2025年8月23日土曜日

処暑なんだけど…

ここしばらく雨が降っていないので地面はカラカラです。
今朝は、曇っていて、予報では雨の可能性があったのだけど降りませんでした。
鹿児島などは台風12号による大雨の被害が出ているというのに…

大阪市などで36度予想 近畿4府県で熱中症警戒アラート」(関西NHK)
今日は二十四節気の「処暑
と言われてもまだまだ最高気温の更新がありそうな…

第四十候 処暑 初候
 綿柎開(めんぷひらく)
 純白の綿毛が顔を見せるとき

「柎(はなしべ)」とは、花の萼(がく)のこと。
綿を包む萼が開き始めるというころ。
綿の花は、7月~9月にかけて立葵(たちあおい)に似た淡く黄色い美しい花を咲かせます。
その五十日ほど後に実が熟し、萼がはじけて白いふわふわとした綿毛に守られる種子が跳び出します。
この綿糸を紡ぐと木綿の糸や布に。
綿花をまとう種子から綿実油が採れ、食用油としても利用されます。
すでに紀元前6千年ごろには、メキシコで綿花の栽培が行われていたとされる痕跡も発見されています。
(『イラストで楽しむ日本の七十二候』アフロ著、森松輝夫絵 中径出版 2013年)

綿柎開」は「わたのはなしべひらく」とも。
帰宅後、12時過ぎにテレビをつけると
高校野球 沖縄尚学が優勝 夏の甲子園は初」(NHK)

妹とテレビを見て応援すると……
と言うことで見ませんでした
妹は、テレビをつけたり消したりしていたそうですが(^_-)
先日、妹にダビングを頼んだ
アナザーストーリーズ 運命の分岐点
沖縄が熱く燃えた夏~甲子園に託した夢~」(初回放送:2022年7月22日)を
昨夜、見ていました。

昨日は、
「対馬丸」撃沈から81年 那覇で慰霊祭〟(沖縄NHK 8月22日)
8月16日の記事で若冲の名は『老子』に由来していると紹介しました。

 第四十五章 

大成(たいせい)は欠けたるが若(ごと)く、
其の用弊(やぶ)れず。
大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若く、
其の用窮(きわ)まらず。
大直(たいちょく)は屈するが若く、
大巧(たいこう)は拙(せつ)なるが若く、
大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。
(そう)は寒(かん)に勝ち、
(せい)は熱(ねつ)に勝つ。
清静(せいせい)にして天下の正(せい)と為る。
(『老子』福永光司 ちくま学芸文庫 2013年)
現代語訳

本当に完成しているものは、どこか欠けているように見えるが、
いくら使ってもくたびれがこない。
本当に充実しているものは、一見、無内容に見えるが、
いくら使っても無限の功用をもつ。
真の意味で真っ直(す)ぐなものは却って曲りくねって見え、
本当の上手は却って下手(へた)くそに見え、
本当の雄弁は却って訥弁(とつべん)に見える。
動きまわれば寒さがしのげ、
じっとしていれば暑さがしのげるとか、
清静無為であれば天下の正(おさ)となるのだ。

(『老子』福永光司 ちくま学芸文庫 2013年)
別の本から現代語訳を紹介します。

第四十五章 

 大いなる完成は欠けているように見えるが、その働きは衰えない。大いなる充実は空虚のように見えるが、その働きは窮まらない。
 大いなる直線は屈折しているように、大いなる技巧は拙劣なように見え、大いなる弁舌は口べたのように見える。
 活発に運動すれば寒さに勝ち、じっと静かにしていれば暑さに勝つ。さっぱりとして静かであれば世の中の模範となる。
(『老子』蜂屋邦夫訳注 岩波文庫 2008年)
 第四五章 不器用でいい

タオの働きは大きすぎて、
働きはにぶくみえるがね、
使うとなったら、
いくら使っても使い尽くせないんだ。
それは空(から)っぽにみえるがね、
(く)みだすとなると、
いくら掬んでも掬み尽せない。
そして水が海へゆくように
曲りくねりながらゆくが、
ちゃんと目ざす所へゆきつく。
その動きは大きいから
見た目には不器用で無骨(ぶこつ)なのだ。
人間でもタオの人は
文句を言って争ったりしないから
口下手にみえる。

