2019年12月12日木曜日

写せなかったなぁ…

今朝は暗い空
こんな時は母が「鳥に会えないね…」と言っていたけど
ほんの一瞬、出会っても写す間もなく藪に隠れたりしていました(-_-;)
今朝のEテレ0655で今日は小津安二郎の誕生日で命日だと教えてくれました。
NHKの「移住先探し?大島優子と鹿児島県阿久根市ぶっつけ本番旅!」で
最初の方で「隱れ念仏」のお寺を偶然にも訪ねていました。
隠れ切支丹」の関連の本は出版されていて知られていますが
薩摩藩では「隠れ念仏」、東北地方では「隠し念仏」と言われる信仰がありました。
 隠し念仏
 隠し念仏は真言念仏に真宗信仰の合流した秘密宗教で、西の「かくれ切支丹」に対し、東の「隠し念仏」と並び称せられる。
江戸中期、陸奥仙台藩水沢に流伝してから東北全般に広がったものだが、近畿とのつながりも当時あったらしい。
しかし、江戸幕府や本願寺の弾圧のよって衰退し、陸中(りくちゅう)その他の地域に残されるのみとなった。
各派によって組織が異なるが、一例をあげれば上図の通りである(渋谷地派<図は省略> 隠し念仏のお執揚の模式図と組織の概略図<龍大宗教調査班『カヤカベ―かくれ念仏―』、高橋梵仙『かくし念仏考』より)。
隠し念仏の重大法会は御執揚(あげ)と称する行事で、農閑期に各組ごとに行われる。
この行事は「御用(ごよう)」といわれ、それを受けるものを「御行者(おんぎょうじゃ)」という。
4、5歳から14歳ぐらいの男女が、導師から一念帰命の信心の種をもらう加入礼式にほかならない。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
 隠れ念仏(カヤカベ)も一種の隠し念仏で、霧島山麓の牧園町や横川町に現存する特異な念仏集団である。
永生(1504~20年)のころ、薩摩に弘布(ぐぶ)された真宗が、一向宗教団のもつ闘争性と親鸞の教義に人間平等論がうたわれていることから島津藩政によって禁制され、霧島神とむすびつくことによって保持されたもので、両者をミックスした特異な宗教形態をもつ。
霧島講と称し、秋には霧島神宮へ参拝におもむくが、春秋の彼岸や盆、11月の報恩講などの真宗行事に重きをおいている。
またここでは加入礼式を「ヒキイレ」という。
総じて閉鎖性が強く、行事も秘密裡の行われ、そのために誤解をまねき、禁圧された。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
 かくしねんぶつ

部落の道の曲りかどの松の木の下に
見真大師の供養の石が立つてゐる。
旧盆の十七日に光徳寺さまが読経にくる。
お宿は部落のまはりもち。
今年の当番は朝から餅をつき、
畑のもので山のやうなお膳立。
どろりとした般若湯を甕にたたへて
部落の同信が供養にあつまる。
大きな古い仏壇の前で
黒ぼとけさまは直伝の
部落のお知識がまづ酔ふと
光徳寺さまもおみやげを持つて里にかへる。
あとでは内輪の法論法義。
異様な宗旨が今でも生きて
ロオマの地下のカタコムブに居るやうな
南部曲(まが)り家(や)の暗い座敷に灯がともる。
(昭和23年8月31日)
(『定本 高村光太郎全詩集』筑摩書房 昭和57年6月)
別の機会に「隠れ念仏」「隠し念仏」について紹介したいと思います。
11月26日の記事で秋野亥左牟さんの
絵本『プンクマインチャ(ネパール民話)』を紹介しました。
現在重版中だそうです。
その「プンク・マインチャ」を画いた経緯について
イサム・オン・ザ・ロード 新版』に書かれているので一部転記したいと思いますφ(..)
こちらは今でも購入することができると思います。
(「3 ブンクマインチャと出会う」より)
 初めて僕は絵を描いてみたいと思った 

 初めて僕は、絵を描いてみたいと思いました。
僕の両親は絵描きなので、絵描きだけは嫌だと思っていたのですが、ラマ教の絵を見てからは、絵といものはすごいものだなと、思い直しました。
(『イサム・オン・ザ・ロード 新版』秋野亥左牟 梨の木舎 2012年)
 それでたまたま、その研究所いたラトナさんという、日本に2年ほど留学した人で日本語が少しできる人に、「カトマンドゥで、子供たちが一番好きなお話を教えてくれないか」と言ったところ、自分の母親が語り部だからということで、家に呼ばれました。
 80歳を過ぎたお母さんは、「ドーンチョレチャ」のお話をしてくれました。
これが、僕が初めて聞いたネパールのお話です。
ドーンが狐で、チョレチャが山羊の、二つの頭の神獣の話です。
 これは継母物語で、オリエントで生れた話が、西に流れて「シンデレラ」、東に流れてカトマンドゥででき上がったのが「ドーンチョレチャ」です。
本当は「ドーンチョレチャ」の話なのですけれど、「シンデレラ」に対応する主人公の名前が「ブンクマインチャ」なので、絵本の題名は『ブンクマインチャ』にしたのです。
そこで、僕はこの話を画き始めます。
 最初、主人公のブンクマインチャをどんな女の子にしようかと――キャラクターがないと絵本にならないので――仕事が終わるとカトマンドゥの町を歩き回って、モデルになる少女を探していたのです。
 カトマンドゥの家というのは、木の柱と焼きレンガの壁です。
一階は家畜小屋で、二階と三階が住居で、四階が食堂。
二階と三階の窓には格子があり、細かい唐草模様がついています。
ある日そうした一つの窓の奥に、可愛い少女がいるのがチラッと見えて、「あっ、彼女だ」と思って家に飛んで帰って描いたらうまく描けて、それで「ブンクマインチャ」の絵物語は始まったのです。
 その少女が僕の中に入ってきて、その物語を創ってくれるのです。
一つひとつの場面が、自然に生まれてくるのです。
でも、なかなか同じ顔が描けなくて、苦労しました(笑)。
 僕はラトナさんのお母さんの家に行って、何度も何度も話を聞きました。
語りというのは、一つの音楽みたいなものです。
僕は、カトマンドゥの土着のネワール語は、いくら聞いても一つひとつの単語すら判らないのですが、彼女がずっと語りをやっていくと、音楽みたいに判ってくるのです。
彼女の語っている言葉が、すっと判ってしまう。
それは、非常に不思議な体験でした。
3度、4度と聞くと、もうありありとその話が判って、そして自分の中にいるブンクが更に自分を膨らませてくれて、一つひとつの場面ができ上がっていきます。
 2年くらいかけて、僕はこの絵物語を完成させるのです。
 これが完成したら、シルクロードを逆行してイスタンブールまで行って、ヨーロッパあたりで出版して、次の旅費を作ろと思っていました。
(『イサム・オン・ザ・ロード 新版』秋野亥左牟 梨の木舎 2012年)
今朝の父の一枚です。
σ(^-^;は野鳥を写せませんでしたが、
父はハクセキレイを写していました!