2024年1月7日日曜日

1月7日

青空に雲が浮かんでいる
大阪は、天気がいいのですが…

能登半島地震の被災地 平地でも大雪見込み 低体温症に十分注意」(NHK)
↑画像はホトケノザなんですが、食用に向かないそうです。

 春の七草

…前略…

 セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラは説明不用であろうが、ホトケノザがどの植物に当たるかが問題になる。
和名のホトケノザはシソ科の植物で、食用には向かない。
キク科のタビラコ(コオニタビラコ)であるとする牧野説が妥当であろう。
タビラコは乾いた冬の田んぼに生え、根出葉を採るのだが、似たようなものが多くて、馴れない人にはわかりにくいかもしれない。

…後略…
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫1988年)
祈りと遊び
 ひとめふため


 昔から、「一月は去(い)ぬる、二月は逃げる」といわれてきている。
一月も、七草がゆがすぎると、もう正月気分はなくなってしまう。
その七草を摘みに行くのは、女の子の役目であった。
女の子は、連れだって行く。

  七草なずな
  摘みに行
(い)
  尾のない狐に
  だまされた
 
     (和歌山)

 枯れ草のなかの若菜を摘んでいて、だまされた女の子は、あわれである。
しかし、『土佐日記』にも、これに近い民謡があるので、こうしたことは古くから、まちがいが起きやすかったもののようである。
(『わらべうた――子どもの遊びと文化』相馬大 創元社 1976年)
 その七草の中心は、ナズナで、その春の香りの甘さがすばらしい。
七草を、ナズナ 一草に代表させている地方も多い。
この七草は、六日の夜にはやすのが古式である。
ハヤスというのは、正月用語で「切りきざむ」ということばをきらって、昔から使用しているものである。
その七草は、男を知らない女の子が、唄をうたいながらはやすものであった。

  唐土(とんど)の鳥と
  とどどの鳥が
  日本の土地へ渡らん先に
  なずな七草祝いましょ
  とんとんとん とん

       (滋賀)
 正月の門松の葉にもうっすらとほこりがたまってくる。
そのころになると、羽子板にも、少し手のあとがつきはじめ、その羽子突きもじょうずになる。
羽子突き唄も、最後までうたえるようになるし、繰り返して突くこともできるようにとなる。

  ひとり来な ふたり来な
  見て行きな 寄ってきな
  いつ来てみても 魚子
(ななこ)の帯を
  やの字にしめて
  ここのよで一丁よ

        (静岡)
  ひとめ ふため みやこし
  よめご いつやの むかし
  ななやの やつし
  ここのや とおや
  ひいやふ みいやよ
  いつやむ ななや こことお

           (京都)

 この『ひとめふため』は、実に美しい。
そのために、全国にうたわれている羽子突き唄となっている。
しかし、この唄は発生地 紅がら格子の前の女の子に、やはりよくうつる唄である。
京都の紅がら格子、小屋根の軒に一直線をつくっている一文字ガワラを横切って舞いおりて羽子が美しい。
西陣織りの帯が、またよく、その羽子の舞いおりてくる姿にマッチしている。
 古い羽子板の表には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫がえがかれていた。
また、裏には左義長(さぎちょう)の絵がえがかれていたものである。
 室町時代の正月には、貴族の男女が二組にわかれて、「こぎこ勝負」をしていたという。
この「こぎこ」は、羽子のことで、略して「こぎ」ともいっていた。この「こぎ」を突く板が「胡鬼板(こぎいた)」(羽子板)である。
この羽子突きは、室町時代には、「幼きものの蚊(か)に食はれぬまじないなり」(『世間問答』)と信じられていた。
それは、蜻蛉(とんぼ)が蚊をとらえて食べることになぞらえているのである。
 その理由として、「胡鬼の子といふは、木蓮子(もくれんじ)などを蜻蛉頭(とんぼがしら)にして、羽根をつけたり。これを板にて突きあぐれば、落つる時、蜻蛉返りのやうなり。さて、蚊をおそれしめんがために胡鬼の子といひはべるなり」ともいわれてきたものである。
 ここには、子どもを思う親の心が、よくにじみ出ている。
蚊によってもたらされる病気から、子どもたちを守ろうという願いが、羽子突き遊びとなったとういうのである。
(『わらべうた――子どもの遊びと文化』相馬大 創元社 1976年)
 「粋人」つづき