結局
かっかと騒げば、
寒さはしのげるがね、
かっかと熱した心に勝つのは
静けさなんだよ。
実に
清く澄んだ静けさが
世の中の狂いを正すのさ。

(『タオ――老子』加島祥造 ちくま文庫 2006年)

読み比べると面白いなぁと思います。
先日の記事で「…後略…」としましたが、続きを転記したいと思いますφ(.. )

 「孤独癖と、仏教と」つづき

 先ほどから出てくるこの大典顕常(だいてんけんじょう)という人物は、1719年に生まれ、10歳のときに禅門に入り、相国寺(しょうこくじ)で修行をするかたわら黄檗宗(おうばくしゅう)の大潮和尚(おしょう)のもとで文学を学んで、この時代の五山における最高の詩僧と目されるまでになった人です。
61歳のときには相国寺の住持職(住職)になり、以降、1801年に81歳で亡くなるまでこの職にありました。
若冲とはたった3歳差の同世代で、二人は親しく付き合いながら生涯を送ったわけですが、大典は若冲の親しい友人という以上に、思想上の師として、また絵画理論の師としても、若冲の進路に決定的な影響を及ぼす存在だったということができます。
(『よみがえる天才1 伊藤若冲』辻惟雄 ちくまプリマ新書 2020年)
 学僧だった大典は何冊もの詩文集を残していますが、これらは画僧の月僊(げっせん)、文人画家の池大雅(いけのたいが)ら、同時代の文人や画家との交友録としても読むことができるものです。
なかでも目を引くのが、やはり目を引くのが、やはり若冲にかんする文章(先の「藤景和画記」および「碣銘(けちめい)」)で、大典は若冲というたぐいまれな画家に親愛の情を抱いていたことがうかがえます。
 若冲と大典が知り合ったのは、残された文章から、三十歳代の半ばから後半にかけてのことだと推察されます。
孤独癖、人嫌いという自身の性格について悩んでいた若冲は、仏教に救いを求めたところもあるのかもしれません。
彼の仏教への傾倒は大典との交流を通して強まり、若冲という号を得てからは、僧侶のように頭を剃(そ)り、肉食を避け、まるで禁欲僧のような生活をしていたことも記されています。
ただ、生涯独身を通したことについては、私には宗教的な理由だけだったとは思えません。
第2章で紹介する《動植綵絵(どうしょくさいえ)》の作品を見ても、女性に対する何らかのコンプレックスがあった可能性は否定できないと思います。
 ただし、禁欲僧のようだったとはいえ、気難しく付き合いづらい人だったわけではなさそうで、生け捕られた雀(すずめ)が何十羽も市場で売られているのに出会い、焼き鳥にされてしまうその運命に同情し、数十羽を買い求めて自宅の庭で放してやった――という心あたたまるエピソードも残されています。
捕えた生き物を放してやる「放生(ほうじょう)」は仏教の善行のひとつであり、若冲は仏の御心(みこころ)にかなうような行動を、おそらくほかの機会にもしていたのではないかと思います。
(『よみがえる天才1 伊藤若冲』辻惟雄 ちくまプリマ新書 2020年)
雀を自宅の庭で放してやったというエピソードから思い出すのは

第百二十一段

 訳 養い飼う動物として必要なのは、まず、馬と牛。
それらを繋いで使役(しえき)して苦しませることになるのは可哀想だが、牛馬がなくては人間生活が成り立たないから、この矛盾はどうにもしかたがない。
犬は、外敵から防御してくれる能力が人間以上であるから、ぜひとも必須の動物である。
ただし、すでにどの家でも飼っているので、それ以上、ことさら求めて飼わなくてもよいだろう。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 その他の鳥や動物は、すべて人間にとって無用のものである。
野を走る獣は逃げないように檻に閉じこめられ、鎖に繋がれ、空を飛ぶ鳥は飛べないように羽を切られ、鳥籠に入れられる。
鳥は大空の雲を恋い、獣は野山を思って悲しむ、そういう動物たちの苦しく悲しい気持ちは、人間に飼われているかぎり、なくなることはない。
その辛(つら)い思いを自分自身の立場になぞらえて、自分でも我慢できないと思う人なら、鳥や獣を繋ぎ閉じこめて、わが目を楽しませることなど、どうして出来ようか。
生き物を苦しめて、自分の目を喜ばせるのは、中国古代の桀(けつ)や紂(ちゅう)のような、残酷きわまりない悪人と同じである。
それに対して、王子猷(おうしゆう)が鳥を愛したのは、鳥たちが林で自由に飛び交(か)って、楽しむのを見て、自分の散歩の友としたのであって、決して捕獲して苦しめたのではないのだ。
 そもそも、「珍しい禽獣を捕獲して、国内で飼ってはならない」と、『書経』にもあるではないか。
  桀・紂 中国古代の伝説的な悪玉。あまりに残虐だったので、それぞれ夏(か)と殷(いん)は滅亡した。
  王子猷 書聖・王羲之(おうぎし)の子で、風流人。?~388。

