公園のベンチに座ろうとすると先客がありました。
キリギリスの仲間(ツユムシ?)が日向ぼっこをしていました。
ということで隣のベンチで父とコーヒータイム(^_-)
今朝(9日)は、日差しがあたると小春日和
雲が太陽を隠すと真冬になりました。写真を撮ろうとしたら迷惑そうな顔をしてノロノロと動き出した。落葉の上も温かいのかな?オンブバッタも日向ぼっこをしていました。
今回の画像は、9日(火)に撮影しました。
8日(月)に分電盤の改修工事があり6時間停電しました。
事前に冷蔵庫用にペットボトルに水を凍らせたり
父を妹の家に避難させたり
それなりに準備をすることができたのですが
停電の間、電気、水道が使えないのでトイレなどが使用できません。
被災された方は、なんの準備もできず水道、電気、ガスなどのインフラが止まってしまう。
工事が終わった後、インタホンなどの時刻の設定をしたのですが
なんとインターネットが繋がらない(;´Д`)
電源コードの抜き差しやリセットボタンなどを試したのですが、繋がりません!
カスタマーセンターに電話をして作業員の方に来ていただくことになりました。
今日(10日)、作業員の方がきて機器の交換をしていただき繋がるようになりました。8日、夜、青森県東方沖を震源とする震度6強の地震が発生しました。
この寒い時期に地震が起きると
第3章 日本海と北日本に迫る危機
3-5節 M9クラスの日本海溝・千島海溝地震
冬季に生じる特異的な災害
日本海溝・千島海溝地震で被害想定された地域は寒冷地にある。
したがって、冬季の深夜に巨大地震が起きると被害が急増する。
北海道から千葉県にかけての太平洋側と秋田、山形を含む9道県に被害が出ると予想されている。
(『M9地震に備えよ 南海トラフ・九州・北海道』鎌田浩毅 PHP新書 2024年) 具体的には、積雪地域では吹雪(ふぶき)や路面凍結で避難が著しく遅れるため、津波被害が最も大きくなる。
さらに、津波と共に流氷が襲ってくる可能性もある。
余震が続く中で防寒着を着込み、積雪や凍結が見られる道路で避難しなければならない。
内閣府による被害想定では、冬の夕方に津波から早期避難ができなかった場合、発生から1日後の避難者数は日本海溝では90万1000人、また千島海溝では48万7000人に達する。 また極寒地では、避難所でも暖が取れなければ低体温症にかかる人が増える。
さらに本州からの救援部隊は、寒冷地仕様の資機材を持たないため救援に困難をともなう恐れがある。
冬季以外でも寒冷地では、津波に巻き込まれ濡れたままの被災者が低体温症で死亡するリスクがある。
高台などに難を逃れても、屋外にいる時間が長ければ命を落とす恐れがある。
低体温症の要対処者数は、日本海溝と千島海溝の地震それぞれで4万2000人と2万2000人に及ぶ。
だが、避難所への避難路と体を温める防寒備品の整備などによって、こうした死亡リスクは減らせるだろう。 被害が予想される上記の9道県では、自力避難が難しい高齢者の割合が多い。
たとえば、1995年1月に起きた阪神・淡路大震災や、2011年3月に起きた東日本大震災と同じように、寒さで体調を崩す人が続出し、避難後の災害関連死の増加につながる恐れがある。
よって、寒冷地の避難では「家から逃げる時」と「避難所に逃げた後」のそれぞれに防寒の工夫が必要となる。
また、避難する際の一人ひとりのタイムラインの策定や、高齢者をサポートするシステムづくりが求められている。 東日本大震災後、「想定外」の事態を最小限にするため防災態勢の見直しが進んでいる。
南海トラフ巨大地震は最大死者32万3000人、首都直下地震は同2万3000人と見積もられている。
一方、早期避難を可能にする「事前復興」の徹底により、死者や建物被害などの想定被害を大幅に減らせるとしている。
内閣府は事前に十分な策を講じれば死者数の8割を減らせるとし、さらに土木学会はインフラ整備によって経済被害の6割を減らせると提言している。 また日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震でも、避難率が上昇すれば犠牲者数を大幅に減らすことができる。
具体的には、避難率が100%になれば日本海溝地震で3万人まで、また千島海溝地震で1万9000人まで犠牲者を減らせるが、どちらも8割減となっている(図3-5-3「日本海溝・千島海溝地震の発生前に早期対策を講じることで減らせる犠牲者数」:省略)。
地学的に見ると、日本の国土面積は世界のわずか0.25%だが、世界で発生するマグニチュード6以上の大地震の2割が集中する。
加えて第1章で述べたように、東日本大震災以降の日本列島は1千年ぶりの「大地変動の時代」に突入している。
今回の内閣府による地震被害想定を早急に事業継続計画に組み込み、対策を進めなければならない。
(『M9地震に備えよ 南海トラフ・九州・北海道』鎌田浩毅 PHP新書 2024年)津波警報・注意報が発令されていました。
