2023年9月30日土曜日

9月30日

今日で9月も終わり…
年々、時が経つのが早く感じる(^_^;
今朝は、雲がほとんど見られないほどの天気でしたが

あすにかけ大気不安定 激しい突風や落雷など注意」(関西NHK)

そして台風14号も発生しています。

台風14号が発生 沖縄に近づくおそれ 今後の情報に注意を」(NHK)
今日は、義弟の命日(2008年)です。
職場の窓からキチョウが冷たい雨が降る中、ヒラヒラ飛んでいるのを見ていると
午後1時過ぎに旅立ったと父からは電話、姪からはメールが届きました。

義弟は7月10日にくも膜下出血で9時間にわたる手術を受けました。
17日に再びくも膜下出血をおこし再手術になりました。
午後6時過ぎから始まり…終わったのが午前2時前…
27日に三度目の出血、午前1時過ぎから手術が始まり、
戻ってきたのが、20時前でした。
一度目、二度目の時は車椅子に乗れるほど回復しましたが
三度目の手術では、意識は戻らないまま9月30日に旅立ちました。
もし、コロナ禍だったら見舞いも付き添いも出来なかったでしょう。
2021年5月に叔母が入所していた施設でクラスターが発生し、叔母も感染、発病しました。
その後、亡くなったのですが、従弟は、母親の見舞いもできず遺骨との対面になりました。

プロフェッショナル ふたりのキネマ ~山田洋次と吉永小百合~
に、「キネマの神様」の撮影で志村けんさんの元気な姿が映っていました。
 2020年9月9日の記事
こころの時代~宗教・人生~「コロナの時代を詠む」(2020年9月6日)
永田和宏さんと釈徹宗さんの対談の一部を転記しました。

現在、新型コロナが5類に移行してからは、危機感が薄れているように思います。
番組の対談が書籍化されています。
その中から一部を転記しますφ(.. )
第2章 私たちが「いま」学ぶべきこと
 「正しく恐れる」


永田和宏 今回のコロナ感染が広がり始めた時に最初に思い出したのが、100年前のスペイン風邪の時代に生きた、医師で歌人の斎藤茂吉(さいとうもきち<1882~1953>)のことでした。
 茂吉もスペイン風邪にかかっているんですね。
スペイン風邪が流行(はや)ったのは1918年~20年にかけてです。
スペイン風邪には三波あったと言われていて、二波が特に強かった。
(『コロナの時代をよむ』永田和宏、釈徹宗 NHK出版 2020年)
 茂吉は当時、長崎医専(現・長崎大学医学部)の教授として長崎に赴任(ふにん)していたんです。
それで、1918年の秋口から全国でスペイン風邪が流行っていった。
茂吉は医者ですから、スペイン風邪がいかなるものか、どういうふうに流行ってきているか、全て知っています。
 でも、自分が感染してしまうかもしれないという意識は不思議に低いんですよ。
当時でも、人から人へ感染することや、人混みを避けるべきだということは分っているのだけれど、ちょうど東京から妻の輝子、長男の茂太がやってきていて、二人を連れて長崎のホテルに食事に行ったりしているんですね。
釈徹宗 ちょっと不用意な印象を受けます。

永田 もっともやってはいけないことです。
 その少し前に茂吉が詠んだ歌にこういうものがあります。
 
  寒き雨まれまれに降りはやりかぜ衰(おとろ)へぬ長崎の年暮れむとす
       歌集『つゆじも』斎藤茂吉

 長崎の年が暮れようとしている、冷たい雨が降っていて流行り風邪が衰えない、という歌です。
でも、そのすぐあとにホテルに行って食事をしたり、観光したりしていて、それで茂吉はスペイン風邪にかかってしまう。
その時の茂吉の歌がこちらです。

