2019年6月22日土曜日

風が吹くとホッとする(*´▽`*)

日差しは眩しいけど時折吹く風が心地いいです(*´▽`*)
今日は「夏至」ですね。
梅雨入りしないうちに夏になったな…
昨日も今日も夕方、急に夕立のような大雨が降って天気が不安定です。
関東甲信で局地的に非常に激しい雨のおそれ 土砂災害など注意
エネルギー源を省略
 ネジバナが属するラン科は、被子植物の変わり者である。
 被子植物は普遍的に「重複受精(ちょうふくじゅせい)」を行う。
花粉は雌しべにつくと花粉管を伸ばし、
その中を2個の精細胞と、
1個の花粉管核(花粉管核は受精に関与しない)が移動する。
精細胞のうちひとつは卵細胞と合体して受精卵となり、
次世代の植物となるべき胚(はい)に育つ。
もうひとつの精細胞は、
卵細胞をはさんで隣り合う2つの極核(きょくかく)と合体し、
栄養分を蓄えるべき胚乳(はいにゅう)に育つ。
つまりダブル受精だ。
(『したたかな植物たち―あの手この手の㊙大作戦【春夏篇】
  多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
 ところが、ラン科は例外で、胚乳をつくらない。
極核がひとつしかなくて重複受精を行わなかったり、
重複受精を行っても直後に消失してしまったりして、
胚乳が育たないのだ。
胚乳をつくることをやめた「無胚乳種子」なのである。

(以下の画像はネジバナではありません(^_-)…)
 その種子は、ものすごく数が多く、ものすごく小さい。
普通、植物の種子は胚乳や子葉の部分に発芽や初期成長に必要な
エネルギー源として養分を蓄えているものだが、
ラン科植物の種子にはそれがない。
種子は、ほぼ将来の植物体に育つ胚の部分だけから成り、
およそ養分というものを蓄えていないのである。
 ネジバナの実は、長さ6㎜ほどの紡錘形。
この中に、なんと数万~数十万個(!)もの種子がぎっしり詰まっている。
ネジバナに限らず、ランの仲間はとにかく種子の数がめちゃくちゃに多い。
ひとつの実の中にこれだけ多くの種子をつくるのだから、
雌しべが受け取る花粉の数もその数以上でなくてはならない。
花粉を丸ごと運ばせるラン科独特の「花粉塊(かふんかい)」は、
膨大の数の種子という必然があればこそ進化してきたのである。
 数の多さと引き換えに、種子は埃(ほこり)のように細かい。
ラン科植物の種子は、
あらゆる植物の中でも最も小さいことで知られている。
ネジバナの種子1個の重さは、0.0009mg。
全体の長さ0.4mm。
肝心の胚の部分は0.2mmほどしかない。
実は熟すと裂け、無数の微細な種子が煙のように漂う。
ここまで軽ければ、
ほんのかすかな空気の動きでも種子はふわふわと浮き上がり、
風で遠くまで運ばれていく。
 ラン科の微細な種子は、内容を極限まで削減していて、
自力では発芽すらできない。
ラン科植物は、菌類、つまりカビやキノコの仲間を共生菌とし、
その助けを借りて芽を出すのである。
ランの共生菌を一般に「ラン菌」と呼んでいる。
 ネジバナの相棒となるラン菌として、数種の菌類が報告されている。
地面に種子が落ちると、菌糸が集まってきて種子を包む。
菌糸に栄養を与えられて、種子は目を覚まし、
胚は水を吸って細胞も分裂を始める。
胚は栄養をもらいながらさらに成長し、
菌糸に包まれた「プロトコーム」と呼ばれる特有の状態を経て、
ついに芽を出す。
その間、必要な栄養はすべて菌からもらう。
 ランの種子が小さい理由はここにある。
ラン菌からもらうから貯蔵栄養は要らないのだ。
ふつうの植物なら種子に発芽や成長に必要な
「お弁当」をつけて送りだすところを、
ランは菌の助けを最初からあてにしているわけだ。
  数についても考えてみよう。
一般論をいえば、タネは多い方がいい。
チャンスが広がるからだ。
だが資源は限られるので、数を多くすればタネは小さくなり、
生き残りの確立も低下する。
ならばとタネを大きくすれば数は減らさざるをえず、
タネが重くなれば飛ばすための翼といったコストも増す。
このように、タネの数と大きさをめぐって
植物はつねにジレンマを抱えているのである。
 ランは、ラン菌という共生菌を手に入れたことでジレンマから脱却した。
タネの数を増やし、極限まで小さくすることができたのである。
(『したたかな植物たち―あの手この手の㊙大作戦【春夏篇】
  多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
御旅所について『中世京都と祇園祭 疫神と都市の生活』より
続きを転記しますφ(..)
 平安時代から中世まで、
すなわち、豊臣秀吉が四条京極に御旅所を移して、
一本化してしまうまで、御旅所はもう一つあった。
冷泉東洞院の少将井(しょうしょうい)御旅所と呼ばれるものであり、
婆梨采女(はりさいじょ)の御旅所である。
この御旅所の成立の契機は、残念ながらわからない。
 元亨3年(1323)に、
祇園社感神院を統括する社務執行(しゃむしぎょう)
晴顕が記した『社家条々記録』(『八坂神社記録』上)には、

