2022年5月21日土曜日

小満

ぱらぱらと降っていたけど傘をさす必要がないほどでした。
歩いていると少し蒸し暑いなと感じるほどでしたが、
予報を見ていると、明日くらいから気温が上がる…
 今日から

小満(しょうまん) 5月21日~6月4日ころ

陽気がよくなり、全ての命が天地にに満ち始めるころをさす。
晴天が草木の緑を濃くし、雨が大地を潤して命を育んでくれる。
稲田に爽快な風が吹き抜け、麦の収穫の季節を迎える。
潮干狩りや衣替えの季節でもある。
(『季節の生きもの観察手帖』NPO法人 自然観察大学 全国農村教育協会 2017年)
花びらではなく葉の変形
 ところで、ドクダミの「花」と書いたが、白い花びらと見えるのは花序に付随した葉が変形した「総苞(そうほう)」であって、本当の花びらではない。
本物の花はごく小さく、雌しべと雄しべだけの構造で花びらもなく、中央の花軸(かじく)に多数が集まってつく。
 花軸の中途にも苞が複数発達して八重咲になることもある。
ドクダミ科は花びらも萼(がく)ももたない原始的な被子植物なのだが、このような八重咲の出現は「花びら」が進化する過程を示すモデルとして注目されている。
もともと葉の変形なので、緑がかった苞がつく突然変異株も見つかる。
…後略…
(『したたかな植物たち―あの手この手のマル秘大作戦【春夏篇】』多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
以前、転記していたけど気がつかなかったなぁ…
もっといろんな変異を見つけることができるかもしれないp(^^)q
見逃し配信の期限は今日までだけど
ブラタモリ「東京湾~海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?~
の中で、アナウンサーの野口葵衣さんが佃煮の発祥が佃島と知って
「一気に佃島大好きになりました♪」と目をキラキラさせながら話していました。
この世界には知らないことがいっぱい、知るのは楽しいですよね!
大坂の佃村や、佃島と徳川家康との関係は以前、読んだことがあって知っていたけど
まだ、大阪も東京も歩いたことがない。

佃漁民ゆかりの地を歩く」(大阪あそ歩)

地域の思いと歴史を伝えて半世紀 ~佃小学校 東京の佃島小学校との交歓会~」(大阪市西淀川区)

公園を歩き出して10年になりますが、知らないことがまだまだあります。
だからほぼ毎日歩いても新しい発見があって、楽しいです。
 ヤマボウシ
…前略…
 初夏、白い十字型の花を枝の上面に咲かせます。
花びらに見えるのは4枚の総苞片(葉の変形)で、その中心に多数の小花が集まっています。
…後略…
(『実とタネキャラクター図鑑』多田多恵子 誠文堂新光社 2017年)
昨日転記した『平家物語』。
なんか、イメージが変わりませんでした(^_-)
閻魔の使いが
「数々の悪業により、無間(むげん)地獄に落すつもりで、無間と書くはずでしたが、間の字を書き忘れたままで」
と、書かれていて思わず笑いそうになり、親近感がわきました♪
* 無間地獄の使者
二位尼の夢は広本系や四部本では邸に仕えるある女房の夢で、その女房も病んで死んだという。
類話として『古事談』第四に、源義家が臨終の懺悔(ざんげ)の心なく、向いに住む女房の夢に「地獄絵ニ書タルヤウナル鬼形之輩」が義家邸に乱入し、大札に「無間地獄之罪人源義家」と書いて持っていた、という。
『発心集(ほっしんしゅう)』巻三にも見える。
その種の話は、体験そのものに類型性がつきものであるから、義家の話を平家物語が清盛のことに潤色したというよりは、広本等の女房の夢に古形を認め、二位尼の夢となるところに文芸の展開を考えたい。
「無」の一字の札は不気味である。
書き切らぬのはまだ救いの途(みち)があり、清盛の傲岸(ごうがん)さがそれに気づかなかった、と見なすこともできる。
「無間」の原語が「阿鼻」である点を考えると、死者の額や墓・卒塔婆(そとば)に書く阿字(<省略>。無・否定の意)からの連想がこの夢の起点にはたらいている(久保田実氏の説)というのも興味深い新しい見方といえる。
(『平家物語 中 新潮古典集成』水原一校柱 昭和55年)
 解説 危険な魅力  板坂耀子