  はやりかぜ一年(ひととせ)おそれ過ぎ来しが吾は臥(こや)りて現(うつつ)ともなし
       同前

 流行り風邪を恐れて過ごしてきたけれど、その流行り風邪にかかってしまい、生死の境をさまよっている、という歌です。
実際に茂吉は、本当にしばらくは危ない時期があって何とか生き延びたんです。
 ここで思ったことは、茂吉ぐらい医学の知識がある人でも「自分だけは大丈夫だろう」と思う意識がどこかにあったということです。
現代ではこのことを「正常性バイアス」とか「楽観性バイアス」と言いますね。
自分だけは正常だという思いを持ったり、自分だけは大丈夫だろうと楽観視したりする。
 スペイン風邪は世界の人口が18億人ぐらいの時に5億人が感染したという、とんでもない数の罹患者を出しました。
日本でも38万人が亡くなったとされていて、終息するまで3年もかかりました。
 大変な死者数ですね。

永田 世界的な死者数は、少なく見積もって4000万人という説もあるし、1億人という説もあります。
それくらい、とんでもないインフルエンザだったんです。
今回のコロナでも、数字だけで感染者を見ると、「大変そうだけど、まあ自分は大丈夫だろうな」と思ってしまう。
そういうところがすごく似ていると思いました。
 人間には、自分だけは大丈夫だと思いこみやすい心理や、日常にすがるというか、普段と変らない生活をすることで不安を払拭したいという心理的なメカニズムがあるんでしょうか。

永田 人間は基本的に保守的ですからね。
自分の現状を崩したくない。
だから、何か大変なことが起こっても、同じ生活を続けていくという方向に偏りやすい。
 不安を直視したくないという側面もあると思います。
よく、楽観性バイアスの例として、台風などで避難勧告が出ても避難する人はごく少ないと言われますね。
確かにそうなってくると、過剰に怖がるのも具合が悪いし、他人事のようにふるまうのも具合が悪いという、大変難しい判断が求められます。
永田 原発事故以来、寺田寅彦(てらだとらひこ<1878~1935>)の言ったこととして「正しく恐れよ」という言葉が有名になりました。
でも、寺田寅彦が本当に言っていたのは、「正当にこわがることはなかなかむつかしい」ということなんです。
今、「正しく恐れることが大切」と言う人が多いですが、正しく恐れるのは本当は一番難しいことなんです。

 何が正しいのかは後で検証して初めて分かることですからね。
その渦中では何が正しいのかは見えないのだろうと思います。
(『コロナの時代をよむ』永田和宏、釈徹宗 NHK出版 2020年)
 
スペインインフルエンザ(前半)」、「スペインインフルエンザ(後半)」(内閣官房)

気温上昇など気候変動がもたらす影響によって次々と感染症が発生しています。
バングラデシュでデング熱大流行 死者900人超 過去最悪」(NHK)

このまま異常気象が続けば、デング熱やマラリアなどが日本でも流行するかもしれませんね。
今朝の父の一枚です(^^)/
昨日、新型コロナのワクチンを接種しました。
今のところ接種したところが痛がゆい程度なので散歩に出かけました。
おかげでモズを写せたと喜んでいました。
昨夜は、中秋の名月でしたね。
私は、お月様に手を合わせただけでしたが、父は、コンデジで写していました。

 月見 月に兎がいるようになったのはなぜ?
  観月 月祭る 月の宴 月の座 月の友 月の宿 月見団子 月見酒 月見舟

「月見」といえば「中秋の名月」をさす。
その影の模様が兎に見えることから、「月に兎がいる」という伝承はアジア各地に古くからある。
インドの仏典『ジャータカ』が原点ともいわれるが、日本に渡来して、日本最大の古代説話集『今昔物語集』にも収録され、語り継がれてきた。
その内容は以下のようなものである。
 昔、猿・狐・兎の三匹が、力尽きそうなみすぼらしい老人に出逢った。
三匹は老人を助けようとした。
猿はさまざまな木の実や里の野菜を集め、狐はお供え物のご飯や魚を老人に与えた。
しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も持ってこられなかった。
自分の非力さを嘆いた兎は、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。
その姿を見た老人は、帝釈天(たいしゃくてん)としての正体を現し、兎の捨て身の行為を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。
月の兎の姿の周囲の影は、兎が身を焼いた際の煙だという。
   煌々とと乱世見ている月兎 塩路五郎
(『季語ものしり事典』新海均編 角川ソフィア文庫 2021年)