 客は、まぶしさうな顔をして、
「いやいや、さう改つてお祝ひを言はれても痛みいる。それ、これはお祝儀。」と、またもや、財布から、一歩金一つ取り出して、婆の膝元に投げ出した。
とても、いまいましい気持である。
 婆は一歩金を押しいただき、
「まあ、どうしませうねえ。暮から、このやうな、うれしい事ばかり。思へば、けふ、あけがたの夢に、千羽の鶴が空に舞ひ、四海波押しわけて万亀が泳ぎ、」とうつとりと上目使ひして物語をはじめながら、お金を帯の間にしまひ込んで、「あの、本当でございますよ、旦那。眼がさめてから、やれ不思議な有難い夢よ、とひどく気がかりになつてゐたところにあなた、いきなお旦那が、お産のすむまで宿を貸せと台所口から御入来ですものねえ、夢は、やつぱり、正夢、これも、日頃のお不動信心のおかげでございませうか。おほほ。」と、ここを先途と必死のお世辞。
(『太宰治全集第六巻』筑摩書房 昭和51年)
 あまりと言へば、あまりの歯の浮くやうな見え透いたお世辞ゆゑ、客はたすからぬ気持で、
「わかつた、わかつた。めでたいよ。ところで何か食ふものはないか。」と、にがにがしげに言ひ放つた。
「おや、まあ、」と婆は、大袈裟にのけぞつて驚き、「どうかと心配して居りましたのに、卵はお気に召した見え、残らずおあがりになつてしまつた。すゐなお方は、これだから好きさ。たべものにあきたお旦那には、こんなものが、ずゐぶん珍らしい見える。さ、それでは、こんど何を差し上げませうか。数の子など、いかが?」これも、手数がかからなくていい。
「数の子か。」客は悲痛な顔をした。
「あら、だつて、お産にちなんで数の子ですよ。ねえ、つぼみさん。縁起ものですものねえ。ちよつと洒落た趣向ぢやありませんか。お旦那は、そんな酔興なお料理が、いちばん好きだつてさ。」と言ひ捨てて、素早く立ち去る。
 旦那は、いよいよ、むづかしい顔をして、
「いまあの婆は、つぼみさん、と言つが、お前さんの名は、つぼみか。」
「ええ、さうよ。」女は、やぶれかぶれである。
つんとして答へる。
「あの、花の蕾の、つぼみか。」
「くどいわねえ。何度言つたつて同じぢやないの。あなただつて、頭の毛が薄いくせに何を言つてるの。ひどいわ、ひどいわ。」と言つて泣き出した。
泣きながら、「あなた、お金ある?」と露骨な事を口走つた。
 客はおどろき、
「すこしは、ある。」
「あたしに下さい。」色気も何もあつたものでない。
「こまつてゐるのよ。本当に、ことしの暮ほど困つた事は無い。上の娘をよそにかたづけて、まづ一安心と思つてゐたら、それがあなた、一年経つか経たないうちに、乞食のやうな身なりで赤子をかかへ、四、五日まへにあたしのところへ帰つて来て、亭主が手拭ひをさげて銭湯へ出かけて、それつきり他の女のところへ行つてしまつた、と泣きながら言ふけれど、馬鹿らしい話ぢやありませんか。娘もぼんやりだけど、その亭主もひどいぢやありませんか。育ちがいいとかいつて、のつぺりした顔の、俳諧だか何だかお得意なんださうで、あたしは、はじめつから気がすすまなかつたのに、娘が惚れ込んでしまつてゐるものだから、仕方なく一緒にさせたら、銭湯へ行つてそのまま家へ帰らないとは、あんまり人を踏みつけてゐますよ。笑ひ事ぢやない。娘はこれから赤子をかかへて、どうなるのです。」
「それでは、お前さんに孫もあるのだね。」
「あります。」とにこりともせず言ひ切つて、ぐいと振り挙げた顔は、凄かつた。
「馬鹿にしないで下さい。あたしだつて、人間のはしくれです。子も出来れば、孫も出来ます。なんの不思議も無いぢやないか。お金を下さいよ。あなた、たいへんなお金持だつていふぢやありませんか。」と言つて、頬をひきつらせて妙に笑つた。
 粋人には、その笑ひがこたへた。
「いや、そんなでもないが、少しなら、あるよ。」とうろたへ気味で、財布から、最後の一歩金を投げ出し、ああ、いまごろは、わが家の女房、借金取りに背を向けて寝て、死んだ振りをしてゐるのであらう、この一歩金一つでもあれば、せめて三、四人の借金取りの笑顔を見る事は出来るのに、思へば、馬鹿な事をした、と後悔やら恐怖やら焦燥やらで、胸がわくわくして、生きて居られぬ気持になり、
「ああ、めでたい。婆の占ひが、男の子とは、うれしいね。なかなか話せる婆ではないか。」とかすれた声で言つてみたが、蕾は、ふんと笑つて、
「お酒でもうんと飲んで騒ぎませうか。」と万事を察してお銚子を取りに立つた。
 客はひとり残されて、暗澹、憂愁、やるかたなく、つい、苦しまぎれのおならなど出て、それもつまらない思ひで、立ち上つて障子をあけて匂ひを放散させ、
「あれわいさのさ。」と、つきもない小唄を口ずさんで見たが一向に気持が浮き立たず、やがて、三十九歳の蕾を相手に、がぶがぶ茶碗酒をあふつても、ただ両人まじめになるばかりで、顔を見合せては溜息をつき、
「まだ日が暮れぬか。」
「冗談でせう。おひるにもなりません。」
「さてさて、日が永い。」

…つづく…

(『太宰治全集第六巻』筑摩書房 昭和51年)
 今朝の父の一枚です(^^)/

質問180 鳥の視力はどのくらいですか?

[回答] カナダガンが、高すぎて人間には見えない同種の群れを、首をかしげて単眼視したことが観察されています。
 他の観察では、あきらかに何も飛んでいない空に向かって、ガンがよび声をあげた後間もなく群れが現れて合流したといいます。
飼い慣らしたタカは、人間が双眼鏡の助けを借りないと識別できない空中の鳥を見つけるといいます。
ノスリは人間の4~5倍の視力を持つといわれています。
人間ではとても発見できない高空からノネズミを見つけることができます。
たとえば、ハヤブサは高空から地上の獲物に向かって急降下する間、焦点を急速に変え続ける能力を持っています。
これも人間の能力をはるかに越えたものです。
北アメリカのモズは地上のノネズミを80メートルの空中で発見し、仲間の鳥は450メートルで識別したという報告もあります。
 人間の網膜の研究によると、網膜1平方ミリあたり20万の視細胞が数えられるそうです。
ある種のタカの網膜には同じ面積に100万の視細胞を認めることができます。
ヨーロッパのスズメでの約2倍の視細胞を持っています。
この網膜の視細胞の数の多さが鳥のおどろくべき視力を支えているといえます。
(『鳥についての300の質問 君が知りたいすべてに答える』A.クリュックシァンク H.クリュックシァンク著 青柳昌宏訳 講談社ブルーバックス 1982年)