2023年8月20日日曜日

強烈な日差し

今朝も強烈な日差し。
熱中症対策「かきくけこ

 風通しをよくする
 休憩をとる
 クーラーを使う
 健康管理は日ごろから
 こまめに水分補給

他にもいろいろあるみたいですが、
が 外出をひかえる」も番外で?
近畿地方 午前中から猛暑日のところも 熱中症対策の徹底を」(関西NHK)
台風7号で閉園になっていた山のエリア
金曜日の午後から開園されました。
どれくらい木が倒れているのかなと思ったけど…

ずいぶん前からお知らせの張り紙が貼られていたハナモモの木
お知らせ
 この木は生育不良により、将来的に倒木や大きな枝が落ちたりして、
公園を利用する人に影響を与えるおそれがあるため、撤去を予定しています。
 ご理解・ご協力くださいますよう、よろしくお願いします。
 撤去作業は8月中旬の予定です。

春になると早くから花を咲かせていました。
ただ、木の中に害虫がいるようで樹液が出ていました。
それでも台風7号に耐えました。
日本軍兵士の多くが戦死でなく餓死・病死でした。
国内では「ぼん鐘を守った技師」(NHK)
日本がここまで物資不足になったのは…

第9章 鉛筆を動かす女たちが日本の船を沈没させる


 …前略…

 アメリカ海軍の快進撃の陰には暗号解読者がいた。
「海中での戦闘の成果はある程度、日本の暗号文が解読されたことに起因する」と海軍の報告書に記されている。
あるアメリカ海軍司令官が戦後の覚え書きにおいて、攻撃をする抜ける護送船団がときおりあったが、それは単に、アメリカ潜水艦が解読通信文から得られた情報で手一杯で、警告を受けた護送船団すべてを処理する余裕がなかったからだと述べている。
海軍アネックスでは、海軍婦人部隊の作業ラインが、日本海軍に物資を補給する商船の動きを見破っていた。
陸海軍双方からの報告が潜水艦長に届けられたことで、大量のインテリジェンスをさばき切れなかったのだ。
(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年)
 戦後、日本の商船とそれらがたどった運命についての調査が実施された。
調査結果のファイルを収めた箱は大量にのぼった。
その厖大な保管資料から1ページだけ紹介しよう。

 1943年7月2日、潜水艦がイスズ丸を撃沈。
 1944年12月2日、潜水艦がハワイ丸を撃沈。
 1944年10月16日、またはそのあたりに、航空機が第23ヘンシュウ丸を撃沈。
 1944年8月31日、潜水艦が第20ヒノデ丸を撃沈。
 1944年10月16日、航空機が第16ホウライ丸を撃沈。
 1945年1月27日、水雷がヒスンヤン丸を撃沈。
 1944年1月2日、潜水艦がイッシン丸を撃沈。
 1944年1月20日、航空機がジンツウ丸を撃沈。
 1944年9月12日、潜水艦がカチドキ丸を撃沈。

 リストはまだまだ続いている。
 日本の船舶輸送が壊滅的な打撃を被ったことから甚大な影響が生じた。
兵たちに食料や薬品が届かなくなった。
飛行機の予備部品がなくなり、任務を遂行できなくなった。
増援のために派遣された目的地に部隊がたどりつけなかった。
1944年3月12日、2468の通信文1通が解読され、第21ウェワク輸送船団の航路と日程が判明し、ウェワクを出発しパラオに戻る途中に撃沈された。
日本陸軍の第18方面軍が、切実に必要な補給物資の輸送が可能であることを陸軍司令部に説明しようとして、「1月におけるラバウルからトラック諸島までの船舶輸送についての情報を完璧な表にまとめた」が、それを伝える通信文に船舶の航路が示されており、船の運命が決まってしまった。
船団の50パーセントしか目的地に到達できず、帰港できたのは30パーセントだけだったのだ。
 アメリカ海軍報告書によれば、戦争終結までに、「日本の商船全体の3分の2以上と、あらゆる種類の軍艦が多数沈没した」とある。
「これほどの船舶が沈没した結果、1944年半ばの時点で日本は海外の原材料や石油資源を遮断され、軍需産業の生産力と軍事行動に多大な打撃を被った。海外基地は増援や補給が得られず弱体化し、わが国の空と海からの攻撃、そして陸海共同の作戦の前に倒れた。占拠した基地に重爆撃機が輸送された」。
この報告書を作成したアメリカ太平洋艦隊潜水艦隊司令官C.A.ロックウッドは、部下たちは「日本の海軍軍艦と商船、護送船団の航路と構成、潜水艦攻撃で被った損害、実践中または実践予定の対潜対策、わが軍の魚雷の効力、そのほか関連する豊富なインテリジェンスについて、大量の情報を継続的に入手していた」と記している。
暗号解読の成果が得られないときには、「解読情報が手許になく途方にくれた。接敵し撃沈した数のカーブは、入手できた通信インテリジェンスの量を示すカーブとほとんど一致していた」。
 また、「太平洋に展開中のアメリカ潜水艦が一隻残らず忙しく任務に励む時期が多々あった」とも述べている。
 実際、暗号解読から得られたインテリジェンスのために、太平洋には実態よりも多くのアメリカ潜水艦が存在するという印象を日本人に与えていたようだ、とも書いている。
「1945年初頭のシンガポールでは、アメリカ潜水艦の潜望鏡の上を伝え歩いて現地の港から日本まで行けると言われていたものだ、と日本人の捕虜から聞かされた。日本人がこういう印象をもったのは、多数の潜水艦が哨戒していたからではなく、明らかに通信インテリジェンスのおかげで、日本の船がいるところはつねに潜水艦がいたからである」
 攻撃のきっかけを作った通信文はふつう破棄しなければならなかったので、主要な戦果の一部を個人的に書き留めていた、とも司令官は述べている。
そのなかには、1943年8月に潜水艦ポーギーによって沈められた航空機運搬船の最上川丸、1943年12月にセイルフィッシュに沈められた護衛空母の冲鷹(ちゅうよう)などがある。
また、「1945年4月にスレッドフィンとハックルバックが大和の特別部隊と接敵・追跡した結果、翌日、空母部隊によって、戦艦大和、巡洋艦矢矧(やはぎ)、駆逐艦の浜風、磯風、朝霜、霞が撃沈された」という記述もある。
司令官はまた、潜水艦が撃沈した全商船の50パーセント以上は暗号解読の成果であるとも述べている。
「敵が機雷を敷設した区域についての情報」のおかげでアメリカ潜水艦はそこを避けることが可能となり、日本の船の「航路帯をかなり狭める」ことができた。
…後略……
(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年)
昨日は、循環器科診察前の血液検査と尿検査で病院へ。
病院に到着したのが午前8時で曇っていたから大丈夫かなと思っていたのだけど
入口の検温計で37.9℃…もう一度測っても37.9℃。
3度目測ると36.1℃…???
火曜日に歯科、水曜日は、循環器科を受診するのだけど…