2023年9月17日日曜日

今朝も厳しい暑さ

もう9月も半ばを過ぎているのに厳しい残暑。
風が吹いてくれると少しは楽なんだけど…

きょうも厳しい残暑 35度以上の猛暑日となるところも」(NHK)
エノコログサ(キンエノコロ?)の穂が二つに分かれているのは、
見たことあるけど三つに分かれているのは初めて見ました。
これは突然変異と言うよりも先祖返りのようです。

穂が5つに分かれているエノコログサというものはありますか。」(日本植物生理学会 みんなのひろば)
昨日は、循環器科の診察があるので、事前に血液検査などを受けてきました。
そのために一日遅れの紹介になるのですが、16日は、二人(?)の命日になるそうです。

第9章 人々の暮らしの中の存在
 3 馬と人との悲恋 おしらさま


 七福神やお稲荷さんのように全国的に知られている民俗神もいれば、その地域に固有の神もいます。
日本には、たくさんの地域の民俗神がいますが、ここでは東北の「おしらさま」を紹介しましょう。
(『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子 ちくまプリマー新書 2021年)
 おしらさまとは、桑の木で造られた二体で一組の像です。
棒の先には一つの女性の、もう一つには馬の顔が彫られています。
高さはだいたい30センチほど。
布を衣服として幾重にも重ねて着せます。
馬と女性、そして桑の木。
このおしらさまの裏には悲しい伝説が伝えられています。
 明治になり、日本が近代化へと進み、地方の古い伝統や習俗が失われ始めた頃、民俗学の創始者ともいわれることになる柳田國男(くにお)は、岩手県の遠野出身(現在は岩手県遠野市)の佐々木喜善(ささききぜん)と出会いました。
柳田は、彼から遠野に伝わる昔話や伝承、習俗を聞き、『遠野物語』としてまとめます。
カッパや雪女、座敷童など、今の私たちにもよく知られた妖怪が登場し、はじめて読む人でも、「どこかで聞いたことがある!」と思う話が一つか二つ見つかる楽しいものです。
 この『遠野物語』のなかにおしらさまの伝説が伝えられています。
それによると、ある貧しい男のところに、美しい娘が一人と一匹の馬がいました。
娘はこの馬を愛するようになり、夜な夜な馬のところへ行き、ついには夫婦になってしまいます。
そのことを知った男は、娘に内緒で馬を連れ出し、桑の木に吊(つる)して殺してしまいました。
娘は桑の木のところへ行き、馬の首にとりついて嘆き悲しみました。
怒った父が斧(おの)で馬の首を切り落とすと、馬の首は娘とともに天へと昇っていきました。
おしらさまは、その馬と娘を桑の木でかたどったものです。
家の神でもあり、蚕の神でもあります。
なぜ蚕の神とされるようになったのかというと、蚕が桑の葉を餌として食べるからとか、蚕の顔が馬に似ているからだとかいわれています。
 おしらさまは、青森、岩手、宮城県北部などを中心に信仰されており、その習俗は地域によってさまざまに異なっていますが、多くの地域では、おしらさまの命日が16日であると伝えられ、1月、3月、9月の16日を祭日として、家庭で祀っているおしらさまを取り出し、新しい衣を被せる「オセンダク」を行います。
またイタコと呼ばれる巫女が来て、経文を唱えるところもあるようです。
 遠野の生活や文化を知る施設である「伝承園」には、おしらさまを祀る「御蚕神堂(オシラ堂)」があります。
ここにあるおしらさまは約千体。
訪れた人々は、願いを記した布をおしらさまに被せていきます。
それほど広くないお堂に所狭しと色とりどりのおしらさまが並ぶ姿は圧巻です。
娘と馬、自分たちの悲恋の話がこんなふうに知られるようになるとは、驚いているかもしれませんね。
(『神話でたどる日本の神々』平藤喜久子 ちくまプリマー新書 2021年)
遠野の神さま オクナイサマとオシラサマ」(NHK みちしる 2011年)


解字]もと、匸(かくしがまえ)部。
左右二つに分かれている馬のしりの象形で、馬を数える語。
一説には、布二反をかけたさまの象形。
(『岩波 漢語辞典』山口明穂、竹田晃編 1987年)
今朝の父の一枚です(^^)/
連休で来園者が多いので気乗りがしていなかったのですが
19日、20日と通院日なので散歩できません。
少しだけでも歩こうとやってきました。

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 今の土淵(つちぶち)村には大同(だいどう)という家に二軒あり。
山口の大同は当主を大洞万之丞(おおほらまんのじょう)という。
この人の養母名はおひで、八十を超(こ)えて今も達者なり。
佐々木氏の祖母の姉なり。
魔法に長じたり。
まじないにて蛇を殺し、木に止(とま)れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。
昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。
妻はなくて美しき娘あり。
また一匹の馬を養う。
娘この馬を愛し夜(よる)になれば厩舎(うまや)行きて寝(い)ね。
ついに馬と夫婦になれり。
或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘に知らせず、馬を連(つ)れ出して桑の木につり下げて殺したり。
その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋(すが)りて泣きいたりしを、父はこれを悪(にく)みて斧をもって後(うしろ)より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇(のぼ)り去れり。
オシラサマというはこの時より成りたる神なり。
馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。
その像三つありき。
(もと)にて作りしは山口の大同にあり。
これを姉神とす。
中にて作りしは山崎の在家権十郎(ざいけごんじゅうろう)という人の家にあり。
佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の行方(ゆくえ)知らず。
(すえ)にて作りし妹神の像は今(いま)附馬牛(つくもうし)村にありといえり。
(『遠野物語・山の人生』柳田国男 岩波文庫 1976年)