2020年2月15日土曜日

霧の朝

今朝は、霧で空が暗かったです。
太陽が雲を通してぼんやり見えました。
雨ではなかったのですが、水滴がいっぱい(*´▽`*)
中傷、過剰反応…11年前に学ぶ、新型肺炎の向き合い方」(朝日新聞 2020年2月14日)
今でも感染者がまるで犯罪者のように受け取られ方をしているような気がします。

感染症専門家『いつどこで感染起きてもおかしくない状態』」(NHK)
日本でも医師や救急隊員が感染するのですから
私も感染する可能性は大きいと思っています。
心臓機能が低いので重症になるでしょうし、
場合によって助からないかもしれない。
正直恐いけど、だからと言って、過剰反応をしても仕方がないと思っています。

新型ウイルス『世界が日本の対応を注視』WHO進藤氏」(NHK)
昨夜のららら♪クラシック
チェコ ふるさとの響き~“モルダウ”と“スラブ舞曲”~」(再放送、2月20日 午前10時25分~)
以前放送された2曲を再編集していますが、
今月の100分de名著「ハヴェル 『力なき者たちの力』」を理解するのに参考になると思います。

ドキュメント72時間「神戸 あの日のピアノを弾きながら」もよかったな…
夢が叶わず自殺未遂を繰り返していた人が、
偶然、音大を卒業後、20年間連絡を取っていなかった同級生と
再会して生きる希望を見出していました。
その後に、満一歳の赤ん坊が
ピアノで音を鳴らしたときの笑顔がとってもかわいかった(*´▽`*)
他にも素敵な物語が淡々と流れていました。
(再放送:2月22日(土)午前11時25分~)
NHK映像ファイル あの人に会いたい「緒方貞子(元国連難民高等弁務官)」
10分番組ですが、緒方貞子さんの言葉は重いです。
(再放送:2月21日(金)午後1時50分~)

「現場に行かないと
抽象的に考えていたものは
本当に効果がないです。
現場が分るとそういうことが出てくる。」

「(2007年、上智大学の講演で)
私は、今、非常に日本は内向きになっていると思います。
これは外国人労働者の問題もありますし、
それから難民の受け入れにも問題があるのですね。
非常に少ないんです。
それはやっぱりあまりに自分たちのこと
あまりに日本の内向きのことばかり考える
上から下まで
自分の事だけじゃなく
広がりをもった日本を作っていただきたい。」

「向き合ってぶち破っていかないと
向き合って進んでください。
乗り越えるためにある
危機とか難局は」
2月15日 
 藤原清衡が平泉に中尊寺を造立した。 1105(長治<ちょうじ>2)年

