2023年9月23日土曜日

秋分の日

曇り空でヒンヤリとしていました。
暑さ寒さも彼岸までという諺通りだなと思ったけど
やはり日ざしが出てくると汗も出てきました(^_^;
今日は、90mmマクロレンズで撮影しました。
このレンズも40年以上前に購入しました。
ピントを合わせようとすると長年の使用で、
ゴムの部分の接着がダメになっているので両面テープで仮止めしています。
絞りも同じく浮いてしまっている。
レンズフードは、落としてしまったので別のメーカーのを付けています。
それでもまだ写せる(^^ゞ
朝の番組
 日本人は農なき国を望むのか~農民作家・山下惣一の生涯~

山下惣一さん
身土不二(しんどふじ)という言葉が人間の体と土は二つじゃないといわれましてこれを唱えた人たちは
自分が住んでる4里…4里四方
だから16キロ以内で取れた季節のものを正しく食べるのが理想だと。


安い食料を外国から買えばいいとばかりの政策で
食料自給率がおよそ38%の荒廃するばかりの農業。

「世界の食料庫」と言われているウクライナ。
ロシアの蛮行により多くの国々の食料事情に深刻な影響を与えている。
アベノミクスや黒田バズーカの金融政策の影響で円安が続いている
小麦などの値段はいくらでも上がりそうです。
お金があっても食べ物が手に入らない国になるのだろう。

見逃し配信は9月30日まで
再放送が9月26日(火) 午前1時20分から

あの人に会いたい「山下惣一(やましたそういち)(1936~2022) 農民作家
 「天王寺彼岸紀元」つづき

 彼岸について、それで、古くから天竺(インド)に、こんなことがあったという話が、つたえられていました。

 太陽が、西の山に落ちかかって、空気が冷えてくる夕方、お釈迦さまは、いつも、御弟子たちといっしょに、〝人生(ひとのよ)の真理(まことのみち)の家〟という名前の天幕(てんと)の前の地面(じべた)にすわって、休息をいたされます。
お弟子たちは、この時とばかりに、いろいろの疑問を、じぶんたちの先生である釈迦の前に持ちだすのでした。
というわけは、お弟子たちは、お釈迦さまは、どんなことでも知っていると信じ、事実、またお釈迦さまは、すべての知識であられたからです。
そして、仏陀は、弟子たちの疑問をよくときあかされ、よくわかるように、信仰のお話をしてくださいました。
(『日本の伝説 京都・大阪・奈良』藤沢衛彦 河出書房新社 2018年)
 それは、ある年の秋分にちかい日のことでした。
 お釈迦さまのお弟子の一人が、ふと、この世と、あの世のことについて、疑いをもっておたずねしました。
「お釈迦さまは、この世には、欲のふかい人や、喧嘩ずきの人や、不親切な人たちが、たいそう多く住みすぎているようですが、もっと、ほかに、にこにこして、毎日を、いさかもなく、楽しく、幸福に暮らして行けるところはないのでしょうか」
 すると、お釈迦さまは、そのお弟子さんの方を、まじまじとみられて、いわれました。
「あるとも、あるとも、あの濁った川のむこうの岸に」
 お釈迦さまのさされた川は、べつに、インドの実在の川ではなくて、お釈迦さまの、あたまのうちにえがかれている、理想の川のようでしたが、聞くものの心には、そこに、その濁った川が、うかんでみえるようでした。
「ほんとうに幸福な国というものは、あの、濁った川のむこうにあるのだよ。
 その国のことを彼岸というのだよ。そこには、なんのいさかいもない、よくばりの人だの、いじわるいものは、ひとりもいない。そこは、みんな、優しい人たちばかりの極楽浄土だよ」
 お釈迦さまが、こうおっしゃいますと、そのお弟子は、急に、その彼岸に行ってみたくなりました。
「お釈迦さま、どうすれば、そこへ行けるのですか」
「そこへ行くにはなァ。智慧(ちえ)の舟にのってゆかねばならない。その舟にのると、善いこと、悪いこと、正しいこと、正しくないことが、はっきり見わけられる」
 と、おっしゃられたという事です。
(『日本の伝説 京都・大阪・奈良』藤沢衛彦 河出書房新社 2018年)

