2019年12月25日水曜日

青く澄んだ空

雲一つない青空が広がっていました。
これから天気が崩れるなんて信じられないほど…
明日は、体調がいまひとつなので無理をしないことします。
郷愁の詩人蕪村逝く(天明3<1783>年 12月25日)
 淀川が大川と分流する毛馬水門の付近(都島区毛馬町)が、蕪村の生地である。
幼時から絵画に長じ、池大雅とともにわが国の南画を大成した。
また、20歳ごろ江戸へ出て学んだ誹諧でも優れた素質と努力によって宗匠となる。
36歳のとき京都に居を構え、母の郷里・丹後の与謝(京都府)に数年滞在したが、老来ますます芸境を深め、画・俳両道に神技を発揮した。

  春風や堤長うして家遠し
  春の水山なき国を流れけり
  菜の花や月は東に日は西に
  花いばら故郷に道に似たるかな

  狐火(きつねび)やいづこ河内の麦畠
         (蕪村句集)

幼少の日々に遊んだ毛馬の堤を追憶する郷愁の漂う名句である。
芭蕉への復帰を唱え、誹諧中興の祖と仰がれる蕪村は、68歳のこの日、次の辞世を残して世を去った。

  しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり(から檜<ひ>葉)
(『大阪発366日―日本の心 大阪の歩み―』
  小西宏 学校法人修成学園出版局 平成11年)

1926年12月25日、大正天皇の崩御に伴い、大正から昭和へと改元されました。
画像は「公文類聚」より、元号の呼称に関する内閣告示案。
「昭和」に「セウワ」(しょうわ)と仮名が振られています。
NHKの ファミリーヒストリー
阿川佐和子~祖父は知られざる名建築家そして父の遺品に
を見ていてビックリしたのが
広島平和公園の中にある「レストハウス(元大正屋呉服店)」は
阿川さんの祖父・増田清さんの設計なんですね!
仕事の関係で数回レストハウスを見ていながら
原爆ドームにばかり気をとられていました。
爆心地から170mの至近距離で地下室にいたので助かった人がいたんだ…
この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の中でも登場しますね!
大阪にも増田清さんが設計したビルがいくつか残っているようです。
昨日はクリスマス・イヴで、
今日はクリスマス。
聖母マリヤ』より「驢馬と牛」を転記したいと思いますφ(..)
この本が「品切れ」となっているのが残念です。
尚、本文中に掲載されている図は省略しています。
驢馬と牛
馬小屋

 ベツレヘムの馬小屋で生れた幼児(おさなご)イエスをはじめて見たのはだれであったか。
むろんマリヤやヨセフを除いてである。
荒野で羊番をしていた羊飼いたちが天使のお告げと導きで見にかけつかたといい、また星の導きで東方の三賢者が拝みにきて、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)などを献げてかえっていったといわれている。
(『聖母マリヤ』植田重雄 岩波新書 1987年)
 古い中世の画や木版画のなかには、驢馬と牛が飼葉桶に寝ている赤子を見下ろしている図がある。
これと一緒に上の方に大きな星が画かれている。
いうまでもなく救世主が生まれたというしるしの星である。
ここにはまだ羊飼いたちも東方の博士たちもいない。
動物たち
 マリヤとヨセフは、ローマ皇帝アウグストの命令によってユダヤの全人口調査のために、ガリラヤやナザレを旅立ってダビデの町ベツレヘムに登録をすませるべく赴いた。
ところが大勢の人々がにわかに町へやってきたために雑踏し、泊まるところもなく、止むを得ず馬小屋で夜を明かすことになった。
マリヤはここでイエスを産み、飼葉桶(かいばおけ)のなかに寝かせた。
 イエスの誕生を祝福して見にくる人々はほとんどいない。
馬小屋に居合わせたのは、驢馬と牛だけである。
動物たちは生まれた赤子をのぼき込む。
自分たちと同じ純真そのもののように寝ている姿に気安さを感じたかもしれないし、あるいは自分たちと少しちがったようにも見えるので不思議なものを見ているといった感じだったかもしれない。
ときおり足を踏みかえる音がコトコトし、首を振ったり、フーッと深い息をして赤子をのぞき込む。
赤子が薄着で戸じきりもないので、温めてやりたいと思って白い息を吹きかけたのではないかというのは、寒い雪国の人々の想像である。
とにかく牛飼いが羊を放っている季節である。
 ベツレヘムの大気は青く澄み、荒野を包み、星は世界を守護するようにキラキラかがやいていた。
イエスが生まれたとき、居合わせていたのは、この動物たちだけである。
驢馬と牛と幼児のなごやかな様子を見て、マリヤとヨセフはほっとしたであろう。
さまざまな苦難と不安のなかのひとときの安らぎである。
このとき居合わせた驢馬と牛はたまたまこの小屋にいたものか、それともマリヤとヨセフが荷物を乗せてきたものなのか、その詮索は聖書考証学者に任せよう。
 ここに掲げた木版画(図省略)は、バイエルン(またはザルツブルク)のキリスト誕生図(15世紀ころ)である(アルベルティーナ所蔵)。
このベツレヘムの風景はそのまま人間の信仰の姿である。
マリヤは信仰の最初の姿を示すように、神の子に手を合わせ、ヨセフはそのうしろにじっとたたずんでその様子を見守っている。
心やさしい二匹の動物がまず、この幼児の誕生を祝ってのぞき込んでいる。
寂しいけれどまことに和やかな姿である。
このような状態はどのくらいつづいていたのであろうか。
天使の告知
 やがて、荒野で野宿していた羊飼いたちに、救い主であり、あなたがたの主なる神の子が誕生した、布にくるまって飼葉桶に寝かしている、これが救世主のしるしでると天使が告げ、天の軍勢である無数の星もともに神をつぎのように賛美した(ルカ二ノ八-十四)。