  生き物全般に対して、自分の楽しみのために飼育してはならない、ということが強調されている。
すべての生き物の気持ちを思いやる深い心情の根底には、自由を束縛されることに対する、兼好自身の強い忌避感があるのだろう。
末尾を中国の古典からの引用によって締め括っているのは、前の段と同様のスタイルである。
読書によって身に付けた教養が、自説を展開する時の基盤として、よく機能している。
 なお、徒然草に関する名注釈書『徒然草文段抄』を著した北村季吟は、幕府歌学方(かがくかた)として江戸に招かれ、将軍綱吉に『徒然草拾穂抄(しゅうすいしょう)』を献上した。
「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」を出し、動物保護を実践した綱吉は、万感の思いで、この段を精読したことだろう。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

転記する順をかえています。
芸能きわみ堂「京都・祇園祭 能楽と生きる町
ゲストに澤田瞳子さんが出演されていました。
祇園祭は「カップルで行くと別れちゃう?!」というジンクスがあるそうですよ(^_-)
京都はんなり暮し<新装版>』を読むと
この他「行くと別れる」場所として、円山公園・嵐山・平安神宮・清水寺・伏見稲荷などが有名だそうですし、
縁結びの神様・地主神社をカップルでお参りすると、神様がやきもちを焼いて別れさせてしまいかねないそうです(「祇園祭、恋愛てんやわんや」)。

葉室麟さんの『洛中洛外をゆく』の中で澤田瞳子さんが
若冲の生涯にかなり正確に迫ったつもりですが、奥さんに関するエピソードはすべてフィクションです。その部分だけは大きな嘘をつきましたが、当時の商人の生活を考えたら、もしかしたらあり得たかも、と思っています。

若冲のあの驚異的な集中力と持続力の源がどこにあるのかと考えた時に
澤田瞳子さんの『若冲』は、ひとつの答えだと思います。

また、『よみがえる天才1 伊藤若冲』は、
辻惟雄さんが若い人向けに書かれていて入門書として最適だとおもいます。
今朝の父の一枚です(^^)/
写っている子はスズメですが

 「ムクドリだって言葉が話せる」つづき

 ムクドリの声はうるさいとよくいわれるが、それは「ムクドリはうるさい」という長年の刷り込みのせいでもあると感じている。
たしかにムクドリの集団は騒がしく、群れている木のまわりで声の音量を計測すると、騒音レベルに達することもある。
それでも個人的には、〝単独〟で鳴くムクドリの声をうるさいと思ったことはない。
決して大音量ではないからだ。
聞きにくくもない。
その声の質も、鳴禽類の中でのムクドリの「個性」だと感じている。
 ホシムクドリの地鳴きはムクドリに似ているが、一羽で鳴く声を聞いたなら、ムクドリよりもずっと聞きやすいと感じる人は多いように思う。
金属的な響きのあるホシムクドリの美しいと感じる人もいるだろう。
ホシムクドリとおなじように金属的な響きをもつ、日本でも見かけるコムクドリのさえずりは音楽的でもある。
 重ねて記すが、ムクドリ科の鳥は鳴管のコントロールが上手い。
そのおかげもあって、人間の言葉に聞こえる音が出せる鳥も少なくない。
脳も十分に発達している。
ゆえに、キュウカンチョウだけでなく、ムクドリやホシムクドリやハッカチョウも、人間の言葉をおぼえて話すことができる。
ムクドリ科に声がよいと思える種が複数いるのも、鳴管を上手くコントロールできているためである。

 …つづく…

(『鳥を読む 文化鳥類学のススメ』細川博昭 春秋社 2023年)