2020年2月1日土曜日

2月が始まりました…

昨日今日と風が冷たく寒かったですが…
朝のニュースを見ていると「大暖冬」という話。
冬の寒さで、害虫(人間にとってだけど)が減るのに、
今年の夏は、例年以上に蚊やダニ、カメムシなどの害虫に悩まされるのかな…(-_-;)
夕方、妹と買物に行ったついでに薬局でマスクと消毒薬の棚を見ると空っぽ…
店員さんに入る予定はありますかと聞くと、分からないそうです。

新型肺炎 アジア系住民への差別的な言動が問題に フランス」(フランス)
これに似たことは日本でも起きている(ヘイトスピーチが公然と行われている)

このような差別的言動が生まれるのは、
昨日の記事で紹介したように江戸時代や明治時代になかなか種痘が広まらなかったように
現代人も「新しい病(新型コロナウイルス)」に対して無知から生まれてくるのだと思います。
医の民俗』を読んでいると興味深いなと思います。
残念ながら「品切れ中」で古い本なので再版は難しいかな…
で、「呪術による治療」を転記したいと思いますφ(..)
転記しがら、今でも寺社などで行われている行事が思い出されました。
呪術による治療 
 一 内科治療の方法

 現在の日本人は、風邪をひいて、その原因がウイルスによるものだとわかれば、抗生物質などを用いて、科学的に治療する。
科学的医療は、病気に対する正確な知識にもとづいて、適切な処置をとることである。
ところが太平洋諸島やアフリカ大陸など、文化のおくれている原住民の間では、先進文明国の人びとほどに、病気に対する正確な知識を持ちあわせていない。
(『医の民俗 日本の民俗学シリーズ7』根岸謙之助 雄山閣出版 昭和63年)
 しかしながら知識がないからといって、現実に病気に苦しむ人びとは、文化が進んで病気に対する正確な知識を持てる時代が到来するまで待っているわけにはいかない。
そこで当面する現実の苦しみを克服するために、有り合わせの知識で、これに対処するほかはない。
病気を人形に移して、これを川や海に流すとか、粘土で作った患者の模型で病人のからだをこすり、道路に埋めて、他人に踏ませることによって、病気を他人に転移させるといった呪的行為が、病気に対する正確な知識を持つ文明人からみて、いかに荒唐無稽であろうとも、彼らにはそれ以外の知識を持ち合わせていないのだからしかたがない。
彼らはわれわれ文明人ほど、病気に対する正確な知識を持っていない。
だから実際病気になった時に、その処置をどうしてよいかわからない。
しかもそのわからないことが、彼らの生死にかかわることだとすれば、手をこまねいて坐視するわけにはいかない。
呪術的治療が行われるゆえんである。
 半世紀前までの日本の庶民が、アフリカの原住民と同じような呪術による医療にたよっていたのも、まったく同じ理由からである。
インフルエンザに対する正確な知識を持たず、したがってまた決定的な治療法もなかった当時においては、現実の病苦をのがれるためには、有り合わせの知識で間に合わせるほかななかったのである。
煎り豆と銭を紙につつんで病人の身体を撫でて、三本辻へ送り出すとか、葬式の枕だんごを煎じて飲むとか、ニンニクを玄関にぶら下げるといった行為が、正確な知識にもとづく科学的な医療を、日本人全体が容易に受けられるようになった今日からみて、いかにばかげていようとも、その当時は、そのような方法をとるほかに適当な知識を持ち合わせていなかったからである。
 呪術はそれがいかにまちがった知識であったとしても、当面する現実生活に有効と考えられる唯一の生活技術なのである。
科学技術をもってしても克服し得ない事態に当面すれば、文明人であっても、そこのはかならず呪術が行われる。
その証拠に、数年前の夏、旱魃のために水田が干あがった時、群馬県高崎市の市長は、自ら雨乞いの神とされる榛名神社に雨乞いに行ったのをはじめとして、県下各地で雨乞いがさかんに行われたのである。
  風邪 
 風邪をひいた時には、さまざまな呪術によって治療する。
それは次のようなものである。
すなわち、三本辻に風邪の神を送り出し、後ろをふり向かずに走って帰る。
