2022年8月17日水曜日

雨に濡れているのか…

夜中に雷の音が聞こえていて、雨が降ったので少しは涼しいかなと思ったけど…
蒸し暑さに汗が噴き出てきました。
歩いている途中で、雨が本降りに…
雨で濡れているのか? 汗で濡れているのか?分からないほど…
帰宅後、雷がゴロゴロ…バリバリッ!!!

近畿 18日にかけ激しい雨のおそれ 土砂災害に警戒」(関西NHK)

関西で停電(17日午前11時半)」(関西NHK)
Q55 雷が多いと豊作になるというのは本当? 鴨川 仁

 雷から発生する光を示す稲妻は、「稲の夫(つま)」の意味から生まれた言葉です。
「つま」は、古くは夫婦や恋人が互いに相手を呼ぶ言葉で、妻・夫どちらも「つま」と言っていました。
古代より稲の実りの時期に雷が多いので、稲妻(稲光)が稲を実らせるという言い伝えがあります。
その関係性は、科学的には明瞭には示されていません。
一般に雷活動が活発な時は、気温が高く一時的に多量な恵みの雨を降らせます。
そのことは植物の生育によいので、稲の実りがよくなる原因と指摘している人がいます。
別の意見として、雷による窒素酸化物の生成が食物の栄養に貢献しているという考えがあります。
(『雷の疑問56』鴨川仁・吉田智・森本建志 成山堂書店 2021年)
 生物の育成には、窒素、リン、カリウムが必要とされます。
窒素は、アミノ酸、RNA、DNAなどに含まれるわけですから生命にとって欠かせないものです。
一方、安定な分子である窒素分子については、大気の約8割を占めるぐらいに存在していますが、気体の窒素分子のままでは植物は取り込めません。
窒素原子を含む硝酸イオンやアンモニウムイオンのような化学反応がしやすい形に変わる必要(窒素固定と呼びます)があります。
(ただし、ごく一部の細菌だけは窒素分子をアンモニアに変換する働きを持ちます。)
一方、雷は高エネルギーゆえに窒素分子を窒素酸化物にすることができます(Q16)。
これらが雨水に溶けるなどして窒素固定がなされ、植物の栄養素になります(図55-1 窒素循環<省略、以下同>)。
前近代での農業は、生物的(ごく一部の細菌)および落雷による窒素固定が唯一の方法だったために農業生産量には限界がありました。
その後の人口増によって、農業生産効率を上げる必要が高まったところ、天然の肥料であるチリ硝石(硝酸塩鉱物の一種)が発見され、広く利用されました。
チリ硝石の資源枯渇が危惧されましたが、工業的に1900年代初頭に窒素分子を取り込み、水素と結合させアンモニアを作る方法が見つかり、効率よく肥料が造れるようになりました。
 以上の背景からかつては、雷による窒素固定の効果も無視できなかったと考えられます。
雷起源の窒素固定の効果は細菌などの生物起源によるものの5%前後の効果はあると見込まれています。
現在の稲作では十分に肥料が人為的に与えられているため、稲妻の語源を落雷の窒素固定から感じることは少ないでしょうが、当時としては、効果を感じることができたとみられます。
 同様に古く知られていることに、キノコも雷によって育成が活発化される植物です。
帝国ローマ時代のギリシャ人哲学者・著述家のプルタコスは、希少食材のきのこである松露(しょうろ)の育成に雷が関係しているということを自分の書物で言及しています。
現代では、雷を模した放電や過電流の実験(図55-2 椎茸の放電実験 岩手大学)で、キノコを始めとしたいくつかの植物の成長が、電気的刺激を与えない時と比べて何倍か高まるという実験報告もあり、実用化もされています。
なぜ、雷により育ちがよくなるのかの原因はわかっていませんが、過電流などでキノコは生命の危険を感じ生存力を高めるために成長が高まるというふうにも考えられています。
また落雷の轟音を模した音による刺激で、過電流と同様にキノコの育成が活性化したという実験結果もあります。
 このように、科学的報告は多くはないものの生命と雷の関係はなにかしらあると言ってもよいでしょう。
(『雷の疑問56』鴨川仁・吉田智・森本建志 成山堂書店 2021年)

パルス電界を用いたキノコ子実体形成促進」(岩手大学パルスパワー・プラズマ研究室)
京都 「五山送り火」 3年ぶりに通常規模で〟(京都NHK)
昨日も五山の送り火について転記しましたが、
今日は澤田瞳子さんの『京都はんなり暮し』より転記します( ..)φ
同じ行事でも視点が変わると、また違ったものが見えてきます。
夏――
 いざ仰ぎ見ん大文字


