2019年12月31日火曜日

暖かい朝だったのに…

昨日は、部屋の片づけをしていて、万歩計が2000歩未満。
なのに公園を歩いている時(7000歩程)より疲れがひどかったです…
片づけられない症候群なので片づけようとしても
ついつい別のことをしたがるので越年…(-_-;)
今朝は、青空で風が吹いていても暖かいなと思っていたけど
次第に空が暗くなりだし寒くなった。
Eテレのこころの時代~宗教・人生~「命の輝きをうつす」
(再放送は1月4日土曜日、午後1時から、
デニ・ムクウェゲさんの「沈黙は共犯 闘う医師」
1月3日金曜日午後1時30分から)

2月にも見ているのに保山耕一さんの一言一言に、初めて見るような感動を覚えました。
保山さんは末期がんで余命宣告を受けながら撮影を続けておられる。
術後、排便障碍で出かける時は絶食で撮影されていると思う。
私は、常に腹痛や胸痛に悩まされているけど食事をして歩いている。
ガンではないので余命宣告は受けていないけど
いつ突然死してもおかしくないと主治医の先生に言われていた。
それでもほぼ毎日歩いていると気が紛れ
花や虫、鳥などを撮影ていると不安な気持ちを忘れている。
毎週、楽しみに見ているEテレの「グレーテルのかまど」
次回は「上野千鶴子 母の焼きりんご」で上野さんが登場するようです(^^)v
この番組を妹と見ながら瀬戸康史さんのお菓子作りの腕前に感動しています。
この番組の素晴らしいところは、専門家ではなく男子が作っているところだと思うな…
そして月一、最終日曜日の楽しみがEテレの「やまと尼寺精進日記
前から気になっていた蓮の実で数珠を作っておられた。
師走 冬至にかぼちゃ 数珠づくり
そして毎回、みなさんがわいわい楽しそうの料理を作っておられる様子が楽しいです(*´▽`*)
こちらも再放送があります。

追記)今夜のEテレN響“第9”演奏会の指揮者はシモーネ・ヤング
女性指揮者としてN響「第9」に初登場だそうです。
ブログで続けて「堀江六人斬り」について転記しましたが
今日は、大石順教尼のご著書『無手(むて)の法悦(しあわせ)』より
小鳥のおしえ」を転記したいと思いますφ(..)
(「第二部 筆を口にとりて」より)
小鳥のおしえ
 敬坊とは柳家金語楼への私の呼び名なのですが、いま、この金語楼を敬坊と呼びますのは、私くらいなものでございましょう。
しかし私は、永久に敬坊と呼びたいのでございます。
そうして金語楼の名声が高くなればなるほど、私は敬坊に負けない努力をつづけて学びたいのでございます。
こう申しますと、なんだ、この年とった尼坊主がとおっしゃるかもしれませんが、私は老い朽ちて骨ばかりになりましても、修養と勉強はしたい念願でいっぱいです。
死のきわまでも学びます。
と申しますのは、私にとりまして敬坊が一番こわい相手なのでございます。
敬坊は四六時中、たえず勉強をつづけています。
昼はもとより、夜も明け方まで仕事をしております。
いじらしいほど働いています。
私も日夜働きつづけてはおりますが、とても敬坊には勝てません。
しかし敬坊は、私にこう申します。
「姉(あね)さんにはくやしいが勝てない。姉さんは口でものを書くと思っていたら、今度逢ってみると義手をつけて書いていた。僕は負けたと、くやしくて一晩じゅうかんがえさせられた」
(『無手(むて)の法悦(しあわせ)』大石順教 春秋社 2008年新装版)
 さて、この敬坊と私のあいだがらでございますが、それはいまから50年近くも前のこと、私が三遊亭金馬の一座に加わりまして、松川家妻吉と名乗って各地を巡業いたしておりましたときのことでございます。
金馬の弟子に金登喜(きんとき)という6歳の子供がおりました。
それが敬坊で、私とは大の仲よしでございました。

