2024年1月23日火曜日

向かい風になると

薄い雲が広がっていて今にも雪が降りそうな空模様
気温が低いだけでなく風が体温を奪うので
向かい風が吹くといっそう寒くなりました。

この冬1番の強い寒気 地震被災地も25日ごろにかけ大雪の見込み」(NHK)
寒さが厳しいと汗をあまりかかないのでトイレの回数が増えます。
被災地のみなさんは水や電気などが止まっていてトイレで大変困っていると思います。
山口淑子さんの自伝を読んでいると、13歳の女学生の時に淡谷のり子さんに出会っています。

第二章 奉天時代

 …前略…

 淡谷さんは奉天の長春座でよく映画のアトラクションとしてうたわれたそうだが、私も両親と一緒に「淡谷のり子ショー」をみたことがある。
そんな機会にご本人と偶然出会って、お近づきになったのだった。
 当時、淡谷さんはすでに有名な「ブルースの女王」。
十三歳の私は、歌が大好きで先生について習ってはいたがもちろんまだ無名の女学生だった。
 淡谷さんの記憶を「満洲ブルース」という題のエッセイから再生してみよう。
(『李香蘭 私の半生』山口淑子 藤原作弥 新潮文庫 1990年)
<この街(奉天)にも忘れられない思い出があります。ある日、一人で城内……といったか、支那町の方へ入っていってしまって、道に迷ってしまったことがありました。出られなくなってウロウロしながら途方にくれていた時、偶然、当時そのあたりに住んでおられた李香蘭――山口淑子さんにお会いできたんです。あのころはまだ有名じゃなく、またお若かった。それで、しばらく彼女のお宅で休ませていただいて、車で送ってもらいました>
 淡谷さんの記憶はほとんど正確である。
城内付近で道に迷い、小西辺門外のわが家の近くで途方に暮れていたときに、私と出会った。
そのことにまちがいはないけれど、私の記憶によれば、淡谷さんは、わが家の「山口文雄」という標札を見て日本人の家と知って門をくぐり、玄関に立って呼鈴(よびりん)を押したのだった。
 ドアを開けた私が「あら、まっさおなお顔で一体どうなさったのですか」とたずねると、開口一番「ああ、やはり日本のかた。よかった、助かったわ」と深呼吸して、「すみませんが御不浄をかしてください」と足踏みなさった。
これが、淡谷さんとお近づきになったきっかけである。
…後略…
(『李香蘭 私の半生』山口淑子 藤原作弥 新潮文庫 1990年)
能登半島地震が発生して、まだまだ救援の手が届いていない地域もあります。
笠置シズ子さんも13歳のときに体験したのが

 死の廻り燈籠(因縁物語の二)

  2

 昭和2(1927)年3月の奥丹後の大震災の時も、ぞっとする思いでした。
元来私は地震が大嫌いで(もっとも、好きな人はいないでしょうが)、大正12(1923)年9月1日の関東大震災の時も私は十歳で当時風呂屋をやっていたわが家の湯舟がぐらぐらと動いたのをまざまざと覚えていますが、
奥丹後の時は震源地が近いだけに比較になりません。
私はちょうど大阪松竹歌劇の研究生から一本立ちになった日で、うちは大門橋と鶴町1丁目の間でやはり風呂屋をやっていました。
歌劇から卒業証書みたいなものを貰って帰ってきて、私は自宅のそばの「うどん屋」できつねうどんを食べていました。
(『笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記』宝島社 2023年)
 このへんは東京でいえば本所、深川あたりの工場地帯で、よく工員が行くうどん屋さんです。
当時の大阪には東京のように「そば屋」というものがなく、うどんに油揚げを入れた「きつね」というタネ物が好まれていました。
そのきつねを食べている時に、ぐらぐらと来ました。
激しい振動です。
私は真ッ青になって丼を抱えたまま表へ飛び出しました。
すると、すぐ前のうちの風呂から裸のまま浴客が、バラバラと逃げ出してきます。
見ると、父も御飯どきだったと見え、お茶漬け茶碗を持って家の前に発っています。
 「お父さん」
 私が噛りつくと、
 「あかんあかん。ずっと向こうへ行かな、あかん。うちの煙突が倒れたらえらいこっちゃ」
 なるほど、高い風呂屋の煙突が倒れたら、このあたり数軒は下敷きになってしまいます。
私はもう一度真ッ青になって電車通りへかけ出して行きました。
その時の気持ッたら。
とても生きた空はありませんでした。
 峯山地方では四千名の死者を出しましたが、よい按配に大阪は被害がなく、余震も夜になるとなくなりましたが、当分の間は地震恐怖症で受け持ちの交番へ行っては「今日は地震、大丈夫でっしゃろか」と毎日聞くので、しまいには巡査の方で私が通ると「ほら、ほらほら。向うの煙突が揺れてるがな。大きな地震や」とおどかすようになりました。
…後略…
(『笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記』宝島社 2023年)

このときの地震の記録が…

1927年 北丹後地震 (昭和2年)3月7日」(NHKアーカイブス)
今朝の父の一枚です(^^)/
これまで何度か紹介していますが
メジロは…

メジロ
 ✤甘いものが大好物


 全国的に分布している鳥ではあるが、温暖な地方のツバキなどの照葉樹林には特に数が多い。
枝から枝へと活発に移動しながら、小枝の繁みの中にひそむ昆虫やクモなどをよく食べる。
 冬季には、人家の餌台や庭木にもよくやってくる。
甘いものが大好物で、ジュースや砂糖水などをコップに入れておくと、目敏(めざと)く見つけてよろこんで飲む。
ミカンの汁も好物で、食べやすいように半分に切ったミカンを木の枝などに刺しておくだけで、可愛らしいメジロの姿を身近に楽しめる。
…つづく…
(『都市鳥ウオッチング 平凡な鳥たちの平凡な生活』著:唐沢孝一、絵:薮内正幸 ブルーバックス 1992年)