2020年2月21日金曜日

風もなく穏やかな朝

天気がよくて、穏やかなんだけど、
昨日から花粉の飛散が多いとの情報…
21日は洗濯日和! でも花粉は多く飛びそう」(えりの気象日記 2月20日)
2月21日 
 夏目漱石が博士号を辞退した。 1911(明治44)年
 前日の夜10時ごろ、入院中の漱石の留守宅に、文部省から彼に博士号があたえられたと通知があった。
翌21日午前10時から文部省で医学・文学両博士の学位授与式があった。
医学博士には黄熱病の研究で知られた野口英世ら4名、文学博士には漱石のほかに佐佐木信綱(のぶつな)、幸田露伴(こうだろはん)、有賀長雄(ありがながお)、森槐南(かいなん)が選ばれた。
 漱石はこの式に欠席し、その夜、文部省にあてて博士号を辞退するという書面を提出した。
それには「今日迄ただ夏目なにがしとして世を渡って参りました。是から先も矢張(やはり)ただ夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります」と述べられていた。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
新型コロナウイルスのことが心配ですが、
私の場合は、主治医からインフルエンザを発症したら重篤になると注意を受けています。
私のような持病のない方は、インフルエンザと同じような対策をすればいいのではないかと思います。

インフルエンザは、予防のワクチンがあるのですが、これも型が違えば発病します。
2月17日の記事に書いたようにアメリカでは1万人以上の方が亡くなっています。
新型コロナウイルスもその正体が分かるに従って冷静に対応できるようになると思います。
ただ、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で多くの感染者が出たことについて
しっかりした検証が行われなければ、世界からの批判に答えることはできないと思います。
クルーズ船 「客室待機以前に感染か」 感染症研究所など見解〟(NHK)

で、この季節は、ウイルスだけでなく花粉症からもマスクで身を守るしかないのだけど…
花粉症について岩波書店の月刊誌『世界』に「花粉症と人類」という連載記事が載っています。
3月号から「花粉症と人類 第3講 ヴィクトリア朝の貴族病」の最初と、その後の項目を転記しますφ(..)
連載「花粉症と人類 第3講 ヴィクトリア朝の貴族病」 小塩海平
嘲笑の「新・文明病」
 大英帝国がその絶頂期ともいうべきヴィクトリア時代(1837-1901)を迎えようとしていた1819年、「夏カタル」という名のもとに、花粉症はひっそりと産声を上げた。
ロンドンをはじめとする大都市において、黒死病(ペスト)やコレラ、赤痢などの感染症が猛威を振るい、結核、痛風、神経衰弱、不眠症、ヒステリーなどが、いわゆる都市文明病として医師たちの関心を集めていた時代のことである。
(『世界 2020年3月号』岩波書店)
 新規の文明病の中で、花粉症は異端児であった。
重篤な急性疾患ではなかったため、さっそく「船酔いと花粉症は、十中八九、同情ではなく嘲笑を買う」と揶揄(やゆ)された。
下船すれば嘘のように治ってしまう船酔い同様、花粉症もまた、シーズンが終われば、何事もなかったように過ぎ去って行く。
太陽や外気を避け、涙や鼻水を垂らしながら部屋に閉じこもっている花粉症患者は、潮風を受けて爽快な航海を楽しんでいる中、一人だけ船倉で嘔吐している哀れな船酔い患者の姿を彷彿(ほうふつ)させる。
そんなわけで、苦しんでいる当人にとっては深刻であっても、死や感染のおそれがない花粉症の研究は、遅々として進展しなかった。
 「夏カタル」の原因究明に挑んだのは、自ら花粉症を罹患(りかん)した医師たちである。
やがて、その原因が花粉にほかならぬと確認された1870年代になると、花粉症はもはや奇病ではなく、社会的地位の高い教養あるアングロサクソン人限定の貴族病に変貌を遂げ、ある種のステータスシンボルとなるに至った。
「憎まれっ子、世にはばかる」というべきか。
 第3講では、産業革命に伴って小さな影法師として立ち現われ、やがて絢爛(けんらん)たるヴィクトリア朝を等身大に映し出すほどの立派な文明病にまで成長した花粉症について、ジョン・ボストック(1773-1846)とチャールズ・ハリソン・ブラックレイ(1820-1900)という二人の偉大な研究者に注目しながら素描してみたい。
医学界に初登場した花粉症
 1819年3月16日、ジョン・ボストックは8歳の時から長年にわたり苦しんできた自分自身の経験をロンドン内科外科学会で発表した。
……略……
(以下、項目だけを紹介します)