  鳥羽院勅願(歟)
   保延二年、冷泉東洞院方四町を旅所之敷地として寄付せらる、
   少将井と号し、婆梨采女御旅所、当社一円神領なり

と記している。
しかし、永久5年(1117)、天承元年(1131)には
祇園別宮少将井が炎上している(『百錬抄』)ので、
すでに婆梨采女が神行(じんこう)する少将井の御旅所があったことがわかる。
 文暦元年(1234)には、
「祇園神輿入御例の如し、少将井の御殿在地人(ざいちにん)結構し、
 殊に修営を加う」
と記されて、
在地に居住している京童(きょうわらんべ)たちが計画して、
御旅所を修理している有り様がわかる。
大政所御旅所と同じく、
在地人たちの信仰による自主的な設営がここでも存在した。
(『中世京都と祇園祭 疫神と都市の生活
  脇田晴子 吉川弘文館 2016年)
 この少将井御旅所では、
婆梨采女神輿は名水といわれた少将井の井戸の上に置かれたと伝えられる。
その名は少将井の尼という『後拾遺和歌集』の作者である歌人の家で、
神輿遊幸の日に、
神輿をその園のなかの井戸に上にたまたま置いたのが、
以後恒例になったと伝えている(『雍州府志(ようしゅうふし)』。
または少将井の尼が住んでいたから、
少将井の御旅所といい(『山州名跡志』)、
少将井神輿というのだと、江戸時代の地誌は伝えている。
井戸の名の起こりや、尼の名と神輿の名とどちらがさきか、
明らかではないが、名水・名井であったことはいうまでもなかろう。
 河原正彦氏は、
このことをもっと深い信仰的内意で理解するべきだとされて、
婆梨采女は南海の龍王の娘とされており、
疫病の蔓延が水と関係があり、
霊水信仰、龍神信仰と御霊信仰が結合したものだとされて、
疫神と龍神との結婚という説話に相関関係を指摘されている。
 たしかに、水と疫病・疫神との関係が深いことは、
すでに述べたように、
最初に記録が残る貞観5年(863)の御霊会が
神泉苑で行われていること、
正暦5年(994)の船岡山の御霊会では
神輿を難波の海に流していることからもうなずける。
(ひな)流しのような、
(けが)れを依(よ)りつかせたものを
水辺に流す風習などと類似のものといえよう。
 婆梨采女神輿が、内裏や院宮の御所の多い二条・三条の上辺に渡り、
神泉苑の近くに遊幸して、祇園に帰ることは、
大政所とはまた違った信仰圏、在地の支持者をもっていたといえる。
内裏や院宮のあたりを通るので、公卿の日記などに載ることが多く、
平安時代では、祇園御霊会といえば、
主として少将井神輿を指すと思えるぐらいのものなのである。
のちに述べるように、祇園御霊会の特色の一つである、
「駒形稚児(こまがたちご)」というものも、
少将井御旅所に付属していて、
婆梨采女神輿に随行するものであった。
 現在の祇園の山町・鉾町といわれているのは、
中世の町共同体の結合の祭りとなっていた山鉾巡行の町々であり、
下京(しもぎょう)の町組として結集した
町々の自治都市としての記念碑となっている。
それ以前に存在した二条や上京の大舎人(おおとねり)などの山鉾は、
応仁の乱後、廃絶してしまった。
少将井御旅所の近辺は、御霊社の氏子地域となっている。
その上、近世以来、四条京極の御旅所に一本化してしまった。
婆梨采女祭祀の独自性は失われたといってよい。
婆梨采女は、牛頭天王の妻として、八王子神輿とともに、
家族神の一つとして、渡御してくる存在にすぎなくなった。
それは祇園祭の山鉾巡行が
女人禁制の祭りになっていくような時代傾向と、
揆を一にしている。
中世にあった婆梨采女や少将井御旅所の信仰は、
忘れ去られた、もう一つの祇園祭を示しているのである。
 さて、霊水の話に戻すと、祇園社の宝殿のなかには、
龍穴があるという話が、建保7年(1219)成立の『続古事談』にある。

  祇園ノ宝殿ノ中ニハ龍穴アリトナムイフ、
  延久ノ焼亡ノ時、梨本ノ座主、
  ソノフカサヲハカラムトセラレケレバ、
  五十丈ニオヨビテ、猶ソコナシトゾ、
  保安四年、山法師追捕セラレケルニ、
  オホク宝殿ノ中ニ、ニゲ入タリケレバ、
  其中ニミゾアリ、ソレニオチ入タリトゾイヒケル

といわれている。
 高原美忠氏の『八坂神社』によれば、本殿母屋の下に池があり、
昭和47年(1972)当時には、
セメントで蒲鉾型に覆いがしてあったが、
昔は青々とした水を堪えているのがよく見えた、とのことである。
鎌倉時代には底無しの池とされたものであろう。
神輿を水辺に流すのと同じような
信仰的な故事があったものと思われる。
(『中世京都と祇園祭 疫神と都市の生活
  脇田晴子 吉川弘文館 2016年)
ショウリョウバッタが落ちてしまった!
泳ごうとしているのか小さな波がたつと…
アメンボの食べ物」(動画)
今朝の父の一枚です(^^)v
久しぶりに鶴見新山に登ったと喜んでいましたp(^^)q
鶴見緑地展望塔(いのちの塔)の向うに
あべのハルカスが見えています。
去年の台風で見晴らしがよくなった…