2020年2月13日木曜日

雨の後

予報通り雨が止んでくれたので出かけましたp(^^)q
歩いている間は、曇り空で、気温が高くセーターを脱がないと汗が出そうでした。
公園を出る頃には青空になりました。
2月13日 
  明治政府が平民に姓をつけるように命じた。 1875(明治8)年

 文明開化の波が徳川時代の古いきまりを一つ一つ廃止していくなかで、この日、明治政府は国民の全員が必ず姓をつけるように命じた。
 政府はすでに平民にも苗字を許していたが、ほとんどの平民はまだ苗字を持っていなかった。
農民は名前だけで呼ばれ、町人は屋号で呼ばれていた。
だから急に苗字をつけろと言われても、字が読めなかった農民や漁民などは、どんな姓をつけてよいかわからなかった。
そこで人々は名主(なぬし)や神主、お寺のお坊さんなどに相談に行った。
神主やお坊さんは身近な場所の名前を次から次につけていった。
農村では「上田」や「中田」など田のつく姓が多くつけられ、漁村では「浜口」「浜田」などから「鱸(すずき)」や「鯛(たい)」などの魚の名前もつけられた。
また山村では「熊」とか「猪(いのしい)」などというかわった苗字をつけられた人もいた。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
歴史秘話ヒストリア「ニッポン鉄物語 “奇跡の金属”が列島を変えた
を見ていると、弥生人と朝鮮の交易、交流が興味深かったです。
再放送は未定のようですが…
ニッポン鉄物語"奇跡の金属"が列島を変えた」(NHK 関西ブログ)

前の記事で 『神話からみた古代人の世界』からギリシア神話と日本神話とが似ている話を紹介しました。
この本は、まだまだ興味深い話が載っているのですが
今日は『日本神話の謎』から
沖縄のアマミキョ神話 イザナキ神話との類似性」と
天孫降臨神話1 よく似ている朝鮮建国神話」を紹介したいと思います。
沖縄のアマミキョ神話 
  イザナキ神話との類似性
 アマミキョは、古い沖縄の国土創造の神である。
これは同時に人間の祖先でもあり、農作のもたらし手でもあるとされる。
これが不思議とイザナミと似た神話をもっている。
(『日本神話の謎 古代学ミニエンサイクロペディア2』
  松前健 大和書房 昭和60年)
 16世紀から17世紀にかけての神謡集『おもろさうし』には、太初に日神があって、下界を望むと、島のようなものがあったので、アマミキョ・シネリキョの神に命じ、国土を造らせた。
この神は、天降って多くの島々を造ったが、日神は待ちきれず、そこに住む者は天界の人でなく人間を造れと命じたという。
 袋中(たいちゅう)上人の『琉球神道記』(1605)では、昔、シネリキュとアマミキュという男女のふたりが天降って住み、この漂う島の上に草木を植え、国土の形を整えた。
ふたりは交合はしなかったが、風が媒介となって女が娠(はら)み、三人の子を生んだ。
それぞれ貴族の祖先、祝女(ノロ)の祖先、庶民の祖先となったという。
『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』(1650)では、天帝が阿摩美久(あまみく)に命じて波に漂う国土を固成するようにといい、これによって彼は天降って土石や草木を海中に下してたくさんの島々を造った。
つぎにふたたび天に昇って天帝に人類の種を乞(こ)うと、天帝がその一男一女を降した。
二神は男女の交わりはしなかったが、女神が風を媒介として娠み、三男二女を生んだ。
それぞれ国王、按司(あじ)、百姓、宮廷巫女(みこ)、祝女の祖となった。
最後に天上から五穀の種子をもらい受け、これを播(ま)き、その収穫で神々を祭ったという。
これをみると、アマミキョは、ときとしては男女の二神となっていて、イザナキの二神と似ている。
アマミキョという名は「遠い海の人」という意味であるといわれるが、イザナキ・4イザナミのナギ・ナミが海の波浪に関係するといわれているのと似ている。
最初の国土が浮き漂うという観想も、両者にあって共通な海洋民的な伝承である。
 違うところは、一方が矛で海中をかきまわすのに対し、他方は土石を投じることである。
また一方は性交をおこなっているのに、他方は風によって娠んでいることである。
 土や石を海中に投じる創世譚や、風による受胎譚は、オセアニアには広く語られる。
琉球のほうがより南方的な特色をもっている。
琉球神話には、人類の始祖伝説や農耕の起源が語られるが、イザナキの国生みにはこれがない。
しかし、後世の田植歌などにはイザナキが稲種をもたらしたことが歌われるから、古い素材にはあったのかもしれない。
海中に土石や草木の種子を下す創世譚は、中世の『伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)』に引く竹生島縁起見えるから、この型も日本にはあったのである。
 伊波普猷(いはふゆ)がかつてアマミキョ神話が古代の海人(あま)族の伝承の流れであろうと述べたのは、示唆的である。
イザナキ神話も、淡路の海人の伝承を素材としたものであるから、似たモチーフがあるのは当然である。
ただ一方は大和朝廷の系譜に採り上げられて政治的に整備・変形され、他方は民間的な原型を多くとどめているのである。
天孫降臨神話1 
  よく似ている朝鮮建国神話