 奥州(おうしゅう)藤原氏の祖清衡(きよひら)は、前九年(ぜんくねん)・後三年(ごさんねん)の役(えき)の死者をとむらうために、その本拠地平泉(ひらいずみ)に中尊寺(ちゅうそんじ)を建てた。
「中尊寺経蔵文書(きょうぞうもんじょ)」によると、それはこの日に造立(ぞうりゅう)されたということである。
中尊寺の堂宇は清衡のの時代に25にもおよび、有名な金色堂(こんじきどう)は1124年に建てられた。
その後清衡の子基衡(もとひら)、その子秀衡(ひでひら)のころにはさらに建て増しされて40宇にも達し、金銀らでんをちりばめた豪華けんらんの建物群は見る人をおどろかせた。
 清衡は、藤原道長の法成寺(ほうじょうじ)、頼道(よりみち)の平等院の向うを張って、それに負けない意気ごみでこれをつくったらしい。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
昨日紹介した
チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石
を読んでいると、世界史をこんなふうに学ぶと面白いなと思いました。
ココアについて、こんな話が載っていました。
「カトリック信徒の問い――薬品か食品か」より)
……略……
 カトリック修道会の教団運営の資金源として、カカオは不可欠のものだった。
ここで論争になったのが、ココアは「薬品は、食品か」「飲み物(液体)か、食べ物(固体)か」という問題である。
カトリックには、春のイースター(復活祭)前の四旬節などに断食する習慣があった。
「薬品」であれば断食中も摂取「可」、「食品」は「不可」だった。
また、「液体」は摂取「可」、固体は「不可」だった。 
(『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石
  武田尚子 中公新書 2010年)
ココアの宗教的論争
 ココアをめぐる宗教的論争は「薬品か、食品か」「液体か、固体か」だった。
カカオが栄養価に富み、健康増進に効果的であることは、経験的に認められていた。
カカオマスを湯に溶いて、泡立てたドロドロの状態は、液体、固体のどちらにもあてはまりそうだった。
栄養が不足する断食期間に、滋養に富むココアを摂取できるほうがカトリック教徒たいには好ましい。
1569年にローマ教皇ピウス五世は、実際にココアを味わって、「飲料であり、断食中に摂取して可」という判断を示した。
 しかし、「脂肪分に富み、体温を上昇させる効果がある」等を根拠に、食品であると主張し、戒律違反を批判する医者が跡を絶たなかった。
「薬品か、食品か」という論争は16~17世紀にほぼ100年間にわたって続いた。
砂糖を入れたココアは実際に美味に感じられ、ココアの機能を「薬品」に限定する社会的合意を形成することには無理があったといえよう。
 このように、17世紀に「薬品か、食品か」を問われた新来の産物はカカオに止(とど)まらない。
17世紀には茶、コーヒー、ジャガイモ、トウモロコシ、タバコ、トマトなど、新世界から渡来した産品が増えた。
社会のなかで新奇な物産をどのようなカテゴリーに位置づけるべきか論争が起きた。
未知の味に誘惑されて口にすることを、「悪」とみなす宗教的規範も強かった。
エデンの園の「リンゴ」が、人間の原体験として重要な意味を持つ宗教的環境であったから致し方ない。
 新来の産物はおもに二つの論争を経て、食品として徐々に受け入れられていった。
宗教的論争と医学的論争である。
砂糖も同様の過程をたどった。
12世紀に『神学大全』を記したイタリアの神学者トマス・アクィナスは、「砂糖は消化促進に効果がある。薬品である、食品ではない」という結論を述べた。
医学的に権威があったイタリア・サレルノの医学校の医学書にも、砂糖に薬効があることが記されていた。
 医学的権威に拠(よ)って「薬品」として認められることは、宗教的批判に対抗する手段になった。
結論が出ない論争に、聖職者や医者が延々と関わりを続けている間に、貴族層は新来の味を試し、美味に慣れていった。
需要が増し、信頼の産品の流入量が増えて、価格がいくぶん低下し、新来の味は貴族層から市民層に広がっていった。
カカオの医学的論争
 カカオは実際に栄養価に富み、薬効があったから、「薬品」として着実に定着していった。
当時の医学理論にもとづくと、カカオの薬効はおおよそ次のようなものだった。
 中世のヨーロッパでは、体液病理説という医学観で、病気の診断が下され、薬が処方された。
体液病理説は、古代ギリシャのヒポクラテスが創始し、ガレノスが発展させたといわれている。
人体には、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四つの体液があり、バランスが良ければ健康、崩れて病気になる。
四つの体液は、「熱」「冷」と「乾」「湿」の組み合わせ四通りのいずれかに分類される。
病気を直すには、原因と正反対の薬品が処方された。
「熱・乾」がまさって病気が起きている場合は、「冷・湿」の薬が処方された。
 カカオをはじめとする新来の産品は、体液病理説にもとづいて、「熱」「冷」と「乾」「湿」の四通りのいずれに該当するか、分類が試みられた。
体液病理説によれば、ある一つの物産は、四通りのいずれか一つだけに該当する。
二つ以上に該当することはありえなかった。
 ところが新来の産品をめぐって、体液病理説に混乱が生じた。
たとえばカカオには「冷・乾」と「熱・湿」の両方の性質が見られた。
正反対の性格である。
それまで、体液病理説では、同一物が正反対の性格を兼ね備えることはなく、学説的にそのようなものはありえなかった。
新来の産品のなかには、体液病理説の四つのカテゴリーにうまくはまらないものが出てきたのである。
ちなみに、カカオの「冷・乾」は、ポリフェノールの苦味・渋味を表現し、「熱・湿」は脂肪分が多く、ミネラルに富む点を表現したものだろうと考えられている。
 スペイン、メキシコ、ポルトガル、イタリア、フランスの医者の間で、ココアは「冷・乾」か「熱・湿」かをめぐって論争が生じた。
処方を必要とする状況が正反対なので、医者にとっても重大事である。
 たとえば、スペイン・セビリア出身で、メキシコに移住した医師フアン・デ・カルデナスは、1591年出版の自著に次のような見解を記した。
カカオは本質的に「冷・乾」である。
摂りすぎると、体液の循環が悪くなり、憂鬱質(ゆうつしつ)が増す。
摂りすぎを節制しなければならない。
栄養に富み、脂肪が多い点は「熱・湿」である。
かすかな苦味も感じられ、これは「熱・乾」を示唆している。
この苦味成分は、胃の消化を促進する。
カカオには、異なる三つの性格が認められる。
すぐれた薬剤なので利用したほうがよい。
ココアに加える香辛料で調整して、カカオの三つの性格のうちのいずれかを際だたせるように処方するとよい。
 体液病理説にもとづく医学観では、カカオの多様な効能を筋道をたてて説明することは難しく、その後も医者の論争は続いた。
やがて、医学そのものが体液病理説を脱して、血液循環説へと移行していった。
 カカオ、ココアの受容をめぐって、このように聖職者や医者が介在して、長期にわたる論争を繰り広げた。
カカオに関心が集まり、社会的に浸透しつつあったことの反映だったといえよう。
(『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石
  武田尚子 中公新書 2010年)
今朝の父の一枚です。
空が暗く、せっかくメジロやモズ、シメなどに出会っていたのですが
黒くつぶれてしまっていました。
でも、プリントしてあげると父は満足しているみたい(^^)v
河津桜が満開近くになっています♪