2014年11月23日日曜日

仲源寺~八坂神社

頭上には雨奇晴好(雨の時も天気の時も景色よし,日々これ好日の意)の扁額がかかっています。
この門は桃山時代のものとされています。
(『京都障害者歴史散歩』藤本文朗・藤井克美編 文理閣 1994年)
仲源寺(めやみ地蔵)
正しい寺名は仲源寺という浄土宗の寺です。
安貞二年(1228)に鴨川が氾濫したとき防鴨河使勢多判官為兼は地蔵菩薩のお告げにより洪水を防ぐことが出来たので地蔵尊を安置し「雨止地蔵」と名付けたのが,この寺のおこりと伝えられています。
また一説には,雨に降られた人がここで雨宿りをしたことから雨止地蔵とよび「雨やむ」が転じてめやむともいったといわれています。
眼病に霊験あらたかとして目疾地蔵に転化したのは近世以降の事のようです。

賽の目と賀茂の流れはままにならないと嘆いた後白河法皇の言葉は有名ですが,それほど賀茂川はよく暴れたようです。
洪水を防ぐ事と洪水で亡くなった人達への鎮魂の意味でこのお寺が,四条河原に建立されました。


雨止みから目疾と名を変えて再生されたのは,それだけ目の悪い人が多かったことを意味しましょう。
眼疾の原因としては,天然痘(疱瘡),はしか,栄養失調,風眼(淋病),ハンセン病等が考えらますが,視覚障害者の数は少なくとも現在の3~4倍はあったと推定されます。
(『京都障害者歴史散歩』)
八坂神社にやってきました。

七五三のお参りで子どもたちの姿が可愛かったですよ(*^-^*)
疫神社
疫は「えき」とも「やく」とも読みます。伝染病のことです。
祇園会のおこりは疫病神のたたり(御霊)を鎮め,暴れまわらないよう,すみやかに退散するよう祈ったのが起源です。
その疫病神の祭神は,八坂造(渡来人)の神様である牛頭
(ごず)大王であったり,日本古来の素戔嗚尊(すさのおのみこと)であったり時代によって変化してきました。
現在のこの疫神社の祭神は蘇民将来
(そみんしょうらい)となっています。
一月十八日に石鳥居に茅の輪を掛け,それをくぐると悪疫を避けられるという神事があります。
祭のきっかけになった疫病は〝流行性感冒〟だったといわれていますが,昔一番恐れられていた疫病は,なんといっても天然痘,いわゆる疱瘡でした。
疫痢
(えきり)や流感などの伝染病もありましたが,この病気だけは,庶民はもとより貴族や大名も震え上がらせた病気だったようです。
戦後間もなく京都でも小流行し,その時失明された方を(河合俊治)私は知っています。
1980年WHOはこのビールスの絶滅を宣言いたしました。
この病気の恐ろしさは,過去のものとなりましたが,疫病退散を祈った祭だけは今も盛大なお祭として残っているわけです。 

太田社
 祭神 猿田彦神
(さるたひこのかみ) 天鈿女命(あめのうずめえのみこと)

猿田彦神は天孫降臨に際して日神の使として先導の役割を果たした導きの神とされています。
天鈿女命は天照大神の天岩戸隠れに際し,岩戸の前で神楽を舞った神であり,天孫降臨にお供して猿田彦神と対面してともに導き,宮廷神楽を奉仕した猿女君の遠つ祖であり,芸能の神とされています。(案内板より)
 蛭子(ひるこ)
この社の祭神の,事代主命(ことしろぬし)は大国主命
(おおくにぬしのみこと)の子です。
全国にも,府下にも,蛭子(恵比須)神社は数多くあります。
多くはえびすと呼んでいます。
日本神話のいざなぎ,いざなみの男女二神の間に最初に生まれた子で,三歳になっても,「ひる」のように脚がたたず葦舟で流し棄てられた神話の児です。
中世以降,恵比須として崇拝され,漁業の安全や商売繁昌を願う現世利益の都合のよい神として日本人に人気の高い神様です。

(『京都障害者歴史散歩』)

