2024年2月22日木曜日

冷たい雨と風

今朝も風が冷たかったのですが、小雨になったので出かけました。
寒いと思ったけど暖冬のせいかベニバスモモの花が咲いていました。
寝ぼけまなこでスマホで天気予報をチェックしたあと
ニュースを見ていたら
俳優 山本陽子さん死去 81歳 映画やドラマなどで活躍」(NHK)
着物姿がとても似合う方でしたが、車好きでも知られていましたね。
話を聞いていると江戸っ子だなぁと思いました。
杉浦日向子さんを思い出します。
ホーッと思ったのが
ネット上の誹謗中傷等に対応するための緊急提言」(自民党 2月20日)

個人情報保護法を盾に真っ黒に塗りつぶした報告書を出していたように
アイヌの人々を揶揄する投稿をする議員や
政治資金問題を指摘されている議員を
ネットで批判されないように保護するために提言したと思ってしまうのだけど…
朝ドラ「ブギウギ」第20週「ワテかて必死や」で「ラクチョウのおミネ」が登場していました。
その時に思い出していたのが鈴木しづ子
鈴木しづ子を知るきっかけになったのが
2002年8月~9月(全9回)に放送された宇多喜代子さんのNHK人間講座でした。
この時のテキストは、絶版になっているのですが、新書版などで復刊しないかなぁ
第7回 境涯俳句
 鈴木しづ子のこと


 石田波郷(はきょう)のいうように「すでにある文学的劇的なものではなくて、日常生活に徹しなくてはならない」という一方に、正真正銘の波瀾の人生を送った人が、自身の身に起こった非日常的なこと、そのときに味わった気持ち、それらを俳句に託した例も多々あります。
ここにあげる鈴木しづ子もその一人で、鈴木しづ子の句が今もって人のこころを打つのは、その句が「劇的なものであった、なおかつ現実生活に徹していた」と思われるからです。
いまでは、この名を知る人も少なくなり、その作品が話題にのぼることもなくなりましたが、俳句史ことに女性俳句史の上からけっして忘れてはならない一人です。
(『NHK人間講座 女性俳人の系譜』宇多喜代子 日本放送出版協会 2002年)
俳文学大辞典』(角川書店)の「鈴木しづ子」の項には次のように書かれています。

   鈴木しづ子 すずきしづこ 俳人。生没年未詳。大正14年(1925)・1・4生れとも。
   戦時中は神奈川県川崎市の岡本製作所、戦後は東京府中の東芝に勤め、昭和23年(1948)に職場結婚。
   1年余で離婚し、米軍基地周辺で働く。
   俳句は同18年から松村巨湫(きょしゅう)に師事し、『樹海(きのうみ)』に拠る。
   句集『春雷』(昭21)、第二句集『指環』(昭27)には奔放な私生活を詠む句が多い。
   同28年、岐阜県各務原(かがみがはら)から失踪。
   [句]「肉感に浸りひたるや熟れ石榴」  [村上 護]
 まず「生没年未詳」ということからしてただならぬ境涯を予感させます。
生年不明ではなく、没年も不明となっているということは、すでに没しているということを前提にしているようです。
つまり「岐阜県各務原から失踪」のあとが不明ということです。
ちなみに、他で見た略歴では生年について次のようになっています。

   すずき・しづこ(1919~   )
    大正8年6月9日、東京神田生まれ。
 この記述の最後も「生死不明」と書かれているのです。
つまり鈴木しづ子については詳しくは何もわからないのです。
生年に限っていえば、正しいのは「大正8年6月9日、東京神田生まれ」です。
それなのに二冊の句集に収めた俳句のみが残って、私たちに鈴木しづ子という俳人がたしかに存在したことを知らせてくれるのです。
 句集『指環』

『指環』は鈴木しづ子の第二句集です。
この句集の巻頭に一枚の写真があります。
強いウェーブのパーマの髪にスカーフをヘアバンドのように巻き、カメラの方をキッと見ている写真です。
戦後、このような髪型の女性をよく見ました。
先輩から『指環』を譲り受け、なにげなく開いて最初にこの写真を目にした瞬間、この鈴木しづ子の目が私の脳裏に焼き付いてしまいました。
ひどくニヒルな感じでありながら何か訴えている、そんな目に思われたのです。

   ダンサーになろか凍夜(いてよ)の駅間歩く   しづ子
   春雪の不貞の面て擲(う)ち給へ
 許嫁(いいなずけ)の戦死、勤務先で知り合った男性との結婚、離婚。
それから「ダンサーになろうか」と寒い夜道を歩きながら迷い、ついに岐阜県各務原の米軍キャンプで米兵相手のダンサーになります。
やがて一人の黒人米兵と恋仲になるのですが、昭和27年にその兵士が折からの朝鮮戦争で戦死してしまいます。
  黒人と踊る手さきやさくら散る
  娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
  落暉美(らつきは)し身の係累を捨てにけり
  雪こんこん死びとの如き男の手

 これらの句からは、米兵を相手にしているときの鈴木しづ子の醒めた感情が感じられます。
「娼婦またよきか」といい放った口調に圧倒されるのです。
より生々しい肉体の情念が直截に表現されているのが次の句です。
  肉感に浸りたるや熟れ石榴
  まぐわひのしづかなるあめ居とりまく
  花の夜や異国の兵と指睦び
  菊白し得たる代償ふところに
  コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ

 当時、いまだだれもが用いたことのなかった性的な比喩を大胆に用いて自らの境遇を俳句に昇華しているのです。
このような句をつくりつづける一方で、
  好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷
  堕ちてはいけない朽ち葉ばかりの鳳仙花
  いまさらの如くにみるよたんぽぽ黄  
  月の夜に蹴られて水に沈む石

のように透明なこころの動きを自覚した句も多く残しています。

…つづく…

(『NHK人間講座 女性俳人の系譜』宇多喜代子 日本放送出版協会 2002年)
今朝の父の一枚です(^^)/
昨日、雨が降っていたので
収納ケースを探しにホームセンターに行きました。
帰ってきて父が言うのは、公園を歩いているよりも疲れたそうです。

にっぽんのスズメ歳時記
 スズメの冬


 寒さは厳しく、エサも少なくなる試練だらけの冬。
スズメたちは一日を無事乗り切るため、とにかくできるだけ食べて体力をつけ、昼も夜も少しでも暖かい場所を探して過ごします。
しかしこの時期、寒さに耐えるスズメの姿は、皮肉なことに人の目にはとてもかわいらしく映ります。
毛をめいっぱい逆立てて空気の層を作り、寒さ対策をしているいわゆる「ふくら雀」状態のスズメは、そのふっくらもこもこ感で大人気。
2羽~数羽で寄り添い合って暖をとる姿に惹かれる人も少なくありません。
 2月ごろになると、スズメたちはつがいになりはじめます。
そして巣場所を物色するなど、春からの子育てに向けて準備をスタートするのです。
(『にっぽんスズメ歳時記』中野さとる写真 カンゼン 2016年)