炒り豆または炒った豆と銭を半紙に包み、家族全員のからだを撫でてから、三本辻に捨ててくるといった方法が全国的に行われた呪術である。
 群馬県新田郡藪塚本町では12月15日に、幣束を立てたターラッペシ(俵の蓋)に棒を2本とおしたものを、子供がかつぎ、ムラ中をまわり歩く。
その際「風邪の神送るよ」と唱え、念仏鉦を叩きながら歩く。
すると家々からそれぞれ10円銅貨をおひねりにして、家中の者の身体を撫でた後、持って出てターラッペシに上げる。
風邪の神は最後に火葬場に持って行って捨ててくる。
子供たちはもらった銭で菓子などを買って食べた。
この行事は昭和58年まで行われたが、翌年筆者が写真撮影に行ったところ、子供たちが学校の勉強が受験シーズンに入って忙しく、人数が集まらないということで、風邪の神送りの行事は中止となった。
インフルエンザ猖獗(しょうけつ)の季節と受験シーズンが重なり、子供たちにとってはインフルエンザよりも高校入試を脅威と感じているからであろう。
 風邪の神送りの呪具であるターラッペシに立てた幣束は、風邪の神のシンボルである人形(ひとがた)であろう。
人形に病気を転移して、これを火葬場へ送り出して葬り去ろうというのである。
このような呪術は、日本人に固有の習俗というわけではない。
台湾の原住民は、病人の髪の毛や衣服を、ツァウラン(草人)または土地公と称する木像に着せて海に流し捨てる。
アフリカのウガンダの遊牧民であるバ・ガンダ族は、病気にかかると、それを人形に転移させる。
呪医が粘土をこねて患者の模型を作り、患者の身内の者がこの像を病人の身体にこすりつけ、それを道に埋めたり、道端の草むらにかくしたりする。
この像を踏みつけた最初の人あるいはその傍を通る最初の人が病気を受けるのである。
 鹿児島県の奄美諸島では、流行性感冒(インフルエンザ)のことをハヤリカゼクチと呼んでいる。
この病気にかかった時は「あしかで、きよかで、清め給え、むぞれれいほう、しんどがなし、くすりとなあれ、たまがわのみず」と唱え、瓶に水を入れて、その瓶の口に口をつけて右の呪文を3回繰り返して唱え、3回息を吹きかけてからその水を患者に飲ませる。
 京都の東山区西野山にある花山神社の火焚き祭りでは、火の中に投げ入れた蜜柑を食べると風邪が治るといわれ、祭りの当日は、蜜柑を競い合って拾う人びとで境内が賑わう。
また上京区の西陣周辺では、風邪がはやる時には、蟹の甲に墨で子供の名を書き連ね、家の廂(ひさし)にかけておく。
こうすると風邪を引かないと信じられた。
口丹波地方では、菊の葉を節分の日に燃やしてあたると風邪をひかないと言われているが、風邪をひいた時には、小さい人形を作り、人に見られないように道端に捨てておく。
こうすれば、その人形を拾った者に風邪が移り、捨てた者は全快するということである。
 風邪のはやる時の予防法はいろいろある。
ヒルッタマ(ニンニク)を袋に入れて子供の腰に下げさせたり、家のトボグチ(玄関)に下げたりする。
冬至の日にナスの枯木を燃やしてその火にあたる。
桑の木に大豆を炒っておひねりにして吊しておく。
台所へ「風邪の神ここを都と思うなよ行く先々に都ありけり」と書いた紙を貼っておく。
群馬県内の各地では今も旧暦6月1日に八丁ジメと称するものをムラ境に立てる。
大きな草鞋を作って吊しておく所も少なくない。
邑楽郡大泉町寄木戸では、秋に厄病を予防する目的でムラ境へ八丁ジメを張る。
道の両側に杉丸太または真竹の丈三ものを立ててこれにシメ縄を張り、竹に行灯をとりつけ、当番制で毎晩明りをつけに行く。
秋の取り入れが一段落すると作り、一カ月ぐらい張っておく。
「八丁ジメを越えて、ひとの部落へ来るんじゃねえ」と唱えながら行灯に火をともすのである。
(『医の民俗 日本の民俗学シリーズ7』根岸謙之助 雄山閣出版 昭和63年)
・続きは後日、転記しますφ(..)
今朝の父の一枚です(^^)v
出発する前、腰が重い感じがするので少しだけ歩こうかなと言っていたのに
ジョウビタキ、メジロ、シジュウカラ、モズなどいろいろ出会えたので気分良くなったようです。
私が駐車場に戻ってから、だいぶたってから父が戻ってきた(*´▽`*)