2019年3月26日火曜日

桜始開

桜が咲きだし七十二候も今は、
桜始開(さくらはじめてひらく)」だそうです。
説明版に

 ノザワナ(野沢菜) アブラナ科
長野県の伝統野菜。
野沢菜漬けの原料として有名です。
当園で植えているノザワナは、
大阪市市民交流姉妹都市「飯山市」(長野県)から
種子をいただき育てています。
春には黄色い花が咲きます。」

 以前、四天王寺をお参りした時に
野沢菜原種 旅の起点」の石碑を見ました。
2018年5月23日の記事

野沢菜は天王寺かぶらがルーツだそうです。
で、この野沢菜は里帰りをしていることになりますね(^^)v
 今日は「桜始開」ということで「サクラの語源」を転記しますφ(..)
 サクラの語原
 サクラは、わが国の国花とされ、ひろく愛好されている。
サクラはサクラ属の総称であるが、
日本全土に分布し、最もふつうな花木であって、
古名はコノハナ(木の花)とよばれ花木を代表するものであった。
 淡泊な花色といい、また散りぎわのいさぎよさといい、
日本人の気性にぴったりしている。
〝花は桜木人は武士〟ということもいわれた。
 本居宣長の、

   敷島の大和心を人問はば
    朝日に匂ふ山桜花


という歌に代表されるように、サクラは日本人の心の象徴でもあった。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
サクラを詠じた最初の歌は、「日本書紀」にある。

  花ぐはし桜の愛(め)でこと愛では
    早くは愛でずわが愛づる子等


という歌であろう。
この歌は、第十九代允恭(いんぎょう)天皇が
衣通姫(そとおりのいらつひめ)に捧げた恋歌という。
また、

  春さらば挿頭(かざし)にせむと我が念(も)ひし
   桜の花は散りにけるかも


という歌をみると、上代の人が美女を桜にたとえたことや、
桜花を髪の飾りに挿したことが判る。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
「万葉集」にはサクラの歌は43首のっているが、
ウメの花をうたった歌はその倍以上もあり、これに及ばない。
これは、唐文明の影響を強く受けた奈良時代には、
サクラを知らない唐の影響が強かったためであろう。
しかしその後、次第にサクラの人気は高まり、
紫宸殿の前庭に左右に植えられていたウメとタチバナのうち、
ウメがサクラのとってかわったのは清和(せいわ)天皇の御代であった。
右近(うこん)のタチバナに対し左近(さこん)のサクラという。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
 嵯峨天皇の御代にははじめて〝桜花の宴〟が催され、
〝花の宴〟とよばれた。
宮中にはじまった〝観桜の会〟はやがて民間にも及び、
庶民の間で〝お花見〟の風習を生んだ。
 観桜のことを〝桜狩り〟ともいうが、
この言葉が生まれたのは平安時代で、風流の遊びの一つであった。
この平安時代には一重のヤマザクラのほかにヒガンザクラやヤエザクラもあり、
いろいろな新しい品種もあらわれていた。

  古への奈良の都の八重桜
   けふ九重に匂ひぬるかな


 という歌にみられるように、
奈良の都には八重桜が咲きほこっていたと思われる。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
また一方の桜の名所は吉野山であったが、ここの桜はヤマザクラであった。
〝歌書よりも軍書にかなし吉野山〟という名句は江戸時代の俳人の作であるが、
吉野の花の歴史はサクラの歌の歴史であった。
 植物の品種改良が活発に行われた江戸時代には、
桜の品種も200種を超えるに至った。
この桜の最盛期に江戸に〝花の下(もと)〟と称する連歌の宗匠がいたが、
この称号は、西行法師の〝ねがはくは花のしたにて春死なん〟の歌からとった名であるといわれる。
風流の世界では、〝月〟と〝花〟とが最も好ましい景物であった。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
 さて、サクラという呼び名の由来であるが、
これについては古くより〝木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)〟の
〝サクヤ〟の転であるとされていた。
この姫は、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の御母君である。
そしてこの尊は神武天皇のお祖父さんに当る。
「古事記」に〝木花之開耶姫者、如木花之栄栄坐〟とある。
〝サクヤ〟はしたがって〝開映(さきは)え〟で、
栄えるという意味といわれる。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
 サクラの語源に関してはもう一つ、別の解釈もある。
大槻文彦博士は〝サクラはうららかに咲くから<咲麗(さきうら)>の約である〟としている。
 わたしは、開耶説や咲麗説にあえて異論を唱えるつもりはないが、
わたし自身の見解を示しておこう。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
わたしは〝サクラ〟という名は〝咲く〟という言葉に
〝ラ〟という字がついた呼び名であると思う。
〝ラ〟とはムラ(羣)の略で、数あることを示す接尾語である。
〝ムラ〟とは群がることを示している。
「古事記」に、

  埴生坂に吾が立ち見ればかぎろひの
    もゆる家牟良
(むら)妻が家(や)のあたり

という和歌があるが、
この牟良は〝群がっている〟とか〝群れ〟のことであろう。
 「清正集」にも、

   むらながら見ゆる紅葉は神無月
    まだ山風の立たぬなりけり


 というのがあるが、この〝むら〟も、
〝群がる〟とか〝たくさん〟とかいう意であろう。
なお、人家がたくさん集まっているところを〝村〟とよぶのも、
これもまた〝群がっている〟とか〝群れ〟のことであろう。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
したがってサクラは、〝咲羣〟(サクラ)であるとすると、
〝たくさんの花が群がって咲く〟という意となり、
桜花の咲く情況にぴったりする。
 なお、中国大陸には、
日本のヤマザクラやその他の美花の咲くサクラ属はないが、
〝桜〟という字はある。
これはミザクラのことで、桜桃のなる桜のことである。
 なお「牧野新日本植物図鑑」には
〝サクラの語源は不明〟となっていて、
〝神話時代の歌の中の
<さきにさくらん、ほきくにさくらん>
という語の中から出たものであるといわれる〟
と記されていることを付記しておこう。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
 今日はサクラというと、その代表的なものはソメイヨシノであるが、
このサクラは、江戸時代の末に江戸染井に住む植木屋某がつくりだし、
はじめヨシノザクラ(吉野桜)と命名されたが、
吉野山のサクラ(ヤマザクラ)とまぎらわしいので、
ソメイヨシノ(染井吉野)と改名されたものである。
 このソメイヨシノは、オオシマザクラ(大島桜)と
ウバヒガン(姥彼岸)との交配によってつくられた雑種と考えられている。
(『植物名の由来』中村浩 東京書籍 1998年)
 「チコちゃんに叱られる」で諸説ありますというテロップに対して
批判的なツイトをする方を時々見かけますが
諸説あるのがあたり前だと思います。
一つの説を知ることで他の説についても知りたくなります。
歴史学や科学などは今までの定説が覆されることが時々あります。
そんなときに歴史や科学は面白いなと思います。
ブログで紹介している本は、古い本が多く、
紹介している説も今では否定されているかもしれません。