2023年4月23日日曜日

山が見えていました

今朝も自転車で公園に向かうと風が冷たく感じました。
飯盛山など遠くの山が昨日よりもよく見えました。
黄砂でぶつぶつ言っていたら鹿児島の人はどうなるのかな(^_-)-☆
降灰予報」(NHK鹿児島放送局)

去年植えられたナンジャモンジャの木(ヒトツバタゴ)に花が咲いています。
ヒトツバタゴ自生地」(瑞浪市)
  ニワゼキショウ(庭石菖)アヤメ科

 北アメリカ原産で、明治時代の中期に栽培植物として渡来し、東京の小石川植物園に植えられたものが各地に広がったといわれる。
秋に芽生え、葉を広く広げて越冬する。
花は、茎の先の2枚の苞葉の間から出る細い柄の先につき、3~5個が順番に咲いていく。
朝開き、夕方にしぼむ一日花で、花が終わると、丸い果実が柄の先に垂れ下がる。
(『道草の解剖図鑑』金田初代 エクスナレッジ 2021年)

小石川植物園からここまで旅をしてきたんだなぁ…
小石川植物園といえば0655のおはようソング『小石川植物園に行ってみました』を思いだします。
昨日の記事で蕪村の句「(いも)が垣根さみせん草の花咲(さき)」を紹介した時に
『徒然草』の第26段を参照とありましたので転記します。

第二十六段
 風も吹き敢(あ)へず移ろふ、人の心の花に、慣れにし年月(としつき)を思へば、哀(あは)れと聞きし言(こと)の葉毎(はごと)に忘れぬものから、我(わ)が世(よ)の外(ほか)に成(な)りゆく慣らひこそ、亡(な)き人の別れよりも勝(まさ)りて、悲しき物なれ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 然(さ)れば、白き糸の染(そ)まん事を悲しび、路(みち)の岐(ちまた)の分(わ)かれん事を嘆く人も、有(あ)りけんかし。
『堀川(ほりかは)の院(ゐん)の百首』の歌の中に、 

 昔見し妹(いも)が垣根は荒れにけり茅花交(つばなま)じりの菫(すみれ)のみして

寂しき気色(けしき)、然(さ)る事侍(はべ)りけん。

 白き糸の染まん事を悲しび、路の岐の分かれん事を嘆くひと 『蒙求(もうぎゅう)』の「墨子悲子(ぼくしひし)」と「楊朱泣岐(ようしゅきゅうき)」の故事を踏まえる。
 昔見し 藤原公実(きんざね)(1053~1107)の和歌。
 訳 
 風が吹いたわけでもないのに、いつのまにか移ろう桜の花のような人の心……。
馴れ親しんだ歳月のことを思えば、あわれと思って聞いた言葉の一つ一つを忘れることはないのに、その相手のことは、まるでこの世の外(ほか)のことのように、気持ちが移ろってしまうのは、その人と死別するよりも、もっとずっと悲しく切ないものである。
 だから中国の『蒙求(もうぎゅう)』にあるように、白い糸がいろいろな色に染まってしまうことを悲しんだ人(墨子)や、道が幾筋にも分かれることを嘆いた人(楊朱)もいたのだろう。
堀川百首』の歌の中に、

  昔見し妹(いも)が垣根は荒れにけり茅花交(つばなま)じりの菫(すみれ)のみして

という藤原公実の歌がある。
すっかり途絶えてしまった女との交際を、目(ま)の当たりにするかのような、彼女の家の荒廃のありさまである。
本当にこの歌に詠まれている通りの寂しい光景があって、作者の公実にも悲しい恋の思い出があったのだろう。
 評 
『古今和歌集』の紀貫之「桜花疾(と)く散りぬとも思ほえず人の心ぞ風も吹き敢(あ)へぬ」と、小野小町「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」の和歌を、継ぎ目も見えぬほど巧みに綴り合わせた冒頭表現と言い、合計千六百首にも及ぶ『堀川百首』から、たった一首を印象的に抜き出した歌と言い、さらに加えて『蒙求』からの引用と言い、詩歌の輝きと陰翳を、散文脈に窯変(ようへん)させた兼好の手腕に感嘆させられる。
 しかも、小さなエマイユ(七宝)の盃に注がれたような、兼好自身の忘れ得ぬ別離が、精妙な表現の奥に、甘苦く漂っていることも見逃せない。
この段にかすかに揺曳(ようえい)する恋の思い出は、徒然草も末尾近くなった第二百四十段になって、再び、兼好の心の奥底から、静かに立ち昇ってくるだろう。
 なお、永青文庫所蔵の麝香姫(細川幽斎の妻)自筆の「扇面和歌」にはこの、第二十六段の本文が書き写されている。
心に響く段である。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

毎日の更新をしばらくお休みします。
眼精疲労のためかパソコンの画面を長い時間見ていると、肩凝りや頭痛がします。
これからは、休み休み更新をしたいと思います。