2024年3月10日日曜日

日ざしは春なんだけど

青空が広がっていて日ざしは春のようでしたが
風が冷たかったです。

貴重な映像が見つかりましたね!
笠置シヅ子さんの戦前収録とみられる貴重なフィルム発見」(NHK)
昭和20年3月10日に
東京大空襲を経験の96歳女性 被害者救済の法案成立訴え 東京」(NHK 3月4日)

アメリカに補償を求めるべき」だと考える人は
東京大空襲の戦後史』(栗原俊雄 岩波新書)の「試し読み」を読んでいただきたいです。
1952年のサンフランシスコ講和条約で補償請求権を放棄しているのです。
日本政府が被害者を救済しなければならないのです。
昨日でブラタモリが「いったん区切りをつけることに」なったそうです。
文面を見ていると特番がありそうですね。
いまでこそNHKのいろんな番組にタモリさんが出演していますが
当初、NHKに出演するのは大変だったようですよ。
尽力したのが……
  永六輔(放送タレント)

僕が時々テレビに出るのは、昔のまま残る老舗にちょっと寄り道する感覚なんです。

…中略…

 素人こそテレビ向きだと早くから読んでいた

 …前略…

 もうひとつ、永六輔が心血を注いでつくり上げた番組が、NHK『ばらえてい テレビファソラシド』。
女性アナウンサ-の加賀美幸子を主役に起用、脇にタモリを配し、毎回、さまざまな職業の人をゲストに迎えるバラエティー・ショーだったが、このときは自身でも出演している。
(『昭和のテレビ王』サライ編集部・編 小学館文庫 2017年)
「タモリがまだ赤塚不二夫さんのところに居候しているころから、この人はおもしろいぞと思っていた。でも、当時のNHKでは、サングラスをしている人は駄目、長髪も駄目。そういう時代ですから、タモリという異様な人間を出すために、NHKを説得するのがひと苦労で。結局、加賀美幸子さんをお目付役として置くことでバランスをとろうと。それで了解を得たわけですけど、僕自身がテレビに顔を出したのはタモリが何か危ないことをしないようにするため(笑)。加賀美さんだけではタモリを抑えきれない場合に備えて、手綱を持つ係だったんです」
 タモリがNHKに出る、これは当時としては、もはや〝事件〟と呼んでいいものだった。
くわえて、この『テレビファソラシド』には、テレビ史上、画期的なもうひとつの事件が重なっている。
「あのころは、女性アナウンサーが番組の司会をするということはあり得なかったわけです。だから、そこに加賀美幸子さんを起用したというのは、じつはタモリが出た以上の大事件だったんですね。その加賀美さんはニュースを読むアナウンサーとして座っている。その横からタモリが茶々を入れたりするわけですから、加賀美さんも最初は出るのを嫌がったんですね。そこをあえて〝あなたが出てくれないと困るんです〟と、そうお願いした。これは番組づくりの一番大事なところです。それなのに最近のテレビは、一回断ったら二度と来ない。頭を下げて通って、あなたじゃなきゃ駄目なんです、と言うプロデューサーはいません。断ると、どなたかご紹介いただけますか、と言う。何を考えてるんだと思いますね」
 永六輔は『テレビファソラシド』で、テレビを変えていこうとした。
そのためにタモリや加賀美アナを出演させただけでなく、ゲストにオリンピック選手を連れてきてもいる。
「当時は歌手やコメディアンの居る場所に、オリンピック選手が出るなんて陸連が許さなかったんですね。それも出演交渉を重ねることで実現した。そのために、命が縮まったんじゃないかと思うくらいに、僕はこの番組でテレビの特性をさまざまな方向から試したんです」
 しかし、その『テレビファソラシド』を最後に、永六輔はテレビの世界からあっさりと手を引いてしまう――。

…後略…

(『昭和のテレビ王』サライ編集部・編 小学館文庫 2017年)
永六輔(えいろくすけ) 作詞家・放送作家」(NHKアーカイブス)

タモリ タレント」(NHKアーカイブス 人物)

アナウンサー編:加賀美幸子さん(元NHKアナウンサー)」(NHKアーカイブス)

私は、ばらえてぃ「テレビファソラシド」(1979-1981)の記憶はないのですが
妹に聞くとタモリが出演していたこと
マッチ(近藤真彦)が美空ひばりの歌を聞いて「おばさん 歌うまいね」と言ったのを覚えていました。
タモリとの共演は加賀美さんにとってかなりの試練だったのではないかな(^_-)
今朝の父の一枚です(^^)/
ジョウビタキの雄に出会っていました。

質問41 古代の人々は鳥の渡りについて、どういう説明をしていたのですか?
回答] 大形の鳥の渡りは誰も気づきますし、人々は大形の鳥の長距離の旅を想像することもできました。
しかし、小さい鳥がある土地から突然消え去ったり、また突然出現したりすることは不思議なこととして、人々を迷わしました。
たくさんの説明が生れましたが、そのすべてを紹介することはできませんので四つの主要な説明をあげてみましょう。
  ①運搬説 大形の鳥の背中で小鳥たちは運ばれて地中海を越える。
  ②交雑説 クイナ、アマツバメ、ツバメなどは泥、洞穴、木のほら穴などに姿をかくして消え、そこである種の哺乳類、爬(は)虫類、両生類、魚あるいは昆虫と交雑する。
  ③突然変異説 ある人々は、ひとつの種が単に変化してちがう種になるのだと論じていました。アリストテレスでさえ、ヨーロッパコマドリが夏になるとシロビタイジョウビタキに変化すると述べています。
  ④月旅行説 1703年にロンドンで発表された著者不明の論文は次のような学説を提示しています。鳥は冬の間、月に渡っている。このおどろく旅には、希薄な大気の中を半冬眠状態になった鳥がおどろくべきスピードで飛んで60日を要するという内容です。
(『鳥についての300の質問 君が知りたいすべてに答える』A.クリュックシァンク H.クリュックシァンク著 青柳昌宏訳 講談社ブルーバックス 1982年)

昨日、視野検査を受けました。
今まで1年ごとに受けていましたが、気になることがあるので半年毎に検査をすることになりました。
パソコンに向かう時間が長いと眼が疲れるので
blogの更新をこれまでよりも休みを多くしようと思います。