 クイズです。
次のうち、八月十六日に京都で行なわれるお盆の行事はどれでしょう。
  ①大文字の送り火
  ②五山の送り火
  ③大文字焼き
(『京都はんなり暮し』澤田瞳子 徳間文庫 2015年)
 お盆の迎えた先祖の霊を、火とともにあの世に送り返す行事は、全国各地に見られる。
京都の場合、市街を取り囲む山に「大」「妙」「法」の字や、船・鳥居を象(かたど)った火を点す「五山の送り火」がこれに相当する。
このうち「大」は東山の大文字山の通称・右大文字と、衣笠の金閣寺山の左大文字の二つがあるが、右大文字が特に有名なため、普通大文字といえば右大文字のことを指す。
このため、五山の送り火を「大文字」と総称することも多い。
 したがって先ほどのクイズは②が正解。
①ならまあ八十点というところだろう。
 一方、これを「大文字焼き」と呼ぶのは、現在の京都では禁句。
送り火は山焼きではなく、点しているものだからだ。
間違って「大文字焼き」と口にしようものなら、「へえ、どら焼きの一種どすか」と嫌味を言われかねないが、古くは「大文字焼き」と呼ぶ時期もあったというので、一概に間違いとも言い難いのが難しいところである。
 ちなみに大文字山の麓、銀閣寺近くにあるアイスキャンディー屋さんで売られている大判焼の名が「大文字焼」。
一個百円、近所の子供がよく買い食いしている。
ただし夏は作られていないため、「大文字の送り火」を見ながら「大文字焼」は食べられない。
要注意である。
 八月十六日の夜八時、まず右大文字に火が点る。
それから十分後に「妙」「法」、五分遅れて船・左大文字、さらに五分後に鳥居と次々に送り火が点される。
ここで焚(た)かれる護摩木(ごまぎ)は、一般から奉納されたもの。
大文字なら前日の十五日から銀閣寺門前にテントを張り、護摩木(一本三百円)・松割木(同四百円)の奉納を受け付けている。
私は頼んだことはないが四条河原町の高島屋でもお願いできるそうだ。
 奉納されたそれらを束ね、薪(まき)としたものを、麓の家々で構成される保存会の方々が山上まで運ばれる。
大文字なら薪六百束。
途中まではケーブルもあるが、山の中腹から先は人の力が頼り。
暑い盛りだけに、その苦労は並大抵のものではない。
 この送り火、五山全てを一度に見られる場所はあまり多くない。
というのも鳥居形のある曼荼羅(まんだら)山が比較的低く、場所も右京区嵯峨野(さがの)と一つだけ離れているためだ。
市の南側、京都駅ビルの上からは全部見えるものの、「妙」「法」はほんの豆粒ぐらいになってしまうとか。
 地元住人は「〇〇マンションの屋上がいい」「〇〇大学から見える」などの情報を独自のルートで持っているが、これも関係者以外はどうも入りづらい。
ただ個人的には、五山まとめて見るよりも、どこか一つを丁寧に見守るほうが、送り火本来の目的に敵(かな)っていると思うだが、いかがだろう。
 人々の祈りを込めた護摩木を焚き、先祖の霊が戻っていくのを見守る――送り火とは本来、あの世とこの世を渡す灯火。
亡き人の魂が再び極楽浄土に帰っていくことを思いながら、その人の思い出に心を馳せるものであり、決して観光行事ではなかったはずだ。
 だからこそ五山の送り火は、どんな悪天候でも執行される。
十年程前、当日ひどい雨が降り、保存会の方に「今日はどうしはりますか」とうかがったところ、
「雨でも風でもやります。そやないと、お精霊さんが帰られしまへん」
 とお答えになられた。

  ――送り火や わかれた人に別れあり

 これは江戸中期の俳人・横井也有(よこいやゆう)の句。
必ずしもしんみりめそめそしがら送り火を見る必要はないだろうが、「大文字観賞コンサート」だの「大文字特別ディナーコース」といったイベントは、少々不謹慎に思われる。
 八月十六日は旧暦なら十六夜(いざよい)月の夜。
かつては大文字の火がほぼ消え、息を詰めて見守っていた人々の緊張がふっと解けた頃、山の端(は)から少しだけ欠けた月が昇ってきたはずだ。
送り火が済めばもう夏も終り。
その十六夜月に、来る秋を感じる人も多かっただろう。
(『京都はんなり暮し』澤田瞳子 徳間文庫 2015年)

 つづく…
今朝の父の一枚です(^^)/
雨が本降りになりカメラをリュックの中にしまったので、写したのはキジバトだけでした。

昨夜、夕刊を見せながら「この海軍の帽子に憧れた」と話していた。
抑留から生還、93歳が抱く「日本の誇り」 ウクライナに重なる記憶〟(朝日新聞 8月16日)

 八月や駅ごとに兵捨てらるる  後藤紀一

 戦時中、東京の人口は二百五十万くらい。
終戦時の動員解除や兵員復帰などで、たちまち四百万人にも膨れ上がり深刻な食糧難を来(きた)していた。
これは都会の場合だが、全国おおむね似たような状況ではなかったか。
新聞では昨日の餓死者は何名と公告。
そんな日本には外地からの帰還兵を温かく迎える余裕はない。
 歓呼の声に見送られて出征した故郷だったが、様変わりした無残な帰郷をうたっている。
それにしても命からがら帰って来た兵士が、わが故郷の駅で下車してゆくのを<棄(す)てられる>とは、あまりに酷い表現だと思う。
それほどに迎える家族も疲弊していたのだろう。
杜甫(とほ)の詩『春望』では「国破れて山河在り/城春にして草木深し」と国家は破れ人民は離散しても、自然の山河は昔のままだと作(な)している。
八月は炎熱で、帰還の時期も悪かった。
  1915~1990 山形市生まれ。日本画家、詩人、小説家。
  芥川賞作家。句集『凍天』『凍蝶』
(『きょうの一句 名句・秀句365日』 村上護 新潮文庫 平成17年)