2019年4月27日土曜日

冬に逆戻り…?

なんか冬に逆戻りでしたね…
北海道では、桜の開花が例年よりも早かったみたいですが
雪が降っているみたい…
そう言えば『羊と鋼の森』に(まだ5月ではありませんが)

 雪の降る日は暖かい。
道民には共通の感覚だろう。
ほんとうに冷え込んだ日に雪は降らない。
空は抜けるように晴れ渡り、青さが目に刺さる。
ただし、それは真冬の話だ。
五月の雪は、さすがに寒い。
(『羊と鋼の森』宮下奈都 文春文庫 2018年)
私が『万葉集』をもっと知りたいなと思ったのは
加藤周一さんの『日本文学史序説』を読んだことが大きいです。
第一章 『万葉集』の時代」から一部を抜き書きしますφ(..)
『万葉集』には、女流歌人が多い。
おそらく抒情詩の作者にこれほど女の多かった時代は、
古今東西に例が少ないだろう。
しかも『万葉集』の閨秀は、傑作を生みだした。
けだし日本の女流文学は、突然平安時代の女房文学にはじまったのではない。
すでに『万葉集』の時代からこの国の文学に女の演じてきた役割は大きかったのであり、
女流文学が消えていったのは、13世紀以来の武士支配階級の倫理、
殊に儒教イデオロギーを借りて強化された男女差別観の徹底による。
(『日本文学史序説<上>』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)

閨秀(けいしゅう)…学芸にすぐれた婦人。
日本にはまず「たをやめぶり」があって、
その後外国文化の影響のもとで「ますらをぶり」がつくりあげられたのである
(真淵は、平安朝以来の歌の伝統のなかで暮らしていたから、
平安朝宮廷社会との対照に注意を奪われて、
『万葉』の「ますらをぶり」を語った。
実は平安朝の「たをやめぶり」が、
奈良朝ではまだそれほど徹底していなかったということにすぎない。
また戦前の軍国主義的権力が、
『万葉集』を「防人の歌」によって代表させようとしたのは、
もちろん極端な歪曲であり、愚民政策以外の何ものでもなかった)。
『万葉集』は何よりも恋の歌集であり、
恋の歌に女流作家は、その才能を発揮して余すところがなかった。
 額田王(ぬかたのおほきみ)についてはすでに触れた。
8世紀の歌人で、『万葉集』が多くその作品を採るのは大伴坂上郎女(おほとものさかのうえのいらつめ)である。
坂上郎女は家持の叔母で、家持にあたえた影響は大きかったろう、といわれている。
その家持や娘(家持の妻)へ呼びかけた「相聞」があり、
親族相会する宴の歌、新羅人の尼の死を悼む挽歌、
月・雪・梅・柳・橘・よぶこ鳥・ほととぎすの叙景歌もあって、
よく彼女の世界を示しているが、圧倒的多数は恋の歌である。
その恋の歌は、女の心理を歌って、
もっとも曲折に富み、もっとも洗練されている。
たとえば、自分は真剣だが男の言葉は口先だけだ(巻四、656)といい、
「思はじ」と言ったけれども思いきれない(巻四、657)と嘆き、
仲を割こうとする人がいるから他人の中傷を聞かないでくれ(巻四、660)と訴え、
容易に会えなくても会ったときには「愛(うつく)しき言尽(ことつく)してよ」(巻四、661)とよびかけている。
また来るといってさえ来ない時があるのだから、
来ないというときには、待たないことにしようという歌もある。

  来(こ)むといふも来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを (巻四、527)
 
 待つ人の心理を言いあてて見事だといわなければならないだろう。
長歌では、その前後の事情が語られる。
すなわち、「年深く長く」というから心を許したのに、
その人も来ないし、便りもない、嘆きつづけながら、

  「……幼婦(たわやめ)と 言はくも著(しる)く 手童(たわらは)の ねのみ泣きつつ……」(巻四、619)

とみずからいう。
その反歌は、こうである。

  初(はじ)めより長くいひつつたのめずはかかる思(おもひ)に会はましものか (巻四、620)
 この心理家には、ほとんどフランス人のいわゆる「モラリスト」の面影さえもある。
奈良朝の宮廷は、すでにここまで来ていたのである。
(『日本文学史序説<上>』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
今朝は燕が低空飛行をしていました。
二人連れの女性が目の前を燕が飛んでいるのでビックリされていたので
「湿気が多いので虫が低い所にいるのですよ」と声をかけると
納得してくださった。
もう一つ、風も強いので虫が高く飛べないと付け加えたらよかったな…
 ツバメは空中を飛びながら何を食べているのだろう。
それは空中を飛んでいる小さな昆虫である。
空中には小昆虫が予想外に多いことが近年になって知られてきた。
しかし、それらは温帯や寒帯では冬には極端に少なくなってしまう。
だからこそツバメは秋になると南方へ渡り、
春にまた帰ってくるのである。
  (浦本昌紀)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カルガモの親子に出会っていました。
この写真を妹にプレゼントしていました。