四天王寺のお彼岸 夕日の向こうの極楽浄土」(NHK みちしる 2015年)
 観無量寿経(漢文和訳)

…前略…

 師はヴァイデーヒー(韋提希)に告げられた――「あなたは死を免れ得ない一個の平凡な人間にすぎない。心は傷つきやすく、劣っている。未だ超自然的な視力(天眼)を得ていないから、遠くを観ることはできない。しかし、諸々の仏たちにはまた特別な方法があるのだから、そんなあなたでも観ることができるようにしてあげられるのだ。」と。
(『浄土三部経(下)』中村元、早島鏡正、 紀野一義 訳註 岩波文庫 1990年)
 そのとき、ヴァイデーヒーは師に向かって言った――「尊き師よ、わたくしは今、仏の力によってかの仏国土を観ることができるでありましょう。しかし、尊き師が入滅された後にこの世に現われる生ける者どもは、汚濁と悪と不善の者どもであって五種の苦しみに苛(さいな)まれるでありましょう。そのような者どもは、どのようにしてアミタ仏<幸あるところ>という世界を観たらよいのでありましょうか。」と。
 世尊はヴァイデーヒーに告げられた――「あなたと、そして、生ける者どもは、心を一筋にし、思念を一処に集中して西方を観想(かんそう)するのだ。さて、どのように観想するかというと、一切の生ける者どもは、生まれながらの盲目でないかぎり見ることはできるのであるから、目明きであればみな、太陽の沈むのを見ることができよう。正坐して西に向かい、はっきりと太陽を観るのだ。心をしっかりと据え、観想を集中して動揺しないようにし、まさに沈もうとする太陽の形が天空にかかった太鼓のようであるのを観るのだ。すでに太陽を観終ったならば、その映像が眼を閉じているときにも、眼を開いているときにもはっきりと残っているようにするのだ。これが<太陽の観想>であり、<最初の瞑想(めいそう)>と名づけるのだ。
…後略…
(『浄土三部経(下)』中村元、早島鏡正、 紀野一義 訳註 岩波文庫 1990年)
明治卅四年
 九月廿四日 秋分 晴

 便通繃帯取かへ
 朝飯 ぬく飯三わん 佃煮 なら漬 牛乳ココア入 餅菓子一つ 塩せんべい二枚
 午飯 粥三わん かじきのさしみ 芋 なら漬
    梨一つ お萩一、二ヶ
 間食 餅菓子一つ 牛乳五勺ココア入 牡丹餅(ぼたもち)一つ 菓子パン 塩せんべい 渋茶一杯
 夕 体温卅七度七分 寒暖計七十七度
   生鮭照焼(なまざけてりやき) 粥三わん ふじ豆 なら漬 葡萄一ふさ
 夜 便通やや堅し
(『仰臥漫録』正岡子規 岩波文庫 1983年)
 朝歌原大叔母御(うたはらおおばご)来らる お土産餅菓子
 陸(くが)より自製の牡丹餅もらふ 此方(こなた)よりは菓子屋に誂(あつら)へし牡丹餅をやる 菓子屋に誂へるは宜(よろ)しからぬことなり されど衛生的にいはば病人の内で拵(こしら)へたるより誂へる方宜しきか 何にせよ牡丹餅をやりて牡丹餅をもらふ 彼岸(ひがん)のとりやりは馬鹿なことなり
  お萩くばる彼岸の使(つかい)行き逢(あ)ひぬ
  梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな
  餅の名や秋の彼岸は萩にこそ
  西へまはる秋の日影や糸瓜(へちま)
…後略…
(『仰臥漫録』正岡子規 岩波文庫 1983年)