2024年1月6日土曜日

小寒

曇り空でたまに青空が見えました。
今朝、5時半頃に地震緊急放送が流れて余震があったことを知らせていました。
いつまで余震が続くのだろう…

石川県能登地方で震度5強の地震 津波の心配なし M5.3」(NHK)
6日頃 小寒

 二四節気の一つ。冬至より15日目。寒の入りともいう。
この日から節分までの約30日間を寒の内といい、寒さも本格的になる。
小寒は大寒の前の意味であり、厳寒とまではいかない時期をいうが、「小寒の氷大寒にとく」といわれるように、大寒より寒い日も多い。
寒に入って四日目を寒四郎、九日目を寒九という。
(『京都歳時記』宗政五十緒・森谷尅久編集 淡交社 昭和61年)
昨日の朝ドラ「ブギウギ」第14週「戦争とうた」 (66)

鹿児島の海軍基地で茨田りつ子が特攻隊員の希望で「別れのブルース」を歌いました。


特攻」(NHKアーカイブス)

特攻を異議を唱えた美濃部正少佐(当時29歳)のことをもっと知られていいと思う。
「特攻に異議」信念を貫いた芙蓉部隊 今に伝えるメッセージ〟(NHK 2022年5月26日)

以前、転記した記事を読むと転記ミスがあったので再度掲載します。
 一度だけステージで泣いた

…前略…

 ああ、せめて私の歌が終わるまでいてほしいって、祈るような気持ちで歌いました。
ところがやっぱり命令はきてしまった。
すっといなくなれってくれればいいのに、少年たちは静かに起ち上がると、ほほえみを浮べて、ひとりひとり私に敬礼をして、その場をあとにしていくんです。
 その時の少年たちのまなざしが心に焼きついて離れないんです。
これから死地に向かうというのに澄みきっていたんです。
 私は歌を歌いながら頭を下げて、敬礼に応えていましたが、涙が出始めたらもう止まらないんです。
私はステージで泣いたことのない人間です。
お客さまを感動させて泣かすのが私の仕事であり、私自身はどんなに悲しくとも泣くことはおろか、悲しい顔すら見せてはいけないと自戒してきたのです。
でも、あとにも先にもあの時だけは涙を止めることができなかったんです。
「ちょっと泣かせてください」ってお願いして、兵隊さんたちに背中を向けて泣きました。
年端もいかない少年たちが片道切符だけを手にして出て行くんですよ。
それも微笑すら浮べて。
泣かずにいられませんでした。
…後略…
(『女の自叙伝 歌わない日はなかった』淡谷のり子 婦人画報社 1988年)
1月1日に能登半島地震が発生したので途中になっていました
太宰治の続きを転記しますφ(.. )

