2019年12月21日土曜日

薄曇りの朝

昨日と違って薄い雲が空を半分ほど覆っていました。
帰る頃には青空が広がっていましたが…
明日は天気が崩れるみたい…?
その時は散歩を諦めて年賀状を作成しようかな…
NHK映像ファイル あの人に会いたい「米沢富美子(物理学者)」
名前は知っていたけど、10分間の番組でも米沢さんのバイタリティーに圧倒されました。
Eテレで27日(金)午後1時50分から再放送されます。
今朝のニュースの中でオランダで国論を二分している問題があると伝えていました。
数年前からシンタクラースの祭りはニュースになっていたような…
そこには今、欧米で抱えている深刻な移民問題が背景にあるようです。

この祭りを髙橋大輔さんが2006年にオランダを訪ねてリポートしてくれているので
12月25日の怪物―謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて
より抜き書きをしたいと思いますφ(..)

「サンタのお供」は差別か? オランダ、国二分の大議論〟(2016年12月24日 朝日新聞)
(「第2章 大西洋を越えて」より)
(…略…)
「オランダでは聖ニコラウスをサンタクロースと呼ぶんです。あなたは彼よりずっと遠いところから来たんですからね」
「シンタクラースはどこから来るのですか?」
「スペインです」
「?」
 ピーターさんは驚くわたしに対し、表情ひとつ変えずに相づちを打った。
「船でスペインから来て、白馬で国内を巡るのです」
「なんだかとても現実的!」
 驚くわたしを尻目にピーターさんは続けた。
「昔の名残なのです」
「シンタクラースは聖人というよりも、本当に司教のようですね」
「今では宗教色は薄れましたよ。シンタクラースの祭日は子どもがプレゼントをもらえる、彼らが主役のお祭りなのです」
(…略…)
(『12月25日の怪物 謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて
  髙橋大輔 草思社 2012年)
わたしは17世紀に描かれたヤン・ステーンの絵を見たことがあると告げ、さっそく彼(トービ)に質問した。
「オランダの聖ニコラス祭はどのくらい古くからあるのですか?」
 彼は丸眼鏡の柄をいじりながら答えた。
「1427年という記録が残っていますよ」
 アムステルダムの南東にあるユトレヒトでは聖ニコラス教会に靴が置かれ、12月5日に貧しい人への施しが入れられたという。
「靴ですか」
 わたしは身を乗り出した。
確かにステーンの絵の中にも靴が描かれていた。
 彼は会場の設営準備を進める人たちを見ながら続けた。
「今でも聖ニコラス祭の夜になると子どもたちは暖炉の前に靴を置いて眠りにつきます。中にはニンジンやレタスなどを入れておくんです」
「野菜を?」
「聖ニコラウスが乗ってくる白馬の餌です。彼はそのかわりキャンディやチョコレート、詩などを靴下に入れてくれます」
「どんな意味があるのですか?」
「靴は昔から豊かさのシンボルなんです」
 靴や靴下にプレゼントを入れる風習には繁栄への祈りが込められている。
それは子宮に子どもが宿るイメージにも通じているようだ。
聖ニコラウス祭は、靴を子孫繁栄の象徴とする民間信仰とも結びついている。
 オランダでは求婚者に木靴を贈る風習もあったという。
隣人に金塊を贈って三人娘を救った聖ニコラウスは子どもの守護聖人となったが、彼女らが無事に嫁いでいったことから結婚の守護聖人ともみなされるようになったようだ。
(…略…)
「聖ニコラウスはなぜ船でやって来るのですか?」
 ルーツは16世紀後半に遡(さかのぼ)るらしい。
当時オランダはハプスブルグ家の植民地としてスペイン領の一部だった。
教会の司教はスペインから派遣された。
その時の習慣で聖ニコラスもスペインから船で来ると考えられるようになったのだという。
「顔の黒い従者がいたでしょう」
 わたしはうなずいて応えた。
「名前はズワルト・ピートといいます。黒いピーターという意味です」
「大道芸人、あるいはサーカスの道化のようにも見えましたが……」
 トービさんによれば、ズワルト・ピートの起源も16世紀に遡る。
 スペインから来る船に乗っていた中東の人やアフリカの黒人がルーツだと考えられているという。
「もちろん説は他にもあるけどね。煙突の煤(すす)で顔が黒くなったと言う人もいれば、悪魔だと考える人もいます」
 未だ明確な答えはない。
中にはズワルト・ピートの正体はそれらの全てだと言う人もいる。
昔はこのズワルト・ピートが悪い子に鞭を振るったのだという。
 オランダの聖ニコラウス祭にはスペインの植民地時代の名残があるのではないかとトービさんは言う。
「秘密はおそらく宗教改革にあるのでしょうね」
 16世紀の宗教改革は、オランダでは単なる宗派の対立だけでは済まなかった。
 カトリックを基盤とする宗主国スペインの圧政に対してプロテスタントが立ち上がり、1568年にオランダ独立戦争が始まったのだ。
 プロテスタント側の勝利によりオランダは独立を果たし、聖ニコラウスの信仰も禁じられることになったという。
 トービさんはわたしに向き直って言った。
「オランダでカトリック解放運動が起こり、信仰は200年後に復活します。人々が再び信仰し始めたシンタクラースは禁止される16世紀以前のままだったのです」
「スペインから船で来ることになっているのはそのためですね」
「その通り」
 彼はうなずいて続けた。
「実はオランダでは、禁止されていた間も聖ニコラウスだけは信仰され続けていたんです。ヤン・ステーンの絵がいい証拠ですよ」
「あの絵に秘密が?」
 驚くわたしの反応を見ながらトービさんが続けた。
「そうです。絵が描かれたのは1665年頃とされていますが、ちょうどオランダでカトリック信仰が禁止されていた時代なんです」
「どういうことですか?」
「オランダ人にとって、聖ニコラウス祭は世俗性の強いお祭りだったのです」
 プロテスタントの国として独立したオランダだったが、人々にとって聖ニコラウスはキリスト教の聖人というよりも、民衆の守り神と言った方がよかった。
それゆえ表向きは禁止されても、人々は信仰をやめなかったのだ。
 聖ニコラウスは古代地中海で船乗りの守護聖人として人気があったが、それは狭い国土に暮らし、海に活路を求めざる得なかったオランダ人にとっても、頼れる存在だった。
海上で死にそうになる危険から身を守ってくれるばかりか、子孫繁栄と子どもへの幸福をもたらす特別な存在でもあったのだ。
「聖ニコラウスへの思いは今でも変わりありませんよ」
 トービさんは遠くを見つめるような視線で語った。
(…略…)
(『12月25日の怪物―謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて
  髙橋大輔 草思社 2012年)

繋がりが悪いので分かりにくかったと思います。
単行本を紹介しましたが、文庫本が購入できると思います。

探検家高橋大輔のブログ 答えは旅の中にある「聖ニコラス祭」