  1 ヤバいかもしれない文学

 もう十年近く前のことだ。
勤務先の大学で『平家物語』の授業をしていたとき、一人の留学生から質問を受けた。
 「平家が亡んでしまったあとで、彼らについてこのような物語を広めることに対し、彼らを亡ぼした新しい支配者からの弾圧などはなかったのでしょうか?」
 その時は何気なく「おそらく、平家は多くの悪行をはたらいたから、亡んで当然、という書き方をしているから、とがめられなかったのでしょうね」と答えた。
しかし、後になるほど、その質問が気になりはじめた。
それが積もり積もって、とうとう最近、国文学史の授業で『平家物語』にふれたとき、次のように語ってしまった。
 「『平家物語』というのは、あれはヤバい文学です。何がどうヤバいかというと、平家は悪だから亡びて当然、と書いているように思わせて、実際には平家のした悪いことを全然書いていないことです。それでいて、なおかつ、読んだ(聞いた)人たちには、平家はたしかに悪かったと、しっかり思わせてしまうことです」。
(『現代語訳 平家物語(下)』尾崎士郎 岩波現代文庫 2015年)
 「つまり、平家がそんなに悪いことをしていないという検証をきちんとした人にはそれがちゃんとできる資料を、平家が亡びたのは悪いことをしたからだと信じたい人がそう思って満足できるかたちで世に残した。これが故意か偶然かと言えば、特定の作者がいない語り物として成立してきたのですから故意じゃないんでしょうが、見せたいものを全部見せながら、それをちがったものに見せてしまう高等魔術にはちがいない。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』でアントニーが殺されたシーザーの追悼演説を暗殺者たちの前でやって暗殺者たちを賞賛しながら次第に弾劾に切り替えて行く、あのテクニックを想起させるものさえあります。しかも、こっちの方がずっと大規模かつ高級」。
 そして、キツネにつつまれたような顔をしている学生たちに、さらに説明した。
 「『平家物語』の中で平家がやった悪行は、高位高官を独占した(そんなの今の政治でも珍しくない)、政敵を惨殺した(反乱を企てた相手なら当然)、スパイで市中を調査した(赤い服の子どもをうろつかせて、どこまで本当の恐怖政治ができたのか疑問)、神仏、天皇家、京都の市民をないがしろにした(既成の権力と対抗するためには当然の処置)などなど、たとえばローマや中国で暴君と言われた支配者たちに比べたら、どう考えても悪逆や非道とは言い難い」。
 学生たちは強い印象を受けたようで、「平家は悪くなかったんですね! 目からウロコでした」的な感想文が続出した。
そう簡単に納得されると、それはそれで困るのだが、乗りかかった舟だから、もう少し続ける。
  2 枠組みの果たす役割

 平家を語る時によく言われるのは、「おごる平家は久しからず」「平家にあらずんば人にあらず」の常套句だ。
だが前者は『平家物語』の中にはない。
冒頭の「おごれる者は久しからず」から変化したもので、いつ成立したかわからないが、『日本語大辞典』の用例(初出を示すのが普通)では江戸時代の滑稽本が引かれているから、それほど古いものではないだろう。
後者は『平家物語』の中にあって清盛の義弟時忠が言ったことばとされている。
この人は平家の中ではわりと過激でそういうことを言いそうな人になっている。
しかし、誰が言ったにせよ、これが事実であったとしてもこれもまた、このくらいの権力者の暴言は今でも珍しくなく、「悪行」というほどのものだろうか。
 平家が亡びて、もはや彼らの悪口を言い、罪を暴くのに何の危険もなくなった時期に、とりあげられる悪行がこの程度しかないというのは、逆によっぽどいい支配者だったのではないかとさえ思いたくなる。
 ジョセフィン・テイのミステリ『時の娘』(ハヤカワミステリ文庫)は、現代の刑事が入院生活のつれづれに、文学でも教科書でも「幼い実の甥たちを殺害した悪い王」と確定している英国王リチャード三世が行ったとされる悪事は甥の殺害も含めて、すべて彼を倒して次の王になった人物の捏造だと、綿密な考証によって確信する話で、これは実際の歴史学でもそのような見直しが行われつつあるらしい。
ローマへの放火とキリスト教徒の大虐殺で暴君として知られるネロについても、後代の皇帝やキリスト教徒たちによって喧伝された虚像の部分が大きいという。
 このような、次世代の権力者による前代の権力者に関する歴史の改竄は他にもいくつもあるはずだ。
しかし『平家物語』は、決して虚構がないわけではなく、作者たちの意図的な改竄(重盛や教経の美化など)はあるものの、平家の悪行については特に捏造していない。
むしろ、戦闘の成り行きから偶然に大仏を焼いたことへの重衡の強い反省や、清盛の法皇への深い憤りを明確に記して、彼らの言い分を充分に伝え、その悪行を相対化している。
 庶民はもちろん貴族も武士も皆、琵琶法師の語りに酔いしれて涙していたという中で、「亡ぼされた者たち」にこれだけ言いたいことを言わせても誰も罰せられなかったし禁じられなかったというのは、まあ諸外国でも共通する時の権力者を風刺した喜劇やアウトロー伝説の人気のようなものでもあろうが、『平家物語』が、いくら平家に同情し共感しても「彼らはおごって悪いことをしたから亡びてもしかたがない」という枠組みの中で、それを語ってからだろう。
しかもその肝心の悪いことについては、ほとんど何も示さないままでだ。
 もちろん、この枠組みは、それを否定するような事実がどんなに提示されていてもなお、その枠組みにしたがって受けとめられ、聞き手や読者が勝手に歪曲増幅してしまうとう危険もはらむ。
樋口大祐『変貌する清盛――平家物語を書きかえる――』(吉川弘文館)が詳細に検証するように、後代の文学では清盛は卑俗化されて行き、江戸時代の浄瑠璃「平家女護島(へいけにょごのしま」(近松門左衛門、1719年)では徹底的に卑猥で無能かつ横暴な権力者として描かれた。
だがその一方、橋本治『浄瑠璃を読もう』(新潮社)が「義経千本桜」(竹田出雲・他、1747年)に関して、平家は悪だったのかという点について作者たちは強い疑問を提出している、的確に読み解いているように、そういう疑問を生むしかけも、充分に『平家物語』には用意されている。
 現代の多くのドラマで、清盛はおおむね肯定され美化される。
新鮮な解釈のように見えて、それもまた、もともと『平家物語』がひそかに(いや、大ぴらに?)さし出していた要素の自然な結実と言ってよい。
 先にあげたミステリ『時の娘』の題名は「真理は時の娘」という古いことわざによっている。
どのように糊塗され抹殺され偽られた事実も、時が経過すれば必ず明らかにされるという、このことわざを現実にして行くには私たち自身が真実を知り、過去と向き合うことを恐れず、たゆまぬ努力をするしかあるまい。
 だが、ものごとにはさまざまな伝え方があり、真実には、さまざまな守り方がある。
『平家物語』の完成に関わった有名無名多くの作者たちが期せずして作り上げた、「平家は悪という形式をとりながら、その長所や美点を伝えて残す」という表現も、その一つであり、同じ限界と危険を承知の上でなら、現代の私たちが時には利用していい手法かもしれない。
 3 尾崎士郎訳のすぐれたテキスト

