2019年6月24日月曜日

まだ雨は降らないけど…

青空が見えて本格的な夏になりそうな…
でも、今週は雨の日が多そうです。
6月も今週で終わり…
0655「たなくじ」は、
今年前半を振り返ってみよ!
もう1年も半分終ろうとしている(・_・;)
たぬくじは「レジェンド大吉」(^^)v…
どうなっているのかなと見に行ったけど、やはり…
写真を撮ろうとしていると
ここに来る前にすれ違った女性が
引き返してきて声をかけてくださった。
私がいそいそと見に行ったのに気がつかれたようです(*´▽`*)
その方も昨日、その姿に感動して、今朝早く見にこられたそうです。
でも、残念なことに1日だけの姿でした。
その方がスマホで撮った画像を見せてもらいながら話をしました。
この画像は、昨日、上の角度から撮っていたキヌガサタケ
きのこの自然誌』より「第3章・胞子の世界 くさい奴」の
後半を転記しますφ(..)
(「第3章・胞子の世界 くさい奴」より)
(…略…)
 この仲間で最も華麗なのはキヌガサタケである。
頭のすぐ下から、大きな網目のスカートをたらしている姿から、
きのこの女王という人もいるが、匂いはいただけない。
やはりハエのたかるきつい匂いである。
きのこののび方がおもしろいので、
多くの人がその生長をくわしく見ている。
同じ種のなかにピンクのものもあるというが、
さぞかしきれいなことだろう。
(『きのこの自然誌』小川 真 築地書館 1983年)
 キヌガサタケはタケやぶのきのこで、
中国では竹蓀と呼ばれて精力剤にされているときく。
東南アジアにも多く、日本ではモウソウチクの林によく出る。
ヨーロッパやアメリカなど、タケやぶのない所では出ないらしい。
アメリカから来ていた人が乾燥剤のシリカゲルを入れてきれいに乾かし、
そっと標本箱につめ、だいじそうに抱えて飛行機に乗った。
それほど珍しいそうである。

竹蓀燉鶏湯(キヌガサタケと若鶏の蒸しスープ)」(辻調グループ)
 スッポンタケ科やアカカゴタケ科のきのこは
どれも変な匂いを出している。
人間にとっては不快な匂いだが、
ハエやその他の昆虫には魅力的らしく、
必ずといっていいほど虫がたかっている。
ナメクジやチョウが寄っていることはあるが、
トビムシやハチは見たことがない。
匂いの質によって引き寄せられる虫の種類がちがうのかもしれない。
 粘液のなかにはおそらく蛋白質やアミン、アミノ酸など、
虫の栄養になるものも多いのだろう。
色に引き寄せられているかもしれない。
くわしいことはわからないが、
とにかく体や翅にはべっとりと胞子がついている。
人糞の匂いがするカニノツメにたかっていたギンバエは
おそらく本物の糞の所へ行ってブンブンやるはずである。
魚のくさった匂いのするサンコタケに来たハエも
ごみためにとんでいくことだろう。
そこへ運ばれた胞子はおそらく好みのえさにつくことができるだろう。
いやな匂いは花の香りと同じように虫を引き寄せ、
虫媒してもらうための手段であり、
好みのえさの所へ運んでもらうトリックなのかもしれない。
 この仲間のきのこはどれもよくできた根状菌糸束をもち、
厚い袋のなかできのこをつくる。
厚い皮に包まれた根状菌糸束は敵にやられることもなく、
どこでも広がることができる。
袋は土の中にあって眼にふれにくい。
きのこは数時間でのび、胞子をつくると、
たちまちぐんにゃりとしおれてしまう。
寿命はわずか1日、2日だから、虫や獣が見つけてたべる間もない。
このように生活方法はきのこのなかでもたいへん進んでいる。
おそらく、敵の多い所で進化したものだろう。
 スッポンタケと二、三のものを除いて、
大部分の菌が南方起源である。
キヌガサタケもおそらくモウソウチクの伝播についてきたものだろう。
日本列島には太平洋地域や東南アジアと共通する種と
シベリアや樺太(サハリン)などと共通する種が
入りまじっているといわれている。
腹菌類のこのくさい仲間はどうも南方から渡ってきたようである。
(『きのこの自然誌』小川 真 築地書館 1983年)
ひょっこり出現 キノコの秘密」(動画)
昨日の記事で志村ふくみさんの『語りかける花』より
うりずん」を紹介しました。
その中で柳田国男の「瞳には鈴をはれ」という言葉がありました。
(いも)の力』よりこの文章かなと思う箇所を
転記したいと思いますφ(..)
(…略…)
  古来の風俗画を見て社会生活の一端をうかがおうとする人が、
常に不思議に思っていることが一つある。
絵巻物の美人は、いつでも一本の線で切れ長の目を描かれている。
降って浮世又平(うきよまたへい)時代の精細な写生においても、
艶麗なる人は必ず細い目をしてある一方を見つめていた。
それがいつの代からの変遷であったか、
「女の目に鈴を張れ」などと、
大きな丸味のある目をもって美女の相好(そうごう)に一つとするに至った。
いかに時世の好尚が選択するからとても、
一つの民族の間にこれまでの面貌の差違を生ずるはずがない。
必ずや人間の技術ないしは意図をもって、
天然の遺伝を抑制した結果だと思う。
(『妹の力』柳田国男 角川文庫 新版平成25年)

・「浮世又平名画奇特」(国立国会図書館)
自分の家にも多くある女の児の中に、
兄が自動車さんなどと綽名(あだな)を与えた、
目の大きなのが一人ある。
これについて実験をしてみると、結局は大きくも小さくもできる目を、
頻々(ひんぴん)と大きく見開いているのであったことがわかった。
本来の形状は何とあろうとも、つとめてこれを丸くする機会を避け、
始終伏目(ふしめ)がちに、
額とすれすれに物を見るようしている風が流行すれば、
誰しも百人一首の女歌人のごとく、
今にも倒れそうな格好を保たしめて、
その目を糸に画かねばならなかったのである。
それが時あって顔をあげ、
まともに人を見るような態度を是認するに至って、
力ある表情がはじめて解放さられたので、たぶんは公衆に立ちまじり、
歌舞などに携わった者の趣味が、ただの家庭にも伝播したのであろう。
(…略…)
(『(いも)の力』柳田国男 角川文庫 新版平成25年)

 男の目には糸を引け 女の目には鈴を張れ
男の目は糸を引いたように、
まっすぐにきりっとしているのが好ましく、
女の目は鈴のように、
ぱっちりと円く開いているのが愛嬌(あいきょう)があってよいということ。
(『用例でわかる故事ことわざ辞典』学研辞典編集部 2005年)