それでもタイサンボクの花が下の方で咲き出して
甘い香りに元気をもらいましたp(^^)q柿の実が大きくならずにいっぱい落ちていました。
柿の花の句ですが…
虫のために害(そこな)はれ落ツ柿の花
[訳]虫のために食われて落ちてしまった。柿の花。
[季]「柿の花」夏。
[語]柿の花――淡く黄色の小花で目立たず、ぽろぽろ散る。
[解]柿の実を干したものを、「あまぼうし」(崑山集)と呼んで、人々は賞味したが、柿の花はほとんど顧みられなかった。
そんな柿の花が虫に食われて落ちたことに、「蓼(たで)食う虫も好き好き」を効かせて笑いを誘った。
つまらないものに傷つけれた人をいとおしむ寓意。
[参]東皐「あだ花の柿落つ夏の月夜哉」(東皐句集)。
(『蕪村句集 現代語訳付き』玉城 司訳注 角川ソフィア文庫 2011年)昨日の記事に福沢諭吉が書生14、5人と連れだって桃山に花見に行ったことが紹介されていました。
「適塾」を訪ねたことがあります(2014年9月23日)。
適塾の中で、福沢諭吉など若者たちが夢を抱きながら凄まじい生活をしていたんだなぁと想像していました。
『新訂 福翁自伝』より「桃山から帰って火事場に働く」を転記します( ..)φ
塾生同士の関係は、民主的で、議論も今でいうディベートをしていると思いました。緒方の塾風
桃山から帰って火事場に働く
塾中兎角(とかく)貧生が多いので、料理茶屋に行って旨(うま)い魚(さかな)を食うことはまず六(むつ)かしい。
夜になると天神橋か天満(てんま)橋の橋詰に魚市(さかないち)が立つ。
マアいわば魚の残物(ひけもの)のようなもので値(ね)が安い。
それを買って来て洗手盥(ちょうずだらい)で洗って、机のこわれたのか何かを俎(まないた)にして、小柄(こづか)をもって拵えるというようなことは毎度やっていたが、私は兼(かね)て手の先が利いてるから、何時(いつ)でも魚洗いの役目に回っていた。
(『新訂 福翁自伝』福沢諭吉 岩波文庫 1978年、2008年改版)頃は三月桃の花の時節で、大阪の城の東に桃山という所があって、盛りだというから花見に行こうと相談が出来た。
迚(とて)も彼方(あっち)に行って茶屋で飲み食いしようということは叶(かな)わぬから、例の通り前の晩に残物を買って来て、その外(ほか)氷豆腐だの野菜物だの買い調(ととの)えて、朝早くから起きて匆々(そうそう)に拵えて、それを折か何かに詰めて、それから酒を買って、およそ十四、五人も同伴(ツレ)があったろう、弁当を順持(じゅんもち)にして桃山に行って、さんざん飲み食いして宜(い)い機嫌になっているその時に、不図(ふと)西の方を見ると、大阪の南に当って大火事だ。日はよほど落ちて昔の七ツ過ぎ。サア大変だ。
丁度その日に長与専斎が道頓堀の芝居を見に行っている。
吾々花見連中は何も大阪の火事に利害を感ずることはないから、焼けても焼けぬでも如何(どう)も構わないけれども、長与が行っている。
もしや長与が焼死(やけしに)はせぬか。
何(なん)でも長与を救い出さなければならぬというので、桃山から大阪まで二、三里の道をどんどん駈けて、道頓堀に駈け付けてみたところが、疾(と)うに焼けてしまい、三芝居あったが三芝居とも焼けて、だんだん北の方に焼け延びている。
長与は如何(どう)したろうかと心配したものの、迚(とて)も捜す訳(わ)けに行かぬ。間もなく日が暮れて夜になった。
もう夜になっては長与のことは仕方がない。
「火事を見物しようじゃないか」と言って、その火事の中にへどんどん這入って行った。
ところが荷物を片付けるので大騒ぎ。
それからその荷物を運んでやろうというので、夜具包か何(なん)の包か風呂敷包を担いだり箪笥を担いだり、なかなか働いて、だんだん進んで行くと、そのとき大阪では焼ける家の柱に綱を付けて家を引き倒すということがあるその綱を引っ張ってくれと言う。
「よし来た」とその綱を引っ張る。
ところが、握飯を食わせる、酒を飲ませる。
如何(どう)も堪(こた)えられぬ面白い話だ。さんざん酒を飲み握飯を食って八時ごろにもなりましたろう。
それから一同塾に帰った。
ところがマダ焼けている。
「もう一度行こうではないか」とまた出掛けた。
その時の大阪の火事というものは誠に楽(らく)なもので、火の周囲(まわり)だけは大変騒々しいが、火の中に這入ると誠に静かなもので、一人(ひとり)も人が居(お)らぬくらい。
どうもない。
ただその周囲の所に人がドヤドヤ群集(ぐんじゅう)しているだけである。
それゆえ大きな声を出して蹴破って中へ飛び込みさえすれば誠に楽な話だ。
中には火消の黒人(くろうと)と緒方の書生だけで大いに働いたことがあるというような訳(わ)けで、随分活発なことをやったことがありました。 一体塾生の乱暴というものはこれまで申した通りであるが、その塾生同士相互(あいたがい)の間柄というものは至って仲の宜(よ)いもので、決して争いなどをしたことはない。
勿論議論はする、いろいろな事について互いに論じ合うということはあっても、決して喧嘩をするようなことは絶えてないことで、殊(こと)に私は性質として朋友と本気になって争うたことはない。
仮令(たと)い議論をすればとて面白い議論のみをして、例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果たして義士なるか不義士なるかと議論が始まる。ただその周囲の所に人がドヤドヤ群集(ぐんじゅう)しているだけである。
それゆえ大きな声を出して蹴破って中へ飛び込みさえすれば誠に楽な話だ。
中には火消の黒人(くろうと)と緒方の書生だけで大いに働いたことがあるというような訳(わ)けで、随分活発なことをやったことがありました。 一体塾生の乱暴というものはこれまで申した通りであるが、その塾生同士相互(あいたがい)の間柄というものは至って仲の宜(よ)いもので、決して争いなどをしたことはない。
勿論議論はする、いろいろな事について互いに論じ合うということはあっても、決して喧嘩をするようなことは絶えてないことで、殊(こと)に私は性質として朋友と本気になって争うたことはない。
スルト私は「どちらでも宜しい、義不義、口の先(さき)で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦しくない」と言って、敵になり味方になり、さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白いというくらいな、毒のない議論は毎度大声でやっていたが、本当に顔を赧(あか)らめて如何(どう)あっても是非を分ってしまわなければならぬという実(み)の入った議論をしたことは決してない。
(『新訂 福翁自伝』福沢諭吉 岩波文庫 1978年、2008年改版)今朝の父の一枚です(^^)v
手前のカワラヒワは幼鳥のようです。
成鳥がくわえているのはタンポポの綿毛?。
タンポポの種では物足りないかも(*´▽`*)
カワラヒワは異常なほどヒマワリが好き
…前略…
カワラヒワは種子をくわえると、まずくちばしの間でくるくると水平に回しながら、皮をじょうずに取り除きます。
カワラヒワのくちばしは、縦にも横にも太くて丸っこい形です。
とはいえ先端はちゃんとまがっています。
堅い種子を割って食べるのに必要な力強さと、繊細な切断作業をこなす能力を兼ね備えた形だと思われます。
…後略…
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)