 「粋人」つづき

「やれうれしや、」と婆はこぼれるばかりの愛嬌を示して、一歩金を押しいただき、「鯛など買はずに、この金は亭主に隠して置いて、あたしの帯でも買ひませう。おほほほ。ことしの年の暮は、貧乏神と覚悟してゐたのに、このやうな大黒様が舞ひ込んで、これで来年中の仕合せもきまりました。お礼を申し上げますよ、旦那。さあ、まあ、どうぞ。いやですよ、こんな汚い台所などにお坐りになつていらしては、洒落すぎますよ。あんまり恐縮で冷汗が出るぢやありませんか。なんぼ何でも、お人柄にかかはりますよ。
どうも、長者のお旦那に限つて、台所口がお好きで、困つてしまひます。貧乏所帯の台所が、よつぽどもの珍しいと見える。さ、粋(すい)にも程度がございます。どうぞ、奥へ。」
世におそろしきものは、茶屋の婆のお世辞である。
(『太宰治全集第六巻』筑摩書房 昭和51年)
 お旦那は、わざとはにかんで頭を掻き、いやもう婆にはかなはぬ、と言つてなよなよと座敷に上り、「何しろたべものには、わがままな男ですから、そこは油断なく、たのむ。」と、どうにもきざな事を言つた。
婆は内心いよいよ呆れて、たべものの味がわかる顔かよ。
借金で首がまはらず青息吐息で、火を吹く力もないやうな情けない顔つきをしてゐる癖に、たべものにわがままは大笑ひだ。
かゆの半杯も喉には通るまい。
料理などは、むだな事だ、と有合せの卵二つを銅壺に投げ入れ、一ばん手数のかからぬ料理で、うで卵にして塩を添へ、酒と一緒に差出せば、男は、へんな顔をして、男は、へんな顔をして、
「これは、卵ですか。」
「へえ、お口に合ひますか、どうですか。」と婆は平然たるものである。
 男は流石に手をつけかね、腕組みをして渋面つくり、
「この辺は卵の産地か。何か由緒があれば、聞きたい。」
 婆は噴き出したいのを怺へて、
「いいえ、卵に由緒も何も。これは、お産に縁があるかと思つて、婆の志。それにまた、おいしい料理の食べあきたお旦那は、よく、うで卵など、酔興に召し上りますので、おほほ。」
「それで、わかつた。いや、結構。卵の形は、いつ見てもよい。いつその事、これに目鼻をつけてもらひませうか。」と極めてまづい洒落を言つた。
婆は察して、売れ残りの芸者ひとりを呼んで、あれは素性の悪い大馬鹿の客だけれども、お金はまだいくらか持つてゐるやうだから、大晦日の少しは稼ぎになるだらう。
せいぜいおだててやるんだね、と小声で言ひふくめて、その不細工な芸者を客の座敷に突き出した。
男は、それとも知らず、
「よう、卵に目鼻の御入来。」とはしやいで、うで卵をむいて、食べて、口の端に卵の黄味をくつつけ、或ひはけふは惚れられるかも知れぬと、わが家の火の車も一時わすれて、お酒を一本飲み、二本飲みしてゐるうちに、何だかこの芸者、見た事があるやうな気がして来た。
馬鹿ではあるが、女に就いての記憶は悪強い男であつた。
女は、大晦日の諸支払ひの胸算用をしながらも、うはべは春の如く、ただ矢鱈に笑つて、客に酒をすすめ、
「ああ、いやだ。また一つ、としをとるのよ。ことしのお正月に、十九の春なんて、お客さんにからかはれ、羽根を突いてもたのしく、何かいい事もあるかと思つて、うかうか暮してゐるうちに、あなた、一夜明けると、もう二十(はたち)ぢやないの。はたちなんて、いやねえ。たのしいのは、十代かぎり。こんな派手な振袖も、もう来年からは、をかしいわね。ああ、いやだ。」と帯をたたいて、悶えて見せた。
「思ひ出した。その帯をたたく手つきで思ひ出した。」
男は記憶力の馬鹿強いところを発揮した。
「ちやうどいまから二十年前、お前さんは花屋の宴会でわしの前に坐り、いまと同じ事を言ひ、そんな手つきで帯をたたいたが、あの時もたしか十九と言つた。それから二十年経つてゐるから、お前さんは、ことし三十九だ。十代もくそもない。来年は四十代だ。四十まで振袖を着てゐたら、もう振袖に名残も無からう。からだが小さいから若く見えるが、いまだに十九とは、ひどいぢやないか。」と粋人も、思はず野暮の高声になつて攻めつけると、女は何も言はずに、伏目になつて合掌した。
「わしは仏さんではないよ。縁起でもない。拝むなよ。興覚めるね。酒でも飲まう。」手をたたいて婆を呼べば、婆はいち早く座敷の不首尾に気付いて、ことさらに陽気に笑ひながら座敷に駈けつけ、
「まあ、お旦那。おめでたうございます。どうしても、御男子ときまりました。」
「何が。」と客はけげんな顔。
「のんきでいらつしやる。お宅のお産をお忘れですか。」
「あ、さうか。生れたか。」何が何やら、わけがわからなくなつて来た。
「いいえ、それはわかりませんが、いまね、この婆が畳算(たたみざん)で占つてみたところ、あなた、三度やり直しても同じ事、どうしても御男子。私の占ひは当りますよ。旦那、おめでたうございます。」と両手をついてお辞儀をした。

…つづく…

(『太宰治全集第六巻』筑摩書房 昭和51年)
今朝の父の一枚です(^^)/

 メジロ 身を寄せ合って〝メジロ押し〟
 ✤ウインク効果


 メジロは、その名のとおり、目の周りに明瞭な白いアイサークルがあり、スズメよりも小型な小鳥である。
頭から背にかけて美しいグリーン、のどは黄色、腹部は白色をしており、いかにも可愛らしい。
 早春の恋の季節になると、樹上で早口でさえずり、人の耳には〝チューベエ、チューベエ、チューベエ、チューベエ〟のように聞こえる。
さえずるたびに、せわしく頭を左右に振るので、白いアイサークルがフラッシュのように見える。
オスがメスに向かってさえずる時には、〝ウインク効果〟は抜群である。
 声も姿も十人前の美しさ、可愛らしさであることがこの鳥には災いして、ウグイスやヒバリなどとともに密猟されて籠の鳥として飼育されることも多い。
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)