 敬坊は子供心にも、両手のない私の不自由なからだをたえず気にかけてくれました。
旅興行の寒い楽屋の隅で、火桶をかこんでからだを寄せ合って出を待つ間にも、私の両手のつけ根は氷のように冷たくなっています。
血の気のないその冷えきった腕を、なんとか温めてやろうと、いとけない小さな手を火に温めては、私の腕にあててくれるのでした。
楽屋の隙間(すきま)もる風が身にしみるような寒々とした夜も、この敬坊の心の暖かさ感謝しながら、北陸の巡業を終えまして、春もようやく暮れようといたしますころ、私たちは青葉城下の仙台へとまいりました。
 なすこともない私は、不具の身の悲しさよりも、知識のない淋しさに、長い一日をもだえておりましたある日のことでございます。
どこかでしきりに小鳥の鳴く声がいたします。
その美しい声に惹かれながら、庭下駄をひっかけまして、どこ鳴いているのかと足音をしのばせてそっと捜しおりますと、緑の樹々の中の紅葉の枝に、一つの籠がつるしてありました。
籠の主は一番(ひとつがい)のカナリヤで、その籠をわが家として、二羽のカナリヤは嬉しそうにしておりました。
雄のカナリヤはうれしさに充ちた声で鳴いていました。
雌のカナリヤは巣の中にすわっていました。
それをじっと見ていました私は、羽根の脇から小さなものが動くのが見えました。
それは孵(かえ)ったばかりの雛を羽根の下に抱いているのでした。
それは親鳥のあまりに美しい生活と、尊い姿を見せてくれました。
 私ははじめて眼がさめたのでございます。
カナリヤには手がない。
羽根はあっても、この小さな籠の中では思うままに飛べない。
それなのに、なんの不平も悲しみもなく、美しい一日のいとなみをしているのです。
すべてを口で、仕事は全部口一つで……ああそうだ、私にも口はある。
この口で勉強すればできないことはない。
堀江のお養父(とう)さんは、日ごろなんといわれたか。
――人のすることは自分でできぬはずはない。すべて努力だ。真心だ。精神だ―といわれたではないか。
私は学ぼう。まず知識だ。勉強しよう。カナリヤよ、有難う。
私は大きなものを発見いたしましたような気持で部屋に帰り、このことを母に告げました。
そして驚いている父に墨と紙を買ってきてもらしまして、字のお稽古をはじめたのでございますが、もとより、筆は思うままに動いてくれません。
そのうえ、小学校にさえ一日も行かぬ私には、字を書くすべもわからなかったのでございます。
わが名さえ書けぬほどのあきめくらの自分に、心の底から悲しみがわき出しまして、涙がとめどもなく流れてまいります。
それをぬぐいもせず、涙は白紙に落ちてはしみいります。
私は机の上に顔を伏せて、泣けるだけ泣きました。
 私はからだの不具ばかりでなく、頭の不具者である。
幼いときから踊りに、舞いに、芸のみの修行にはげまされて、読み書きのことは少しも教えてもらえなかった。
せめて仮名文字だけでも知っておきたかったと、あの恐ろしい出来事に死よりもつらい悲しさにさえ泣かなかった私、どんなことでも耐え忍んで生きて行く決心をした私が、いま、紙の上に泣きくずれているのでした。
そのとき、
「姉ちゃん」
と聞きなれた敬坊のほがらかな声がいたしました。
「アッ、敬坊……」
 私は敬坊の声に、持ち前の気性がもういまの悲しみを忘れさせたように、
「敬坊、おはいり、あッ、ちょっと待って……」
と申しながら、私はあわてて涙にぬれた紙を机の下にかくしました。
そうしてあらためて机の上におきまして、さりげなく、
「敬坊、はいってもいいよ」
と申しましたが、敬坊は目ざとくも、その部屋の空気をさとりましたのか、
「姉ちゃん、どうかしたの……お手々が痛くて泣いていたの……お机の前で」
と私の顔をのぞいてみます。
「姉ちゃん? 姉ちゃんは泣くものか、泣いてなんかないよ」
「泣かないならいいけど、姉ちゃんのお顔へんだなあ……」
「いまね、姉ちゃん字のおけいこをしていたの。一所懸命習っているんだけど、なかなか思うように書けないの。涙が出たり、鼻水が出たり、よだれが筆の先へつたってむつかしいけど、姉ちゃんは勉強しているの。姉ちゃんはお手々ないからお口で書くの」
「字を書くこと、誰に教えてもらったの……」
「誰に? さあ誰だろう。敬坊、あててごらん、こればかりはお利口な敬坊もあたりっこないから……」
「ようし、敬坊あてるぞ。あてたら姉ちゃんなにかごほうびくれる……」
「ああ、敬坊の好きなものなんでも買ってあげるよ」
「敬坊あてるぞ。尺八の花堂先生だ」
「ちがうよ」
「ちがった? では立川談志のおじさんだ」
「ちがうよ」
「またちがった! あッ金馬師匠だ、どうだ、あたったろう」
「ちがうよ」
「くやしいなあ」
「敬坊でなくったって、誰だってあたらないよ」
「どんなえらい人でもわからないのか」
「そう、えらい人でもわからないよ。姉ちゃんが教えてあげよう。ちょっときてごらん」
 敬坊はしきりに首をかしげて私についてくるのでした。
私は、私たちの宿っている「小野清」の庭に出まして、若葉の色もすがすがしい紅葉の枝につるしてある籠のもとにつれてまいりました。
「敬坊、姉ちゃんの先生はこのカナリヤなの。敬坊わかる? 籠の中をのぞいてごらん。そうれ、可愛い雛がお口をあけて親鳥に餌をもらっているでしょう」
「ああ、いるいる。姉ちゃん、小さなお口をあけて、なにか言っているよ」
「そうでしょう、姉ちゃんはね、このカナリヤが口一つで子を育てているのを見て、字を習い、勉強してみたいと、それで一所懸命おけいこしているの」
「姉ちゃんはえらいなあ、姉ちゃんは学校へ行ったの」
「いいえ、姉ちゃんは小さいときから踊りを習って学校へ行けなかったから、これから勉強してなんでも知りたいね」
 敬坊はじっと籠の中を見ていましたが、とつぜんさけびました。
「姉ちゃん、敬坊も勉強する」
「敬坊はいま六つでしょう。学校へはまだ行けないけれど、姉ちゃんの大好きな敬坊だから、きっとえらい人になれる。姉ちゃんも敬坊に負けないよう勉強する。このカナリヤの先生の前で約束しよう」
「うん、約束しよう」
 こうして二人は、カナリヤのうつくしい唄をききながら、いつまでも見ておりました。
 敬坊こと柳家金語楼は、いまもなお私を親身の姉よりも大切にしてくれます。
幼いとき、私の冷たい両手を温めてくれましたその心情の血は、肉親よりも尊いものにつながっているのでございます。
持ち前の侠気(おとこぎ)と申しますか、負けずぎらいの気持は、幼いときからその芽を出していたのでございましょう。
敬坊の勉強ぶりには、とても及びもつかないとは思いながら、私は拙いこの身にいつも鞭(むち)打っているのでございますが、私の胸の中には、敬坊の小さな掌のぬくもりが、いつもいつもあたたかく残されているのでございます。

