2023年8月27日日曜日

少しは…

今朝も日ざしがギラギラして目が眩しい…
それでも朝、戸を開けると少し涼しかった。
とはいっても気温はグングン上がっている(°°;)
8月23日に放送された(初回放送2022年7月11日)
映像の世紀バタフライエフェクト「太平洋戦争“言葉”で戦った男たち
太平洋戦争の勝敗に大きな影響を及ぼした、日本語情報士官についての番組でしたが
「コード・ガール」については触れていませんでした。

秘密にしなければいけない仕事にかかわっているの。
ワシントンDCのとある場所で。
何かもらせば、きっと命はない。
この仕事とひきかえに自由を失ったみたい。
それでも構わない。
   ――ジェーン・マグダレン・カズ、1945年、母親への手紙

(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年)
 「コード・ガールズ」についてアメリカでも知られていなかったようです。
出版された時の反響が、

 ペーパーバック版へのあとがき

 本書が出版される前からすでに読者からのメッセージが届き始め、今にいたるまで絶えることがない。
Eメールは一通ずつ印刷し、手紙はすべて保管し、今では何百通もの山になっている。
「大好きなおばベッツィ・ウィンはコード・ガールでした!」とグィン・ギゴンは書いてくれた。
「おばは91歳の誕生日を目前にして亡くなりました。さみしくてたまりません。……自分のしていた仕事について具体的なことは決して言いませんでしたが、亡くなったあとに、海軍からの表彰状を見つけました。
(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年)
「母は、戦争中にしていたことについて話してくれたことは一度もありませんでした」と、アンナ・メイ・バレットの娘、カレン・スコット・ジョンソンは書いている。
母親がアメリカ海軍に入隊して海軍婦人部隊の一員となり、得意な数学を活かして高度な機密情報を扱う権限をもっていたということまではカレンは知っていた。
『コード・ガールズ』を読んで、母親の人生がどういうものだったかをかいま見ることができた、という。
「まるで人生がひっくり返ったように感じています」と、ホフストラ大学学長のゲイル・シモンズは書いてきた。
母親のバーバラ・ジューン・ホイットが一種のコード・ガールだったことは知っていた。
「海軍婦人部隊に入り、ハンター・カレッジの新兵キャンプに行きました。質問されたら、暗号関係の仕事をしていたとは答えました――でも、御著書に描かれた女性たちと同様に、家族に誰にも真実をもらしたり、くわしい話をしたりはしませんでした。その体験の何かが母に深い影響を与えているのは明らかでしたが、母は誰にも打ち明けませんでした」。
本書を読んで、「母について知っていた断片がとつぜんにまとまり、わたしは息をのみました。母が生きていたころにはほとんど感じることのなかったような、母への親密な思いがわいてきました」とゲイルは記している。
 もちろん、本書に詳述したように暗号解読の作業に1万人以上のアメリカ女性が携わっていたのだから、その子や孫たちの数は何十万人にものぼるだろうとはわかっていた。
それでも、読者からこれほど大量の手紙やEメールが送られてくるとは予想していなかった。
75年前のできごとと、それにかかわった女性たちへの個人的なつながりを感じているさまざまな年齢層の人たちからの便りが。
この人々は、母親や祖母や大おばの果たした任務をとても誇らしく思っている。
きょうだいや子どもたちに語り聞かせて、一族の女性の先祖がいかに重要なことをなしとげたのかをわかってもらいたいと強く願っている。
フィル・ギャグニーは、アメリカン大学の大学院生である娘のエリンが、毎日、海軍通信アネックスだった建物(現在は国土安全保障省)の前を歩いていながら、祖母のメアリー・V・ラウアー・キャグニーがまさにそのなかでボンブを稼働させてドイツのエニグマ暗号を破っていたことを知らないでいた、つづっていた。
「娘はまさに、祖母の足跡をたどって歩いているのです」
 カレン・ヴェヴェルカは、母のルースが海軍婦人部隊で暗号解読者の仕事をし、夫とともに国家安全保障局(NSA)で勤務を続けたと教えてくれた。
「具体的なことは何も話さず、秘密を墓場までもっていきました」とある。
「母は昨年、2016年10月10日に98歳で亡くなりました。わたしはひとりっ子で、母とはとても親密でした。とても強く誠実な女性で、生前わたしに刺戟を与え続けてくれました」
 サラ・キャシディは、母のイーヴリン・ボイエット・ホワイトがアーリントン・ホールに勤務していたが自分の仕事は「秘書のようなもの」だったとしか言わなかった、と書いている。
サラの母親は、ノースカロライナ州ウィルソンにあるアトランティック・クリスチャン・カレッジで2年間学んでから、陸軍に採用された。
「祖父母がワシントン行きを許してくれるとは思ってもいなかったと母はつねづね言っていました。母は当時をとても懐かしがっていました」
「大勢の人にとっての遺産の穴をあなたは埋めてくれました」と、おばのマージョリー・ミックラーがアーリントン・ホールで働いていたというジュリー・ミックラーは語った。
おばは以前、日本の降伏メッセージを解読した功績にたいして授与された勲章のメダルをジュリーの兄弟に見せて、絶対に誰にも言ってはいけないと口止めしたという。
家族は、おばの話を信じるべきかそうでないか、わからなかった。
 ジョン・デイは、ミシガン州で英語の大学教授をしていたおばのルース・G・ヴァン・ホーンが、ワシントンに行ったと書いている。
「人生においてもっともわくわくする時期だったといつも言っていました」。
だが、仕事について口にすることはなかった。
たった一度の機会をのぞいては。
「第二次世界大戦の終わりに、トルーマン大統領よりも先に日本降伏のニュースを目にしたの、ととても誇らしげに自慢したことがありました」
 なかにはとても胸が痛むような思い出もあった。
母親が若くして亡くなったので、本書がきっかけとなり新たなかたちで母を身近に感じることができた、と書いてくれた読者が何人かいた。
また、暗号解読者の話を読んで、母親の人生を新たな視点から見るようになった、と語る読者もいる。
 ジニー・ランデスは、母親のメアリーについて便りをくれた。
メアリーは、モンタナ州立大学で数学と科学の学位を取得して卒業し、海軍婦人部隊に入隊した。
「それから50年近くたって初めて、任務のことを口にしました。母は1992年に亡くなりましたが、わたしたちは母にくわしく質問したことはありませんでした。……聡明ですばらしい女性である母が戦後、家事に専念する生活を選ぶしかなかったことには納得しがたいものがあります」

…つづく…

(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年)

八島太郎の名前は知っていたけど…
この番組をみてもっと知りたくなりました。
八島太郎」(いわさきちひろ記念事業団)