2016年7月14日木曜日

伊丹市立美術館

循環器科受診の後に出かけました(o^^o)
駅からすぐの所に「史跡 有岡城跡
見たいけど,先を急ぐことに(*^ー゜)
長旅はできないのでせめて(^_^)b
 割子そばをいただきました(^_^)b
お店は「奥出雲そば処一福
蕎麦が目的で出かけたのではありません(*^▽^*)

最初に見たのは「芭蕉 新出作品を中心にⅡ」(柿衞文庫(かきもりぶんこ))
実は,開催されていることを知らずに来館
芭蕉の直筆を見ることができて感激しました(o^^o)
日曜美術館「大地が育てた写真 ブラジル移民 大原治雄」を見て
 伊丹市立美術館で開催されていることを知り訪ねました。

昨日まかれた種に感謝
 今日見る花を咲かせてくれた
」(大原治雄のメモより)
撮影はできないのでレジュメから

 大原治雄(1909-1999)
高知県吾川郡三瀬村(現・いの町)に農家の長男として生まれる。
1927年,17歳で家族とブラジルに渡り,サンパウロ州のコーヒー農園で働いた後,
1933年,パラナ州ロンドリーナへの最初の開拓団として入植。
29歳で小型カメラを手に入れ,次第に没頭する。
1951年にロンドリーナ市街地に生活を移し,農業経営をしがら国内外の写真サロンに参加。
1970年代に地元新聞で紹介され,
1998年には「ロンドリーナ国際フェステイバル」
および「第2回クリチバ市国際写真ビエンナーレ」で
初の個展「Olhares(眼差し)」展を開催し,大きな反響を呼ぶ。
没後の2008年,遺族により写真と資料一式がモレラ・サーレス財団に寄贈される。


大原治雄の写真を見ていると雲が大地から湧き上がってくるようでした。
来館されていた方が,「植田正治みたい」と話をしているのが聞こえて来ました。
Kazeも初めはそんな印象を持っていたのですが,
同じように計算された写真の中に,
ブラジルで土にまみれてジャングルを開拓した農民の視点を感じました。
植田正治の写真も大好きです(*^_^*))

日曜美術館の出かけよう,日美旅「第7回 神戸へ 大原治雄"ブラジル移民"旅
県指定文化財 旧石橋家住宅
江戸時代に後期に建てられた商家。
母屋の正面には摺(す)り上げの大戸の出入口装置やばったり床机(しょうぎ),揚見世など,
二階には塗り込めの軒裏や虫籠(むしこ)窓,出格子窓など,

建設当初の店構えを残していることから,平成13年に県指定文化財になりました。
石橋家は,18世紀に北少路村・猪名野神社の門前通りで商売を始め,
明治以降,紙と金物などの小売業のかたわらに酒造業を始め,
その後,日用品の雑貨商を営んでいました。

(「みやのまえ文化郷(ぶんかのさと)」)

旧岡田家住宅には,正面に店舗,奥に酒蔵,その間に釜屋・洗い場が並んでいます。
建立時期は,店舗が江戸前期の延宝2年(1674),
酒蔵は少し遅れて正徳5年(1715)ごろと考えられています。
釜屋・洗い場は江戸後期に建てられ,その後大きく改造されて今日に至っています。
建立者は,江戸前期の酒造家松屋与兵衛(まつやよへえ)であったことが,
古文書と在銘礎石(そせき)などから推測されます。
蔵の所有は享保14年(1729)に鹿島屋青右衛門(かしまやせいうえもん)に移り,
明治に入り安藤由松(あんどうよしまつ)を経て岡田正造(おかだしょうぞう)へと渡り,
昭和59年まで(株)大手柄酒造の北蔵として酒造りが行われていました。
ここで醸造されていた酒は,江戸時代には松緑(まつみどり),
岡田家の所有となって以後は富貴長(ふきちょう)・大手柄(おおてがら)が主要銘柄でした。
 旧岡田家住宅は,伊丹の町家としてもっとも古く,

全国的にも数少ない17世紀の町家のひとつです。
また江戸時代に栄えた伊丹の酒造りを今に伝える遺構として大変貴重な建物です。



酒造用カマド
 旧岡田家住宅の酒造用カマドは,もとは店舗の土間にありましたが,
文化・文政ごろ(1804~30),新たにこの場所に築かれました。
初めは,石を積んだ上に粘土を貼ったカマドで,大小2基並んでいます。
その後明治時代に入り,レンガ造りのカマドに造り替えられました。
 明治期のカマドは大小2基並び,燃料を補給する焚き口は,階段を降りた地下にあります。
カマドの奥からは煙道(えんどう)が水平に伸び,建物の外にある煙突に続いています。
煙道には蓋(ふた)が付いてトンネル状になっていましたが,現在では取り除いています。
 このカマドは,何度も改修されながら,昭和59年に酒蔵廃業時まで使われました。




酒搾(さけしぼ)り遺構(男柱(おとこばしら3))
 この酒蔵では酒搾りの遺構が3ヵ所発掘されました。
この酒搾りの遺構がもっとも古く,
酒蔵が建てられた正徳5年(1715)ごろに造られたと考えられます。
 中央の柱が男柱です。
この搾り場が使われなくなった時,地下部分を残して切断されています。
周囲の大きな石には,男柱が浮かないためのオモシの役割があります。
 この場所では,醪(もろみ)を酒と粕(かす)に分離する工程が行われます。
ドロドロとした醪を渋袋に入れて酒槽の中に積み,
その上に桟木(さんぎ)・台・マクラを置きます。
そして,男柱の上部に差し込んだハネ棒に掛かり石をぶら下げ,
テコの原理で搾ります。
搾られた酒は,酒槽(さかぶね)の底に設けられた垂れ口から流れ出て
垂壺に溜まる仕組みになっています。
 男柱が腐らずに地下の構造が良く残ってたため,
保存処理を行って公開することにしました。
2002年に臼杵を訪ねたときに酒蔵を見せてもらったことを思い出しました。
有岡城跡を訪ねました。

    あらきだし
霜がれに残りて我は八重むぐら
    なにはのうらのそこのみくづに

    荒木村重
思いきやあまのかけ橋ふみならし
    なにはの花の夢ならむとは
        『信長公記』より


(あらきだし(たし)―荒木村重の妻)

 懐古園 碑文の概要(意訳)
 この地は,もともと荒木村重の城郭があった跡であるが,
次第にさびれて,武内氏の所有するところとなった。
氏は城跡が滅していくのを嘆き,
修復して永く後世に伝えようと欲したが果たさずに亡くなった。
未亡人の奈如女は,その遺志を継ぎ,時機が来るのを待った。
この丘陵はたいへん風光明媚で葛城・金剛・六甲・池田の山々に囲まれ,
足もとを猪名川が流れている。
村重から330年にあたり,未亡人は先人の志を生かそうと決意してこの碑を立て,祭りをした。
未亡人の貞節と子息利右衛門の孝順を称え,荒木氏の霊も以て冥すべきである。
 明治34年9月24日 75翁 北山撰ならびに書
有岡城石垣
 宝篋印塔の基礎が…

土塁

駅のホームを見てベンチが線路と反対側を向いている。
これは酔った人が,電車が来たからといって慌てて事故を起こすのを防いでいるのかな?
女性の運転手さん。
キビキビした態度で安全確認をされていた。
運転手さんの前方に見えるのが福知山線列車事故のマンションだと思います。

福知山線列車事故について 事故の概要」(JR西日本)

人はミスを犯すものだという前提で対処すべきだと思います。
ミスを許さない体制・体質は,重大な事故を起こすと思います。