2024年2月29日木曜日

とくしたかな?

今朝のEテレ0655の最後に

今日は2月29日。
4年に1度の「うるう日」です。
1日得した気がしてうれしいですね~。


この「(うるう)」(国立天文台)について、
うるう月には王が門の中にとどまることから来ているそうです。
朝ドラ「ブギウギ」第22週「あ~しんど♪」 (104)では、村山トミの葬儀が行われていました。

吉本せいの葬儀に参列した笠置シヅ子とヱイ子の姿が映っています。
芸能人そろって焼香 大阪<時の話題>」(NHKアーカイブス 1950年)
愛子の役を6歳の子が演じているのですが、
自然に演じているようですごいなと思います。

6歳の子が2歳の子どもを演じることに批判的なコメントを目にしますが
2歳の子が演技できるのでしょうかね…?
名優は年齢を一気に飛び越えて演じることができます。
たとえば森光子さんなど「放浪記」を2017回も演じています。

森光子(もりみつこ) 俳優」(NHKアーカイブス)
森光子さんへのインタビューより一部転記しますφ(.. )

 森光子(女優)

 …前略…

 京都・木屋町の旅館の娘に生れた森光子は、少女時代、宝塚の華やかなステージに立ちたいと夢を見た。
だが、14歳のときに両親が病死し、その夢は、あっさりと消えた。
いとこに当時の人気スター嵐寛寿郎がいた。
いくばくかの収入を得るために、彼女は女優になった。
(『昭和のテレビ王』サライ編集部・編 小学館文庫 2017年)
「それが、もう大変。一日に午前と午後で、御殿女中と町娘と武家娘というふうに、衣装とかつらを取っ替えて、撮影所の周りを走り回る毎日。でも、その映画があまり内容もなく、だんだん嫌になって、それにそのころ、私は〝クロミッちゃん〟と呼ばれるほど、それは色の黒い少女でしたから、女優には向かないって、あきらめたんです(笑)」
 けれど、歌手になりたいという思いだけは消えなかった。
昭和16年の春、彼女は上京し、歌の世界に飛び込んだ。
ちょうど、20歳のときだった。
「歌手になったっていうと、格好はいいんですけど、戦争が始まって、内務省の検閲で〝おまえの歌は、センチメンタルすぎる〟って、吹き込んだレコードが、テスト盤で、ハイ、おしまいになっちゃったんです(笑)」
 その歌手生活は、芝居の一座にくわわっての地方回り。
やがて軍隊の慰問歌手として、中国や南方へ渡った。
「国内ではモンペ姿じゃないと歌えないのに、なるべく派手にするようにと言われて、たった1枚の振袖をトランクに入れて……。でも、兵隊さんが涙を流して喜んでくださいました」
 戦後も、旅回りが続いた。
そして戦争前から結核の持病があった彼女は、幾度も倒れた。
「楽屋で直前まで横になってて、出番のひとつ前に起きて、お化粧して歌う。食べるために働くだけで、精一杯でした。
 もう自暴自棄みたいになって、そんな生活がたたって、またぶっ倒れて、とうとう入院。左の肺が、まっ黒になってたんです。病院の先生が、〝そんなに長くないな、再起不能だな〟って、言ったらしいんですけど、私は治ったら何をしようかなあって、そればっかり考えてました」
 3年半の療養生活を終えて、昭和27年の春、森光子は退院した。
 …中略…

どんな辛いことでも、明日になればなんとかなる

 戦争や病気の話をするときも、不遇な時代の話をするときも、森光子は、言葉の最後をうまくコントロールして、笑顔で締めくくる。
そこに、見事なまでに前向きな姿勢が表れている……。
それにしても、その肌の白さといったら、実年齢とかけ離れた美しさ。
「じつはね、これ、病気のせいなんですよ。もう20年ほど前になるでしょうか。ある日、首にポツンと白い斑点ができて、それがだんだん広がって……。全身がすっかり白くなるまで、10年かかりました」
 メラニン色素が、正常につくられなくなって起こる〝尋常性白斑〟だという。
「もうこれまで大変、ほんとうに大変でした。洋服のときは、スカーフなんかで首を隠すんですが、着物ときは、首にもファンデーションを塗るしかなくて、半襟が汚れて、汚れて。日の光を浴びるだけでもダメといわれ、ロケはみんなお断りして、苦労しました。
 でもね、若い女優さんから〝うらやましい、私も白くなりたい!〟って言われて、このごろは、この病気にヘンな話、感謝してるんです」
 何ごとも前向きにとらえる、森光子の生き方が、ここにあるような気がする。
 …中略…

 長いインタビューも、終わりにさしかかった。
「私、このごろ、しみじみ思うんです。一度は死の淵をさまよった私が、ずっとテレビや舞台をやり続けてこられた。不思議な気がするんですよ。
 私、お月さんを、ひとりでぼんやり眺めるのが大好きなんです。でね、お月さんに言うんですよ。どんなに辛いことでも、明日になれば、なんとかなるわよね、って」
 小柄なからだに、しなやかさと持ち前のパワーを秘めて、ひと筋の道を歩き続ける希有(けう)な女優だ。
(『昭和のテレビ王』サライ編集部・編 小学館文庫 2017年)

略歴」(森光子公式ウェブサイト)
今朝の父の一枚です(^^)/

第1章 ビル街の鳥―ヒヨドリ

 ✤ヒヨドリの食性


 ヒヨドリの都市進出には、都市周辺の大規模な自然破壊(特にゴルフ場の開発)が関係しているのではないかという説もある。
また、ヒヨドリ自身の習性が都市型に変化してきたという考えもある。
都会のヒヨドリを観察していると、やはり都会で生きていくための技術を習得していることに感心してしまう。
 ヒヨドリはなかなか器用な鳥で、食性の幅が広い。
もともとは、昆虫や果実を食べていた鳥であろうが、都会では何でも食べる雑食性の性質を強めている。
パンやポップコーンといった人工的な食物もよく食べる。
…つづく…
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)