその不幸な顛末(てんまつ)への興味にとって、日常語的で平凡な歌の並びは格好のものであっただろう。
編者の眼は、むろんそこに届いていて、構成とは、そのあり方を際立たせることであった。
或る不釣り合いはそこに生じている。
   (内田賢徳)
(『NHK日めくり万葉集vol.8』中村勝行編 講談社 2009年)
今朝の父の一枚です(^^)/
落ちていたトチノキの実を割っていました。

栃[トチ]

…前略…

 栃の木はどちらかというと水辺を好む木だ。
広葉樹の中でも乾いたところは樺(かば)や楢(なら)や栗(くり)などが育ちやすく、湿ったところは橅(ぶな)や桂(かつら)や栃(とち)が育ちやすい。
私の住む飛騨の方ではいまだに『栃洞(とちほら)』という地名が残っている。
洞というのは飛騨では谷間ということで、栃洞といえば栃の木が育つ谷間という意味だ。
そして栃洞の栃は伐採せずに、村の人が秋に栃の実を収穫した。
栃は栗やドングリの実がなるのと同じころ、3~4センチ以上もあるくらいの大きな果実がなり、熟すると先が三つに裂け(なぜか絶対に三つ)、そして焦げ茶色の丸っこい種が顔を出す。
これが栃の実だ。
栃の実は澱粉(でんぷん)分が多いので、縄文の昔から食用にされていた。
ただし、栗やクルミや椎(しい)などとちがい、アク抜きが必要だ。
ドングリと同じように灰汁(あく)で煮つめた後、水洗いを繰り返して食用に適するようにする。
『栃餅(とちもち)』や『栃の実煎餅』として最近おみやげものとして人気が出てきた。
…後略…
(『森の博物館』 稲本正 小学館 1995年)

栃餅(とちもち) 代々伝わる里山の味」(山形県 みちしる 2011年)