2022年5月24日火曜日

暑いけど…

今朝も暑かったですが、乾燥注意報がでているくらいなので空気はさらっとしています。
夏萩(ミヤギノハギ?)が咲き出しました。
ロシア外交官 ウクライナへの軍事侵攻に抗議し辞職 スイス」(NHK)

ボンダレフ氏は
「20年間の外交官としてのキャリアの中で外交政策の転換を目の当たりにしてきたが、
ことし2月24日ほど自国を恥じたことはなかった。
プーチンが仕掛けたウクライナと西側世界全体への侵略戦争は、
ウクライナの人々への犯罪にとどまらず、ロシアの人々への最も深刻な犯罪かもしれない」
として、プーチン大統領を強く非難しています。


映像の世紀バタフライエフェクト「スターリンとプーチン」を見ていると、
イギリスに亡命したリトビネンコ元FSB諜報員が、
チェチェン侵攻の口実となったテロ事件は FSB(ロシア連邦保安庁)が仕組んだ自作自演の偽装テロだと証言した後、亡命先のイギリスで毒殺されている。
ボンダレフ氏も危険な状況にならなければいいのですが…
47 明治に入っても続いたコレラの恐怖
  コロリ
 ◆ 病は悪霊にとりつかれ起きる


 急死することを「コロリといく」というが、この言葉は江戸時代のコレラ上陸以前から使われていたものである。
この病がコレラという名であることが伝わるとコロリ、「古呂利」という名が付いた。
元々は別の言葉である。
(『なにわ ことば遺跡2 ことばといっしょに歴史を歩く』山本正人 清風堂書店 2019年)
 昔、日本では病は悪霊にとりつかれることから起きると思われていた。
そのため大病が長く続くと、祈祷師をよんで治癒を祈ったりした。
コレラが日本に初めて入ったのは、文政5年(1822)のことだ。
出島に出入りしていたオランダ人がもちこんだと思われる。
この時は九州だけに広がり沈静している。
安政5年(1858)再び長崎でコレラが発生。
この時は江戸、大坂にも広がり数万の人々が死亡したと伝えられている。
日本にいたオランダの医師は、キニーネを特効薬として治療を行ったが、南方産のキニーネは簡単に手に入るものではなかった。
緒方洪庵(おがたこうあん)は早くからコレラの治療にあたっており、有名な『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』などオランダの医学書の訳書をいくつか発刊している。
 緒方の時代は、まだ病原菌が発見されておらず、強い脱水症状の中、塩水を飲ますことで治療を進めていた。
この頃日本に入ってきたコレラはアジア産で、罹患すると猛烈な下痢、塩分を含む白色の水便、それの伴う脱水症状、膚はかわき特有の老人顔に変化する。
熱は出ず逆に34度の低体温となる。
緒方は体から出る水や塩分を補う塩水飲用を行った。
当時の蘭法医はそういう治療法を用いた。
  ◆絶たぬ感染経路

 感染源は飲水や食糧からであった。
最大の原因は患者の排せつ物だった。
上下水道の整備が無く、下肥を用いる当時の衛生環境では、感染経路を絶つことは難しかった。
 明治に入ってもコレラの恐怖はやむことがなかった。
大阪は水陸交通の要所で、人口密度が高い。
洪水がたびたび起き、感染症発生の条件に満ちていた。
特に明治18、19年コレラの発生は最も深刻で、19年の大阪府下コレラ患者16753人のうち、13730人の人々が亡くなっている(『大阪百年史』)。
この時のコレラ発生は18年の大洪水が原因である。
長く水没した市街地の水の引いた後は悲惨であった。
コレラだけでなくチフスも蔓延し、特に長町を中心とする貧困街が集中した。
コレラの病死者の葬儀には、黄色の小旗が掲げらえることが決められ、遺体処理が完全に行われた。
 これ以後大阪ではそれまでの天王寺避病院(ひびょういん)の他に、長柄、桃山など避病院の新設、そして感染源が飲水にあることから上水道の建設を急いだ。
 今日ではコレラが日本に入ってくるのは希で、罹患しても即時治療すれば命を落とすことはない。
コロリと呼ばれ人々をふるえさせた病も、正体が明らかになり、完全にコレラ菌という悪霊を退散させられる時代になったのである。
(『なにわ ことば遺跡2 ことばといっしょに歴史を歩く』山本正人 清風堂書店 2019年)

大阪桃山病院がで きたころ

大阪市 市民病院の移 り変わ り(その2)」
今朝の父の一枚です(^^)v
ツマグロヒョウモンの雄です。
伯母が亡くなった時、斎場で遺骨を骨壺に入れていたときに
チョウが飛んできて周りを飛んでいたそうです。
父がガラス戸に止まったチョウをつかまえて
「姉さんもう帰ろう」と言って外に出してあげたそうです。

   ちょう

〇お盆の黒いチョウには仏様が乗ってくる(栃木県宇都宮市)。
夜のチョウは仏様の使(千葉)。
夜のチョウが屋内を飛びまわると不吉、後生の人がそこに来ている(沖縄県国頭<くにがみ>郡)。
チョウが舞い込むと魂が帰ったという(神奈川県横須賀市)、夜中に来ると盗人が来る(富山、愛知)、病人のある家に入ると不吉なことが起きる(山口)。
ヤンメチョウ(烏揚羽)が来れば眼を病む、唾を三度かければよい(長野県更級・埴科郡)。
チョウを死霊の化身であると考えたためで、秋田県山本郡で、チョウ模様の着物を好む者は短命だというのも、こうした心意から出たものであろう。
『和漢三才図絵』巻68に「毎歳七月十五日ノ夜、胡蝶数(アマタ)出テ此ノ原に遊舞ス、呼テ生霊市ト曰フ」と見える。
チョウの出現は凶兆とする場合が多いが、夜に出る黒いチョウは大吉(秋田県北秋田郡)、ゼニチョウが家の中に入るとお金が入ってくる(鹿児島県国分市<霧島市>)。
サケノミジュチュケ(せせり蝶)が入ると来客あり(熊本県玉名郡)。
若い娘のある家へチョウが舞い込むと二、三か月のうちに良い縁談がある(岐阜県大野郡)、という。
(『日本俗信辞典 動物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 2021年)