2026年1月25日日曜日

昔は……(てんのじ村記念碑~通天閣本通)

           
大阪の街歩きをしたのですが、
途中でコンデジが「カード異常です」と表示され撮影できなくなりました(T_T)
帰宅後、別のカメラにSDカードを入れてみても同じ症状…
昔、フイルムカメラの時代、夢中で撮っていたらフイルムの入れ方が悪く、
なんにも撮せていなかった苦い経験を思い出しました(;´Д`) 

堺筋線の「動物園前」で降りて向かったのが「てんのじ村記念碑
昔、難波利三さんの『てんのじ村』を読んで訪ねたことがあります。
その頃のblogの画像(2010年)なのですが、画像がかなり小さいです。
あの頃と比べてまわりの景色がかなり変わったように思います。

2010年のblogで転記した碑文

上方演芸発祥之地
  てんのじ村記念碑
 

仏法最初、荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は、また文化芸能淵叢の地でもあった。
往昔、北は生国魂より南は天神森紹鴎社に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。
現在の通称「てんのじ村」は、まさにその中心の地に当たる。
昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集、爾後、上方庶民の文化、演芸の再建、飛躍の拠点となった。
今回、都市計画による地区改変に際し、縁故芸能人、地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾せんとするものである。
    昭和五十二年十一月八日 吉田留三郎 識
商店街の中を目立つカメラで撮すのはと思って
コンデジで途中の目印などを撮していたのですが
画像を見ることができません(「スーパー玉出 今池店」の近くです)。
迷って迷ってたどり着いたのが…
松乃木大明神(まつのきだいみょうじん)
石碑が二つ並んで建っています。
猫塚
 新世界・飛田 

 …前略…
 
 ちなみに、南陽通を43号線を超えて南下する商店街は、今なお「動物園前一番街」の名で知られており、入り口近くの高速道路高架橋下には芸能発祥の地として記憶にとどめられている「てんのじ村」の記念碑がある。
商店街には小規模ながら特色のある商店が軒を構え、飛田へのメインストリートとなっている。
かつて映画「どついたるねん」(監督・坂本順治 1989年)の撮影場所となった旧南海電鉄天王寺支線(1993年完全廃線)の踏切も、今はその面影さえない。
ただ、ジャンジャン横町での三味線とゆかりの深い石碑だけは、今もひっそり廃線跡の神社にたたずんでいる。
松乃木大明神に祀られている「猫塚」の石碑がそれである。
三味線皮に活用される猫の供養にと建立されたもので、神社の境内はさほど広くはないが、私たちの身近な邦楽がいかに動物の尊い命の恩恵を受けているか、じっくりと考えることのできる空間である。

 …後略…

(『かくれスポット大阪』吉村智博 解放出版社 2013年)
近松門左衛門碑・猫塚』(西成区 「文化・名所・旧跡」) 

江戸時代中期の浄瑠璃作家、近松門左衛門の巨大な碑である。
明治34年第5回内国勧業博覧会のため、当時、天王寺公園内にあった碑を地主、室上小三郎という人が許可を得て現在地に移したことが台石に書かれている。

猫塚は、明治34年室上小三郎が建てたものである。
この塚は、三味線の胴に張る猫の供養に遊芸関係者の拠金でできたもので、碑も三味線の胴の形をしたユニークなものである。
[松乃木大明神内] (太子2-3-19)
 懐かしい手押しポンプがありました。

井戸ポンプ
 「懐かしい形」も一社からはじまった


 かつては炊事洗濯と生活の中心にいた井戸ポンプだが、現在は就職難が続いており、花形は路地裏ガーデニングへの水やり、子供の遊び相手。
多くのポンプは無職であり、隠居生活を送っている。
ひっそりと路地裏に残り、鋳鉄で作られたボディは緑色・青色に塗られていることが多い。
 この、いわゆる「懐かしい形の井戸ポンプ」は東邦工業株式会社が作ったもので、従来は柄の部分が木製だったものを、一体鋳造したのが始まり。
共柄型のポンプとなった。
他社もこのポンプをまねて作りはじめ、この形がスタンダードになった。
そのため東邦工業株式会社のポンプでも他社製品のパーツで代用が利く事態なってしまった。
 井戸ポンプは懐かしさだけでなく、電力を必要としないため、災害時にも役に立つ。
阪神大震災時にはその役割を見直され、以降、公共施設には井戸ポンプを新設していく流れができている。
近年設置された新しい井戸ポンプとともに、人と暮らしを支えて親しまれてきた古い井戸ポンプも、これからも残っていくのだ。
いつまでも。
(『街角図鑑』三土たつお 実業之日本社 2016年)
十日戎のときは人混みの苦手なσ(^^;)なので一度もお参りしたことがありません。
ニュースなどでその賑わいを見るだけでした。
朝ドラ「ばけばけ」にサワ役で出演している円井わんさんが「宝恵駕(ほえかご)行列」に参加されていました(朝ドラ「ばけばけ」公式 Instagram)。

