2019年3月10日日曜日

三条~幡野広志写真展(寿ビルディング)

開店までまだ時間があったので
小雨の降る中を歩いていると
「武市瑞山(たけち ずいざん)先生寓居之跡 
 武市半平太(はんぺいた)」の石碑
至る所に勤皇の志士などにまつわる石碑があります。
武市半平太」(坂本龍馬人物伝)
御池大橋の西側のたもと(京都市中京区)にある句碑には

 木屋町に宿をとりて
  川向の
  御多佳さんに

 春の川を隔てゝ
  男女哉
    漱石


詳しくは
会報記事 昭和42年 『京都句碑の会』記念」(京都漱石の會)
実は、この句碑の前を何度か通っているのに気がつかなかった(^^ゞ
先日、京都天狼院書店で購入した
京ものがたり』(朝日文庫)のおかげです(^^)v
扉が新しくなっている(*´▽`*)
「しのだ屋(篠田屋)」さんです。
(開店前に到着して時間つぶしをしていました)
ワンコイン(500円)でいただける中華そばです(*´▽`*)
前の扉は2015年7月23日の記事で(^_-)
次の店の開店時間にまだ少し時間があるので…
柳小路」にやってきました。
開店になって店主さんがお客さんを迎えているのは(赤の
「御二九と八さい はちべー」(2018年11月2日の記事
手前の店が学生時代に仲間とよく飲んだくれていた居酒屋「静」です。
先程紹介した『京ものがたり』を読んでいてビックリ(◎_◎;)
中原中也「ダダ」との出会い
 中原中也が歩いた柳小路。
京都時代から
「夜の12時ごろまで歩き、夜中は読書にあてた」という

(…略…)
 若き中也の足跡が残る場所がある。
にぎやかな四条河原町の交差点から数分、
柳小路の中ほどにある居酒屋「静(しずか)」だ。
戦前「正宗ホール」と呼ばれた飲み屋の建物が使われているとみられる。
内部は中也が訪れた当時と変わっていないらしい。
友人の一人、京大生正岡忠三郎の日記(24年5月1日)に
「正宗ホールにDadaistが来て…
 更に宮川町に無銭遊興をやろうとして断られ」とある。
山口時代に酒の味を覚えた中也は、
年上の友人に対等の口を利き、文学論を戦わせていた。
中学4年を終え、詩人として身を立てるため、
泰子を連れて東京に移り住む。
京都は、早熟な中也の「出会いと飛躍の場だった」(中原館長)。
(…略…)

静のおかみ、加藤恵子(75)によると
「正宗ホールと隣接していて、
 戦争末期に閉鎖した正宗ホールを姑が買い取って広げたと聞いている」。
壁、テーブル、天井などあらゆる場所に落書きがあるので有名な店だ。
(『京ものがたり 作家・スター35人が愛した京都ゆかりの地
  朝日新聞社 2015年)
学生時代、静で飲んだ後に何度も前を通っていたのに
酔っぱらって目に入らなかった「八兵衛明神」(^^ゞ
森見登美彦さんの『聖なる怠け者の冒険』に登場します。
今日のお目当ては「壽ビルディング」の中に
5階に上がると「TOBICHI(とびち)京都
本当は、7日に訪ねたかったけど木曜日が定休日でした(T_T)
小さなスペースだけどいろいろ工夫して展示されていていました。
スライドを上映していたり
コメントが書かれている
プリント写真を手に取ってみることもできる
幡野広志写真展」の最終日に間に合いました!(^^)!
優くんの笑顔を見ていると歳のせいか涙腺が弱くなっている。
幡野さんが優くんや妻とすごす時間を
神様がもっともっとあげてくれますようにと願った。
1927(昭和2)年の建築なんですね!
壽ビルディング」(文化遺産オンライン)
右側の部屋に解体調査の展示がされていました。
村上重本店」の漬物をお土産に買いました(^^)/
幡野広志さんの写真展で購入したのが『写真集 幡野広志
「海上遺跡」、「いただきます、ごちそうさま。」、
「優しい写真」の三作品が収録されています。
本に幡野さんが描いたネコのスタンプを押しました(*´▽`*)
特典の『小さい優くんの写真集』も在庫があった(∩´∀`)∩
コーヒーとドーナツをいただいたのは「六曜社珈琲店」(1階)
(2013年3月19日)
今日は母の月命日です。
お彼岸に四天王寺にお参りしたとき、
この時は、布袋堂の布袋さんは外でお迎えしてくださっていた(^_-)
幡野広志さんは、
死を目の前にして、苦しんで死にたくないと思った
と語っています。
岩永直子さんのインタビュー記事
母が入院した時に父も妹も私も
延命処置はしないでくださいという項目にサインしました。
心臓マッサージなどをしたら、
骨粗しょう症だった母の骨は砕けてしまいますし
義弟の最期は、いっぱい管に繋がれていました。
そんな姿を見てきているのでサインしました。
私も、父も、妹も病院で最後を迎えるときは
延命処置はしないようにと伝えています。
幡野さんは、安楽死も一つの選択肢と話しておられます。
30年ほど前、友だちが入院した時に隣のベッドの患者さんは
癌が骨髄に転移して断末魔の苦しみで
阿鼻叫喚の苦しみを受けていました。
その頃は、緩和ケアなどの取り組みはなかったようで
モルヒネもできるだけ使わないようにしていたようです。
そんな苦しみを見てきたので幡野さんの考えも分かります。
ただ、母の最期の時に一瞬、三人の気持ちが揺れたことも事実です。

4 件のコメント:

  1. こんばんは~

    びっくりです。
    篠田屋さんの扉が。。。
    以前は、少しだけあいていましたよねぇ~(^-^;
    中華そばのいい匂いが。。。

    Kazeさん
    中原中也が飲んでいたお店で飲んでいたんですね。
    こちらも驚きです。
    いい雰囲気のお店のような気がします。(#^^#)

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    1. カイさんこんにちは(^^)/
      >以前は、少しだけあいていましたよねぇ~(^-^;
      しばらく行っていなかったので、扉が新しくなっていたのにびっくりしました(*´▽`*)
      開店前に到着したのですが美味しそうな中華そばの香は届いてきませんでした( ´艸`)

      静は学生のための居酒屋といってもいいくらい
      当時、学生が飲んだくれていて
      知らぬ間に仲間が隣のグループの中に入っていました。
      おかみさんが75歳(2014年当時)と書かれていたので
      そんなに時間が経っているんだと思いました。
      もうお酒を飲むことはできないけど
      麦茶で静の出汁巻を食べに行きたいなと思っています。

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  2. こんばんは(^▽^)幡野広志さんの写真展、行かれたんですね。優くんの写真集も手に入れられて良かったです。NHKのドキュメンタリも見ました。私も、優くんがお父さんと過ごせる時間が長く続きますように、と思います。

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    1. Keiさんこんばんは(^^)/
      本当は、木曜日に京都を歩いた時に、定休日だったので諦めたのですが
      Keiさんの記事を読んでやはり見たいなと思い直しましたp(^^)q
      見に行ってよかったです(^^)v
      「定命(じょうみょう)」「常命(じょうみょう)」という言葉があるそうですが
      幡野さんに苦しみのない時間が残されていますようにと願っています。

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