ボストックの第一講義

ボストックの第二講義

諸説紛糾した病因論

花粉症研究の父、ブラックレイ

ブラックレイの身体を張った実験

ブラックレイの浮遊花粉測定

ブラックレイによる貴族病の説明

ステータスシンボルとしての花粉症

花粉症研究のその後
……略……
(4月号で)
 第4講では、新大陸に目を転じ、アメリカのフロンティアスピリットとブタクサ花粉症との関係をひもといていこう。
(『世界 2020年3月号』岩波書店)
昨日は、出雲の阿国が江戸城内で歌舞伎を踊った(1607<慶長12>年)日だと紹介しました。
出雲の阿国とは時代がかなり離れていますが(*´▽`*)
神話からみた古代人の世界』より「踊りで女神を笑わせたバウボとアメノウズメ」を転記しますφ(..)
2月12日の記事にある
死者の国に妻を奪われたオルペウスとイザナキ」も参照してください。
踊りで女神を笑わせたバウボとアメノウズメ
 イザナミとペルセポネはどちらも、もとは地上で暮らしていた。
ところがどちらも地下の死者の国に来て、そこで食べ物を食べてしまった。
そのためにどちらも、せっかく地上に連れもどそうとして迎えに来てくれた神さまがあったのに、死者の国を離れることができなかった。
そしてイザナミも、ペルセポネと同じように、地下の世界に死者たちを迎えて支配する死者の国の恐ろしい女神さまになった。
というのは、イザナキと最後に夫婦の別れをしたときに彼女は、「これらかわたしは毎日、地上に住む人間を千人ずつ死なせることにします」と宣言し、そしてヨモツオオミカミと呼ばれる、黄泉(よみ)の国の主の偉い女神さまになった、といわれているからだ。
(『日本人はどこからきたかシリーズ 神話からみた古代人の世界』
  吉田敦彦監著者 福武書店 1986年)
 ペルセポネとデメテルを主人公とするギリシア神話のなかには、ほかにもまだ日本神話とよく似たところのある話がいろいろ見つかる。
まずペルセポネをハデスが地下にさらっていったことを怒ったデメテルが、神さまたちとのつきあいをやめて、エレウシスにやって来たときに、彼女は土地の王さまの一家から、親切なもてなしを受けた。
ところが彼女は、大切な一人娘をさらわれた悲しみと怒りのために、口をかたく閉じていて、何を聞かれても一言も返事をせず、食べ物も飲み物もいっさい口に入れようとはしなかった。
それを見たバウボという名の女が、女神さまの前で、こっけいに自分の体の秘所をむきだしにして見せた。
これを見てデメテルも、あまりのおかしさについ笑ってしまい、そのあとでペルセポネをさらわれてからはじめて食事をとったという。
 (あま)の岩屋の神話のなかには、これとほとんどそっくりと思えるような事件が出てくる。
なぜならアマテラスオオミカミが隠れた岩屋のかたく閉ざされた戸の前で、アメノウズメという女神さまが、踊りながら乳と秘所を出して見せ、見ていた神さまたちをどっと大笑いさせた。
そうすると、閉じていた岩屋の戸がすこし開いて、中からアマテラスオオミカミがアメノウズメに話しかけ、それがきっかけとなって、神さまたちがアマテラスオオミカミを、岩屋から引きだすことができたといわれているからだ。
 デメテルがハデスの乱暴を怒って、神々とのつきあいをやめてしまったように、アマテラスオオミカミもこのとき、スサノヲからひどい乱暴をされたことを怒って、神さまたちから離れ、一人だけ岩屋に閉じこもってしまっていた。
 このように男の神さまから乱暴を受けて、腹を立て、ほかの神さまたちから離れてしまっている女神さまの怒りをなだめるために、どちらの神話でも女性の体の秘所が、見ているものが笑わずにいられないようなやりかたで、むき出しにされている。
そしてそれによってどちらの場合にも、女神さまがすこしきげんを直したことになっている。
(『日本人はどこからきたかシリーズ 神話からみた古代人の世界』
  吉田敦彦監著者 福武書店 1986年)
今朝の父の一枚です。
近くに私もいたのですが、ジョウビタキ♀に気がつきませんでした(^^ゞ

追記)
大家さんと僕」がアニメ番組(5分)になります。
3月2日(月)~6日(金)[総合]後11:45~11:50