別のお寺ですが
大阪・成田山不動尊で2月3日に行われる
『成田山節分祭』に豆まき役にお三人が登場するそうです(朝ドラ「ばけばけ」公式)。
画像を編集していて気がついたのですが
鼻の上にチョコンとなにかが置かれている……
お賽銭かな(*^O^*)
こちらの狛犬には乗っていませんでした。
こちらを睨んでいるからかな(^_-)
 今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ) 

 今宮戎駅から東へ30mほど歩くと、「えべっさん」の愛称で大阪市民に親しまれている、今宮戎神社の石鳥居と石畳の参道に出る。
そこから北に進むと、神社正面の石鳥居に着く。
創建は600年、四天王寺の西方の守護神としてまつられたと伝わり、天照大神(あまてらすおおみかみ)・事代主命(ことしろぬしのみこと<えびす神>)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・月読(つくよみ)命・稚日女(わかひるめ)命をまつる。
(『大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊野・三島』大阪府の歴史散歩編集委員会編 山川出版 2007年)
 古来、難波津(なにわのつ)に近く、本来は漁業の守り神であった。
平安時代から室町時代にかけては、鮮魚を宮中に献上したといわれる。
四天王寺西門に開かれた「浜の市(はまのいち)」の市(いち)の神(かみ)としてまつられて以来、商売繁盛・福徳円満の神として信仰されている。
 現在の本殿は、1956(昭和31)年に再建されたもので、境内南側の石鳥居は、中央のほか左右に脇鳥居がつく三輪(みわ)鳥居の形式である。
 境内北東の乙姫稲荷(おとひめいなり)社は、諸芸発達の神として知られ、祈願に訪れる芸能人も多いという。
 ふだんはひっそりと静だが、毎年1月9日から11日にかけての十日(とおか)戎には、100万人を超す参詣者が詰めかける。
「商売繁盛で笹持ってこい」の大唱和のなか、多数の応募者の中から選ばれた福娘から福笹を授かろうと、押し合いへし合いの大混雑が続く。
まさに新春の浪花を代表する風物詩といえよう。
(『大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊野・三島』大阪府の歴史散歩編集委員会編 山川出版 2007年)

50mmレンズでは、神社の全体を撮せないと思ってコンデジで撮そうとしたら「カード異常です
それまで撮すたびに画像を確認できたのに…(T_T)
すぐ近くにあるのが「廣田神社」(浪速区)
  邪鬼を祓い 神社を守護する
  狛犬 
 外国からもたらされた異形のイヌ

 神社を訪れると、様々な狛犬像が我々を出迎えてくれる。
神社の守護や魔除けといった役割を果たす霊獣だ。
仏教とともに、日本に伝来したと伝えられる。
(『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監) 二見書房 2018年)
 獅子はライオンであるが、古代日本人は獅子を見たことがなく、これを異様な姿をしたイヌであると捉えた。
そのため異国のイヌということで、「高麗犬(こまいぬ)」と呼ばれるようになり、やがて「狛犬」と転じたという。
 古くは宮中の調度品として用いられていたが、時代が下るにつれて拝殿の床上、拝殿前、鳥居そばと屋外に置かれるようになり、素材も木から雨露で朽ち果てにくい石へと変化した。
(『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監) 二見書房 2018年)
今年の干支午の隣りに奉納されている絵馬

わがまち、わがやしろ
 都市の中のまつりの発見
 アカエの話 


 古くから、廣田神社の神使とされてきたアカエ
赤鱝あるいは赤鱆と書くアカエイの関西での呼ぶ名ですが、絵馬として神前に奉納されていますから、ごらんになっていることでしょう。
 このアカエ、痔疾をはじめ難病悪疫の守り神として広く信仰されており、アカエを断(た)って、つまり断食して祈願すれば、霊験あらたか難病も治癒(ちゆ)するといわれます。
 とくに痔疾にあらたかだとされるのは、アカエの尾には鋭いトゲがとびだしていて、トゲには鋸状の歯が逆向きにならび、これに刺されると傷口が荒れ、その毒によってものすごい痛みをおぼえるからで、漁師はアカエをとらえると同時に尾のつけ根からぷっつりと切り落としてしまうそうで、この尾を断ち切ることをアカエを断つことにかけて、トゲにさされた痛みも似た痛みにも似た疾患をなくすといった信心が生まれたのかと思われます。
 廣田神社のあるあたり、いまも木津の魚市場があるように、昔は漁師町だったからでしょう。
舟底の冷えなどで漁師に多かったといわれる痔疾がアカエ信仰と結びついたのかもしれません。
 もっとも、アカエが美味だったこと、さらに漢方薬として珍重されていたことも、これを断たせることで献上につながったのではないか、かって廣田神社の宝物に禁裏御所御厨子所 御肴物御用の魚箱があったこととかさねあわせて、ちょっと意味ぶかく思ったしだいです。
   額田 武 エッセイスト
日本橋小中一貫校「大阪市立浪速小学校 大阪市立日本橋中学校」のフェンスに沿ってあったのが
大阪にもあるんだと思ったのが「大阪名物 六道