  いと高きところに神の栄光あれ
  地にはみ心にかなう人々に平和あれ


 羊飼いたちはこの告知を受けて、ベツレヘムの馬小屋を探しにゆき、尋ねあて、神を讃美して帰っていった。
マタイ福音書では東方の博士たちが星の導きによってベツレヘムへ赴き、マリヤのそばいにいる幼児にひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬をささげたのち、イエスの誕生をおそれるヘロデを避けておのが国へ帰っていったと伝えている。
これもまた聖なる救世主があらわれたときは、「黄金、乳香、没薬」を献げて拝まれるというオリエントの広く行きわたっている伝承を踏まえている。
 東方の博士にせよ、羊飼いたちにせよ、皆ひっそりとした人目につかぬ夜更けの出来事である。
後世の画や彫刻では華やかなすばらしいことのように表現されているが、むしろ逆である。
聖なる出来事は洋の東西を問わず、深夜秘めれたることとして始まる。
神の降臨、神の子の誕生いずれも同じである。
 聖書考証学者や歴史学者が、ハレー彗星とかその他天体の異変とキリストの誕生を結びつけようとするが、どこまで論証できるであろうか。
それよりもこの世に人間が生まれると、空のどこかでも星が生れ、死ぬと魂は銀河の道をたどって天上界に赴くと考えていた古代の人々にとって、救世主の出現のときには大きな星が輝き出ると思っても当然のことである。
原初体験
 だれも来るはずのない深夜、飼葉桶の幼児を拝みにきて帰っていった羊飼いのことを「マリヤはことごとく心に留めて、思いめぐらしていた」(ルカ二ノ十九)点に注目したい。
少なくとも羊飼いのことは、キリスト昇天後マリヤを中心とした使徒たちの原始教団が生れたとき、マリヤが回想し使徒に語ったものであろう。
東方の博士たちは当時の最高の知恵をもつ賢者の表象であり、羊飼いたちは汚れない純真素朴な人間性を代表する表象である。
いずれも隠された秘事としてであり、おそらくマリヤとヨセフ以外には知られなかった。
 それにつけ加えるならば、馬小屋で驢馬や牛が幼児に示した自然なものたちとの交わりである。
後世になればなるほど、こうしたことは原初体験として素朴すぎてもう理解できなくなった。
人々は幼児の誕生や救いの意味を何とか理解しようと努め、分からせようとするあまり、特定のものだけを強調するようになった。
しかし幼児と動物たちのあいだに見られる静かで和やかな姿は、「貧しく」また「心貧しき」ものがたえず伝えてきた信仰の原体験であり、原風景である。
(『聖母マリヤ』植田重雄 岩波新書 1987年)
今朝の父の一枚です。
冬のこの時期、池に集まってくるカモメを写していました。
今朝のEテレ0655の朝めしまえクイズで
サンタクロースの橇を弾くトナカイは
生物学的にいうとオスかメスかという問題が出ました。
てっきりオスだと思っていたら…
「トナカイ メス 角」などで検索すると答えてくれるサイトがあります(^^)v