 『平家物語』の、この高級なテクニックを味わっていただくには、むろん、作品を読んでもらうのが一番いい。
原文の文章は古典としては大変わかりやすいのだが、歴史的な記事もたくさん混じるし、人の名前も多いので、とりあえずダイジェストや児童文学でざっと読むのも悪くない。
だが、これだと、その作者の解釈や好みもかなり入るから、全文の現代語訳が本当は何より望ましい。
とは言え、まじめな解説付きの逐語訳では、原文以上の冗長さや退屈さに、きっとうんざりさせられる。
 「国民文学」と呼ばれたほど多くの人に親しまれた『人生劇場』をはじめ、「石田三成」などの歴史小説も多作した尾崎士郎は、そういう点で本当に理想的なテキストを残した。
幼いころから薩摩琵琶を愛し成長してからは自ら弾いて歌いもした中で、この物語とめぐり合った作者は、耳からの音を通して『平家物語』を血肉に溶かしこんでわが物にしている。
冒頭の有名な「祇園精舎」の一段は、序詞として最初の原文だけを紹介するにとどめ、一気に平家一族の興隆の過程をたたみかけ、清盛の父忠盛のエピソードを、さりげない背景や解説の補充、くだけた会話文を駆使して、原作以上の躍動感ある場面にしあげる大胆さには、なみなみならぬ自信のほどが見てとれる。
 それは全体を通して変わらない。
過不足なく挿入される、状況把握のために必要な情報、現代風でありながら格調を失わないせりふ回し、さりげなく随所に追加される風景描写や心理描写、すべてが『平家物語』の各場面を読者に正確に伝えようとするサービス精神に満ちている。
いちいち書いてもしらけるだけだが、たとえば、祇王を寵愛する清盛のもとへ新人白拍子の仏御前が押しかけたときの、使用人らの興奮ぶり、殺される宗盛の幼い息子副将や、救われる六代御前ら愛らしい少年たちのいじらしさなど、『平家物語』を愛した人ならではの想像のたくましくした、原作にない表現が、極上の調味料のように素材を味わい深くする。
 その一方で、たとえば宗盛に制されて裏切り者の阿波民部を殺せなかった知盛について「唇をわなわなとふるわせながら」と細かい描写を加えながら、石母田正『平家物語』(岩波新書)が注目して以降、知盛の代名詞のように有名になった「見るべきほどのことは見つ」の名文句は記されない。
原作の愛読者にとっては、そのような発見もまた面白い。
 何よりよいのは、先に述べたような『平家物語』の枠組みと齟齬を、無理に統一したり、つじつまをあわせようとしたりせずに、原作そのままの矛盾する要素を自然に残していることだ。
原作の精神を感得しているからこそできることであり、だからこそ、原作に詳しい人も、またまったくの初心者も、安心してこの現代語訳を通して『平家物語』という作品の危険な魅力を存分に体感できるのである。
   (国文学)
(『現代語訳 平家物語(下)』尾崎士郎 岩波現代文庫 2015年)

ロシアでウクライナ侵略の真実を明らかにできる日がくるのだろうか…