娘さんがお参りしていました。

大国主社
祭神 大国主命
(おおくにぬしみこと) 
   事代主命(ことしろぬしのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)

大国主命は,大己貴神(おおなむちのかみ)・八千矛(やちほこ)神,その他多くの名をもち本社の際神素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御子とも六代の孫とも伝えられます。
出雲の神さまで俗に「大黒さん」といわれる福の神であり,縁結びの神とされています。
事代主命はその御子,少彦名命は医薬の神で大国主命とともに国造りに励まされました。


忠盛燈籠(ただもりとうろう)

永久年間の頃(12世紀)白河法皇(しらかわほうおう)が祇園女御(にょうご)の許(もと)に赴かれようとしてこのあたりを通られた時,折しも五月雨の降る夜で前方に鬼のようなものが見えた。
法皇は供の平忠盛に討取ることを命じられたが,忠盛はその正体を見定めての上とこれを生捕りにしたところ,油壺と松明とを持ち燈籠に燈明(とうみょう)を献(たてまつ)ろうとしていた祇園の社僧であった。
雨を防ぐ為に被っていた蓑(みの)が灯(ともしび)の光をうけて銀の針のように見えたのであった。
忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところであったと云う。
この燈籠はその時のものといわれている。

この近くにあると思っていたのが見つからなかった…
若者が肌につけていたのですが…(*^▽^*)

美御前社(うつくしごぜんしゃ)
際神 
市杵島比売(いちきしまひめ)
多岐理毘売(たぎりびめ)
多岐津比売(たぎつひめ)神 
美御前という名の通り,美を象徴する神として祭られています。
本社の際神,素戔嗚尊が天照大神と誓約(うけい)をされたとき,素戔嗚尊のもっておられた十挙剣を振りすすいで生まれた三柱の女神で,宗像三女神といい,清浄・潔白の証しとなった神々で,俗に弁天さんといわれるのもこの市杵島姫の神です。
古くから祇園の芸妓さん舞妓さんをはじめ美しくなりたい願望の女性はもとより,美容理容・化粧品業者の崇敬を集めています。
(説明板より)

追記)美御前社には,疱瘡(天然痘)を患った若い娘が病気平癒を願って何度もお参りに訪れ,その甲斐あって完治したという古くからの言い伝えがあることから,美の神様として信仰されるようになったのである。
(『地図・地名からよくわかる!京都謎解き街歩き』浅井建爾 実業之日本社 2014年)
祇園の御神水
お昼になったので…
一番出汁をいただくとダシの味が柔らかくて料理が楽しみになります(*^-^*)
お昼のランチですが,月で変わるそうです。

昼のコースは,二種類でした。
お造りがつくかつかないかの違いです。
これだけでもお腹がいっぱいになりそう…
上に乗っているのは湯葉です。
デザートはくるみ餅
水円(閉店しているようです)
音羽山の名水

料理の旨味をなお一層引き立てます
清水寺の「音羽の滝」で有名な,京都東山の天然水
当店には,清水・音羽の滝の流れをくむ井戸があります
水質は軟水で,御料理や御菓子の調理に大変適しております
京料理が発展したのも
こうした「名水」のおかげといってよいかもしれません  店主

八坂神社に引き返して気がつきました…

藤屋と空也上人ゆかりの井戸
この場所には,明治初年まで藤屋という茶店があった。
店の傍らに藤棚があったので屋号を藤屋と称した。
藤屋の初代は,この井の清水を沸かし当社参詣の諸人に呈した。
爾来,参詣者はこの白湯を呑み,身を清めてから参拝さいたので,きよめの茶屋ともよばれた。
延長三年(925)のむかし,時の醍醐帝が疱瘡を罹られ,諸人も病に苦しんだ。
その惨状をみかねた空也上人は当社に参籠し,帝また諸人の病気平癒を祈念した。
その時,上人はこの井の清水を用いた白湯を諸人に施し,それを呑み人々は癒やされたという。
のち,向かいにもう一軒の茶店が出来(現在の中村楼),鳥居の内のこの二軒の茶店は,二軒茶屋とよばれ人々に親しまれた。


この後,歩いたのは後日報告します(*^O^*)/