 天孫降臨神話が、朝鮮の『三国遺事』の檀君(だんくん)神話や、同書の「駕洛国記(からくこくき)」に見える首露王の建国神話と酷似していることは、従来しばしば指摘されたところである。

『古事記』では、アマテラスと高木大神(たかぎおおかみ<タカミムスビ>)とが、アマテラスの御子のオシホミミを地上に遣わし、国土を治めようとするが、オシホミミの子のホノニニギが生まれたので、この皇孫が天降ることになる。
神勅とともに三種の神器が授けられ、中臣、忌部、猿女、玉作、鏡作の五部の伴造(とものみやつこ)の祖神、アメノコヤネ、フトダマ、ウズメ、タマノヤ、イシコリドメの五伴緒神(いつとものおのかみ)がこれに随伴し、日向の高千穂のクシフル峯に天降ったという。
 檀君神話では、天帝がその子の桓雄(かんゆう)に三符印という宝を持たせ、三人の風雨の神と三千の部下を伴に、太白山の山頂の檀という樹のかたわらに降下させ、その子が朝鮮を開いたという。
 こうした建国の祖の神人が山上に降臨するというタイプの王朝神話は、朝鮮ではほかにもいろいろと語られている。
『三国遺事』に見える、辰韓の始祖の神人が瓢嵓峯(ひょうがんほう)などいくつかの峯に天降ったという伝説も、そうした山上降臨型である。
 天孫降臨神話と、これら朝鮮の王朝神話との類似は、これだけにとどまらない。
もっとこまかい内容や言語上の一致までみられる。
 高千穂のクシフル峯のクシフルが、加羅の亀旨(クイムル)に通じること、またその峰が一伝にソホリとも呼ばれ(日本書紀の一書)、これが朝鮮語の「都」を表わす「徐伐(ソフル)、Sŏpŏr、Sopur、Sapur、Seoul」と通じること、五伴緒は、『旧事本紀』に見える、物部氏の五つの造(みやつこ)の率いる二十五の天つ物部というような神話とともに、古代の五を単位とする軍隊組織の存在を察知させること、など、岡正雄が指摘したとおりであろう。
 岡は、この日本上代の五部の組織は、古朝鮮の五部組織に由来すると述べている。
高句麗の支配族は、消奴部、絶奴部以下の五族に分かれていたし、また、百済の郡城所夫里[ソフリ(泗沘<しひ>)]は、上、前、中、下、後の五部に分れ、各部は五つの地域に区画され、おのおの五千の兵を有した。
岡はこの五組織が、アルタイ系遊牧民の社会組織・軍隊組織にもみられるという。
 こうしてみると、天孫降臨神話が、これら朝鮮系の王朝神話の影響下に成立したことは、疑うことはできないだろう。
 高木神という名は、檀君の檀が木の名であることとも一致し、こうしたモチーフの神話は、山や樹に神霊が降臨するという、北アジア系の信仰文化の所産であろうと、岡はいい、この伝承は、北方系の天神タカミムスビを奉じるツングース系支配種族が、五部組織をもち、朝鮮半島から日本列島にもちこんだものであると主張した。
これに対して、先住の農耕民は、母神アマテラスを奉じる東南アジア系の種族であり、日本の神話にアマテラスとタカミムスビの二神の併立がみられるのは、両種族の混融の結果であるというのである。
(『日本神話の謎 古代学ミニエンサイクロペディア2』
  松前健 大和書房 昭和60年)
今朝の父の一枚です(^^)v
今日は、父も私も別々に歩いているのにメジロによく出会いました。
ウメがいっぱい咲いているからかな(^_-)-☆