  くちに筆とりて書けよと教えたる
  鳥こそわれの師にてありけれ

  学ばざる身なれど文字を書くという
  そのよろこびをくちに筆かむ

(『無手(むて)の法悦(しあわせ)』大石順教 春秋社 2008年新装版)
文学にみる障害者像 自伝に見る障害女性の生き方 大石順教・中村久子
(中野惠美子 「ノーマライゼーション障害者の福祉」 2010年11月号)
を参照していただくと分かると思うのですが
明治、大正の時代に障碍者が生きる困難さは想像を絶すると思います。
なお中村久子さんの著書もあります。
今年も今日で終わりです。
このようなオヤジのボヤキの多いブログに訪問していただきありがとうございます。
叔父がこの12月に天国に旅立ったので新年の挨拶はひかえさせていただきます。

皆様にとってくる年が素敵な一年でありますよう、お祈りいたします。

4 件のコメント:

  1. セーターばあば2020年1月1日 13:29

    ご免ください

    いつも読み逃げで申し訳ありません。コメントの入力方法がわからないことが多いのです。

    Kazeさんとご家族様のご健康をお祈りいたします。

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    1. セーターばあばさんこんにちは(^^)/
      こちらこそセーターばあばさんのブログを読んでもコメントせずに終わっていますm(__)m
      普段、こちらのブログはコメント欄を受け付けていません_(._.)_
      町歩きの時だけにしています。

      セーターばあばさんのご家族の健康をお祈りいたします。

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  2. よいお年をお迎えのことと思います。

    >「小鳥のおしえ」
    いいお話を教えていただきました。
    金語楼さんは、NHKの番組で少し記憶があります。
    優しそうな雰囲気の方でした。

    カナリアに教わる。
    色々な事に教わる事、多しの近頃です。
    忘れなければいいのにと思うのですが。。。(>_<)

    本年もよろしくお願いいたします。

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    1. カイさんこんにちは(^^)/
      大阪関連の本を調べていると大石順教尼のことを知りました。
      はじめ「堀江六人斬り」という残酷な事件を知ったのですが
      生き残った方はどうなったのだろうと調べ大石順教尼を知りました。
      すると柳家金語楼さんと交流があったことを知り本を読みたくなりました。

      >色々な事に教わる事、多しの近頃です。
      学生時代は、勉強が嫌いでしたが、今頃になって知ることが楽しいなと思います。
      >忘れなければいいのにと思うのですが。。。(>_<)
      Kazeも一緒です(^_-)-☆

      本年もよろしくお願いいたします。

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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m