2022年8月21日日曜日

降っていましたが…

公園に向かていると雨がえらい降っていました。
しばらく歩いていると小雨になり傘をたたむことができました。
帰る頃には青空が見えてきたほど…
出かける前に天気予報をチェックすると10時頃には晴れになっていたので予報通りでした。
時々、天気予報が外れたと文句を言う人がいますが…
自然現象を人間が予測できると思い上がっているとしっぺ返しをうける。
天気予報はあくまで参考程度にするほうがいいと思います。
それでも、少し昔は、予報範囲も「大阪」全体での予報から
今では、市単位で1時間毎に予測してくれているし、雨雲の状況もわかる。

九州南部で局地的に激しい雨 土砂災害などに十分注意を」(NHK)
グレーテルのかまど「給糧艦 間宮のようかん
間宮という給糧艦があったことを初めて知りました。
間宮の艦長が海軍上層部に提出した報告書で
兵士を鼓舞する嗜好品としてのお菓子の意義を訴えていたのです。
海軍上層部も有益であると判断して、当初なかったお菓子の艦内生産と供給が進められた。
この発想が広がっていれば、日本軍兵士が餓死という無残な死を迎えることはなかったはずです。

戦争と平和のリアル 第28回 吉田裕「戦場のリアル」〟(2018年9月11日)
 アジア・太平洋戦争では230万人の軍人・軍属が死亡しました。
そのうち半数以上が戦闘死ではなく、戦病死なのです。
 つまり、兵士の半数以上が、敵軍との戦闘で命を落としたのではない。
そして「戦病死」の多くが、実質的には「餓死」だったといいます。
羊羹で思い出したのは、これもクレーテルのかまどで
以前、「室生犀星のようかん」が放送されました。
室生犀星と羊羹について『和菓子を愛した人たち』より転記します( ..)φ
 室生犀星(むろおさいせい)と幼少年時代の菓子
 ――小さな胸に刻まれた、ささやかな幸せ


 菓子処として知られる石川県の金沢。
詩人の室生犀星(1889~1962)は最晩年、随筆「寒蝉亭雑記 金沢」で、生まれ育ったこの土地の菓子を「一体に軽い甘いもの」が多く、「主に品と雅と淡さとを目ざした味わいから造られてあった」と綴り、薄氷(うすごおり)・寿(ことぶき)せんべい・長生殿(ちょうせいでん)・柴船(しばふね)といった銘菓の名を書き連ねました。
犀星は、親しかった芥川龍之介と金沢の菓子を食べあるいたというエピソードをもつなど、菓子好きとして知られ、三十歳のときに手がけた最初の小説『幼年時代』(1919)も、実母との菓子の話で始まります。
(『和菓子を愛した人たち』虎屋文庫 山川出版社 2017年)
 六十歳を過ぎた旧加賀藩士の小畠弥左衛門(こばたけやざえもん)と、三十代の小畠家の小間使ハルのあいだに生まれた犀星は、出生の事情から生後すぐに雨宝院(うほういん)の住職、室生真乗(しんじょう)の家に養子に出されてしまいます。
幼い犀星は養家に馴染めず、養母に内緒で毎日のように両親の住む実家へ遊びにいきました。
「広い果樹園にとり囲まれた小ぢんまりした家」で、茶の間は茶棚や戸障子まで掃除が行き届き、時計の音が聞こえるほどの静かな場所でした。
 家に着くとすぐにおやつをねだるのが常で、母はいつも菓子を器に入れ、「特別な客にでもするように」お茶を添えてくれました。
出されたのは羊羹や最中とありますから、犀星のためにわざわざ買っておいたものでしょう。
我が子の訪問を心待ちにし、菓子を選ぶ母の姿が想像されます。
対する犀星は、きちんと皿に盛られた菓子やお茶のもてなしを、大人扱いをされているようで嬉しく思ったのではないでしょうか。
 四方山話(よもやまばなし)をしながら菓子を食べ、ときには母の膝に甘えて眠ることもありました。
そんなひとときを、「何も彼も忘れ洗いざらした甘美な一瞬の美しさ、その幽遠さは、あたかも午前に遊んだ友達が、十日もさきのことのように思われるのであった」と表現しています。
 しかし、九歳のときに実父が他界。
生母は小畠家の親類に追い出され、犀星と別れの言葉も交わせぬまま姿を消してしまうのでした。
 犀星はのちにこの処女作の誕生を振り返って、当時は詩で生計を立てることが難しく、小説を書こうと思いたち、「出足がかいよいもの」として自分の伝記から始めたと書いています。
その脳裏にまず浮かんだものが、実家で過ごしたひとときだったのでしょう。
犀星の心に残り続けた幸福な思い出に、菓子好きの原風景を見る思いがします。
(『和菓子を愛した人たち』虎屋文庫 山川出版社 2017年)
今朝の父の一枚です(^^)/
雨でしたが、雨の日は人が少ないと言ったので出かけることになりました。

(「雲はなぜ浮かんでいられるか」つづき)

 ところで、雲が浮かんで見えるのには、もう一つ理由がある。
それは雲はただ単に浮かんでいるのではなくて、常に新陳代謝を繰り返しているということである。
たとえば、積雲を例にとると、積雲はその雲底のところでは、上昇気流で運ばれて来た水蒸気が凝結し、どんどん雲粒が発生しているが、雲の頭や側面では雲粒がどんどん消えているのである。
雲の周囲には比較的乾いた空気があり、雲粒のように小さな水滴はそのような空気中に飛び込むと、たちまち蒸発してしまうためである。
したがって、もし上昇気流からはずれて落下する雲粒があったとしてもたちまちのうちに蒸発して消えてしまうので、外から見ている限り、雲は落ちないのである。
すなわち、雲を形造っている雲粒はいつも同じものではなく、雲のなかみは常に激しく入れかわっているのである。
しかし、外からみれば静かに浮かんでいるように見えるのである。
それゆえ、上昇気流が止めば積雲全体が蒸発して速やかに消え失せてしまう。
暑い夏の日中、大空をわがもの顔に幅をきかせていた大きな積雲も、夕方になり上昇気流が弱まってくると、次第に形が小さくなり、日暮とともに消散してしまうのはこのためである。
(『新しい気象学入門 明日の天気を知るために』飯田睦二郎 ブルーバックス 昭和55年)