鐘楼堂
六角通りを隔て 飛地境内にあり 慶長10年(1605)豊太閤の臣堀尾吉晴(ほりおよしはる)の嫡男 忠氏(ただうじ)が寄進
当時は一向宗による一向一揆 加茂川洪水や大火の際にこの鐘をついて 急を市民に知らせたと云う
この鐘は 天明の大火で焼失 天保11年(1840)再鋳するも 第二次大戦に献納された
現存のものは昭和29年に再鋳復元 銘文は天保年間のものによる
古銘に曰く
花外 蒲牢の響き
長安 半夜の天
撃つ人は盛徳を輝かし
聞く者は名纏(めいてん)を解く
朝に遠山の碧を渉り
暮れに街市の烟(けむり)にむせぶ
観音妙智力
寿幾千年か算えん
慶長拾乙巳の年 春季 如意珠の日
頂法寺化鐘
六角堂 頂法寺