 日本橋筋 

 日本橋筋を西へ入ると、そこはかつて関谷(せきたに)町と称していた一帯である。

…中略…

戦前の各種の社会調査のなかに「関谷町」と表記されているのは、東関谷町を指しており、「六道ヶ辻」と記した調査もある。
これは現在、六道辻の碑文がある関谷公園あたる場所に、かつて六方面へ伸びる辻があったことに由来するとされており、これが仏教の来世「六道」(地獄趣、餓鬼趣、畜生趣、修羅趣、人間趣、天趣の六趣)にまつわる信仰と結びついたのだろう。

 …後略…

(『かくれスポット大阪』吉村智博 解放出版社 2013年)
 通天閣に、戦後の復興を祈る。 

 …前略…

 通天閣の高さ103mは、現在の都心では決して自慢できるような高さではない。
周囲に高層ビルが建ち並び、遠くからみると今にも展望台がスカイラインに埋れてしまいそうだ。
竣工当時の写真や絵はがきには、周囲に遮るもののない通天閣がそびえ立っているが、現在の展望台から望む景色には、マンションのバルコニーに補された洗濯物が目に入ったりもする。
そして2014年、高さ日本一を誇るあべのハルカスが完成、高さ300mは通天閣の約3倍で、通天閣ははるか上空から見下ろされる立場になってしまった。
 それでも、通天閣が大阪の顔であることは全く変わらない。
何より新世界の心意気が宿った街のシンボルなのだ。
(『大阪名所図解』画・綱本武雄、解説・酒井一光 髙岡伸一 江 弘毅 140B 2014年)
お昼にしようと歩いていくと占いをしている方がいて通り過ぎたけど
アレッ???と思って引き返すと張り紙が…
blogを書きながら検索すると

総本家更科のInstagram
新店舗オープン予定は2月後半だそうです。

そういえば、京都の「大黒屋」も新しい場所で営業を再開したそうです。
トボトボ駅に向かっていると
昔ながらの「オムライス」がショーケースにあるのを見つけて入りました(最初の画像)。
読んでいる本は『パレスチナ詩集』(マフムード・ダルウィーシュ著 四方田犬彦訳 ちくま文庫)

昨夜のETV特集「マハティール 100年の風に立つ
再放送があるので未見の方は是非ご覧下さい(1月29日(木)→前日の28日午前0時から)
病をおして「アメリカとの協定は我が国の自由と独立を奪うものです
2025年の今 独立を失うのです
」とトランプ大統領を批判し

私たちは第二次世界大戦を戦ったばかりです。
それなのに世界は何もしない。
文明国などと言いながら
人々が殺されているのに何もしない
私たちは誰にもヨーロッパ 日本どこであれ
支配されたくないのです
ただ自由でありたいのです

と批判した国は……
一方、日本はトランプ大統領に尻尾を振り、イスラエルに渡航費を出してもらって嬉々として訪問する議員団は、
ガザの子どもたちを殺戮しているドローン兵器を購入しようと意気込んでおられた。
松川るい自民党議員の投稿 1月5日

一方マハティールは
『戦争は犯罪である』という考えは長年私の中にあり
退任後戦争を犯罪とするNGOを設立することを決意しました

戦争を犯罪とする考えを世界に広げるために
マハティールが大切にしているのがアジアなど10か国以上の高校生が参加して
夏に行われる日本の次世代リーダー養成塾
マハティールが若い人たちに伝えたいと願うことを番組でご覧下さい。

毬谷友子さんの投稿(1月9日)に
ネタニヤフを表敬訪問した国会議員の名前を忘れないで下さい。
写真はイスラエルによって破壊されたガザの街

(以下、議員の名前が記されています)
昔懐かしいオムライスをいただいたお店は 『喫茶ブラザー』(「通天閣本通商店会」)。
検索すると昭和25年創業だそうです。
と言うことは、2代目の通天閣はまだ姿を現していなかった(昭和31年再建)。
通天閣資料館

フワトロのオムライスも美味しいのですが、
子どもの頃、母が作ってくれたオムライスを思い出す(^_^)v