2019年4月8日月曜日

散り始めました…

今朝は、車の六カ月点検があり
代車を待っていたので出かけるのが遅くなりました。
昨夜の雨とあたたかい風が吹いていたので
サクラの花びらが舞い始めていました。
今日から新学期が始まり、灌仏会(かんぶつえ)の日でもあります。
その始まりが『日本書紀』(推古天皇)に書かれています。
(推古天皇)
 十四年の夏四月の乙酉(きのとのとり)の朔壬辰(ついたちみづのえたつのひ)に、
(あかがね)・繡(ぬひもの)の丈六(ぢやうろく)の仏像(ほとけのみかた)
(ならび)に造りまつり竟(をは)りぬ。
是の日に、丈六の銅の像(みかた)を元興寺(ぐわんこうじ)の金堂(こむだう)に坐(ま)せしむ。
時の仏像(ほとけのみかた)、金堂の戸(と)より高(たか)くして、
(だう)に納(い)れまつること得(え)ず。
(ここ)に、諸(もろもろ)の工人等(たくみども)、議(はか)りて曰(い)はく、
「堂の戸を破(こほ)ちて納(い)れむ」といふ。
(しか)るに鞍作鳥(くらつくりのとり)の秀(すぐ)れたる工(たくみ)なること、
戸を壊(こほ)たずして堂(だう)に入(い)れるること得(う)
即日(そのひ)に、設斎(をがみ)す。
(ここ)に、会集(まかつど)へる人衆(ひとども)、勝(あ)げて数(かぞ)ふべからず。
是年(ことし)より初(はじ)めて寺毎(てらごと)に、
四月の八日(やかのひ)・七月の十五日(もちのひ)に設斎(をがみ)す。
(『日本書紀(四)』坂本太郎他校注 校注 岩波文庫 1995年)
  十四年夏四月八日、銅・繡(ぬいもの)の丈六の仏像がそれぞれ完成した。
この日、丈六の銅の仏像が元興寺(がんこうじ 飛鳥寺)の金堂(こんどう)の戸より高くて、
(どう)に入れることができなかった。
多くの工人(たくみ)たちは相談して、堂の戸をこわして入れようといった。
ところが鞍作鳥(くらつくりのとり)の偉いところは、
戸をこわしたりせず、立派に堂に入れたことである。
その日斎会(さいえ)を設けた。
そのとき許されて参集した人々の数は、数え切れない程であった。
この年から始めて寺ごとに四月八日(灌仏会)・
七月十五日(盂蘭盆会)に斎会をすることになった。
(『日本書紀(下)』宇治谷孟訳 講談社学術文庫 1988年)
中学校の国語教科書を教育センターで見ていました。
自分の中学生時代に習った教材では
森鴎外の「高瀬舟」、太宰治の「走れメロス」があって懐かしかったです。
今の教材を見ていると興味深い作品がいっぱいありました。
その中で大岡信さんの「言葉の力」がこの時期にピッタリなので転記しますφ(..)
   言葉の力 大岡信(おおおか まこと)

 人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。
しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、
単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、
正しいと決まっている言葉はない。
ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、
別の人がそれを用いたとき同じように美しいとはかぎらない。
それは、言葉というものの本質が、
口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、
それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。
人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。
(『中学校2年 国語』光村図書 平成28年版)
 京都の嵯峨(さが)に住む染織(せんしょく)家志村(しむら)ふくみさんの仕事場で話していたおり、
志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。
そのピンクは、淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、
はなやかでしかも深く落ち着いている色だった。
その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか。」
「桜からです。」
と志村さんは答えた。
素人(しろうと)の気安さで、
私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。
実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。
あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色がとれるのだという。
志村さんは続けてこう教えてくれた。
この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、
こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。
 私はその話を聞いて、体が一瞬揺らぐような不思議な感じに襲われた。
春先、もうまもなく花となって咲き出(い)でようとしている桜の木が、
花びらだけでなく、
木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、
私の脳裏に揺らめいたからである。
花びらのピンクは、幹のピンクであり、
樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、
花びらはいわばそれらのピンクが、
ほんの尖端(せんたん)だけ姿を出したものにすぎなかった。
 考えてみればこれはまさにそのとおりで、
木全体の一刻も休むことない活動の精髄が、
春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。
しかしわれわれの限られた視野の中では、
桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。
たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。
 このようにみてくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。
言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だといっていい。
一見したところぜんぜん別の色をしているが、
しかしほんとうは全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、
それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。
そういうことを念頭におきながら、
言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。
そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、
一語一語のささやかな言葉の、
ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。
美しい言葉、正しい言葉というものも、
そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。
(『中学校2年 国語』光村図書 平成28年版)
(教科書ではありませんが(^_-)…)

  花前線
 植物の発芽、開花、紅葉(黄葉)、落葉、動物の出現、去来、冬眠、
啼鳴などの生物季節の期日を白地図の上に記入し、
等期日線を引くと、それぞれの生物季節の移動がわかる。
このうち、とくに花の等期日線を、
気象の前線になぞらえて、花前線という。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
 春の花前線は南から北へ、山麓から山頂へ、
秋の花前線は北から南へ、山頂から山麓へ。
ソメイヨシノの花前線の北上速度は、
時速20~25キロだが、もちろんこれは平均的な話。
ソメイヨシノの開花日は高さによるズレは、
100メートルにつき2~3日の所が多いが、
高い所へ行くと5日もちがうことがある。
「花は里より咲き初め紅葉は山より染め初むる」(譬喩尽)
――日本でも昔から、春と秋の生物季節の高さによる相違は、
このようにいい表されていたが、
各地の生物季節の観測資料を整理して法則の形で表現したのは、
アメリカのA.D.ホプキンスである。
彼は米国東部地方について
「他の条件さえ等しければ、
 温帯北米における生存活動のある周期の変化は、
 緯度1度ごと、経度5度ごと、
 高さ400フィート(約120メートル)ごとに平均4日の割合で、
 春や初夏は緯度は北方に、経度は東方に、
 高度は上方に向かって遅れる。
 夏から秋にかけては逆になる」
と定式化して、これを生物気候の法則と呼んだ。
日本でも同様の法則が見られることは、よく知られている。
ただしここで、経度による季節の相違は、
大陸の奥地で春の気温上昇、秋の気温下降が、
温和な海洋気候の沿海地方よりも顕著なことから生じたものであるから、
日本のように海に囲まれた島国にはあてはまらない。
 南と北の開花期日のズレは、植物の種類によっても異なる。
たとえばウメとサクラ(ソメイヨシノ)の開花平均日をくらべると、
下の表(省略)のように、
日本の南岸ではウメはサクラよりも二カ月前に咲き始めるが、
東北地方では開花日の差が縮まり、
メーデーのころ両者はスクラムを組んで津軽海峡を渡るようである。
  一般に、つぎつぎに北上してくる花前線の終着駅に当たる北国では、
春が遅いかわりにウメ、モモ、サクラその他の花が一斉に咲き乱れ、
春は爆発したように始まる。
  (倉嶋 厚)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)