「tsunami」が、世界共通の言葉となった端緒は、
(二) 神戸時代(1894・10・10~96・9・7……セツ26~8歳)
tsunami
『心』(1896・3・14)が出版されて三ケ月を経た6月17日、『大阪朝日新聞』の朝刊に、二日前の夕刻に起こった明治三陸地震津波(死者2万2千人)が「海嘯(ツナミ)」と刻まれて報道された。
ハーンはその二日後の『時事新報』に載った記事によってと思われるが、安政地震津波に際して浜口梧陵(ごりょう)を知り、「生き神様」を書く。
これは、翌年に出版された『仏の畑の落穂』の巻頭を飾り、OED(Oxford English Dictionary)は、その作品での「tsunami」の使用をもって「つなみ」という日本語が英語化した端緒としている。
確かに、当時の英字新聞(Japan Weekly MailやJapan Gazette)には、「tsunami」の語は現れない。
セツは新聞を見張ることに熱心で、11日後に出掛ける松江にも、連日神戸の自宅から新聞を送ってもらっている。
新聞で津波の惨状の報道に接して「つなみ」と声を発した時の、彼女の表情や語気が、ハーンの効果的な「tsunami」の使用を可能とし、この日本語起源の英語が誕生したと言えるかも知れない。
(『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二 潮文庫 2025年)
「稲むらの火」(気象庁)1916(大正5)年12月9日に夏目漱石が亡くなりました(#漱石忌)。
朝ドラ「ばけばけ」は、もうじき熊本に舞台が変わると思うのですが、
ラフカディオ・ハーンは、1891年、熊本の第五高等中学校へ転任(校長は嘉納治五郎)。
1896年には東京大学の講師に就任します。
熊本の第五高等学校や東京大学を去った後に就任したのが夏目漱石です。
(「五高の歴史~年表~」熊本大学五高記念館)
ハーンの後任として東京大学に就任した時の様子を鏡子さんが『漱石の思い出』で話しておられます。
なお、鏡子さんがこの『漱石の思い出』を著わそうとしたきっかけは、小泉節子さんの『思ひ出の記』があるそうです。 18 黒板の似顔
…(前略 1903年4月)…
東京に一高で教鞭(きょうべん)をとることになりましたが、それだけでは生活も困ろうとあって、文科大学の講師ということになって、小泉八雲先生のちょうど後に入ることになりました。
どうしてそういうことになったのか、その間の消息は私にはわかりませんが、当人ははなはだ不服でして、狩野さんや大塚さんに抗議を持ち込んでいたようです。
夏目の申しますのには、小泉先生は英文学の泰斗(たいと)でもあり、また文豪として世界に響いたえらい方であるのに、自分のような駆け出しの書生上がりのものが、その後釜(あとがま)にすわったところで、とうていりっぱな講義ができるわけのものでもない。
また学生が満足してくれる道理もない。
もっとも大学の講師になって、英文学を講ずるということが前からわかっていたのなら、そのつもりで英国で勉強もし準備もしてくるのであろうに、自分が研究してきたのはまるで違ったことだなどとぐずついていたようですが、結局狩野さんあたりからまあまあとなだめられて落ちつきました。
…後略…
(『漱石の思い出』夏目鏡子述、松岡譲筆録 文春文庫 1994年)9日朝の父の一枚です(^^)/
落葉で覆われています。
地震と大雨
2024年1月1日に能登半島地方を震源とする最大震度7の地震が発生しました。
地震発生時には名古屋でも緊急地震速報が鳴り響き、やや強い揺れを感じました。
さらに同年9月に能登半島で線状降水帯により豪雨災害が発生しました。
地震から復興途上で被災された方々の負担と苦しみは、計りしれません。
地震の発生から1年以上を経ても、多くの方がまだ災禍のなかにあることに心が痛みます。
これらの二重災害で大きな被害を受けた輪島市は、台風の航空機観測を始めたときに、日本海上での試験飛行でたいへんお世話になったところでした。
さらに時間を遡ると、能登半島の西側にあった押水町(現在の宝達清水町)の皆様には、冬季の雪雲観測でたいへんお世話になりました。
能登半島の皆様の一刻も早い復旧・復興を祈っています。
地震には様々な規模のものがあり、大雑把にいうと小さな地震ほど数が多い傾向があります。
地震の規模、つまりマグニチュードごとの発生数を数えて、そのグラフを書くとおおよそ右下がりの直線になります。
ことのとき横軸はマグニチュードで、縦軸は発生数の桁数から1を引いた数をとります。
たとえば100回なら2、1000回なら3、1万回なら4のようになります。
つまり10の何乗かを縦軸にとります。
そのような数のことを対数といい、高校の数学で出てきます。
要は小さなものの発生数は10倍単位で大きくなるということだけをご理解ください。
小さな地震はほとんど災害をもたらさないので、数が多くても大きな災害にならないのですが、能登の地震のような大きな地震は、発生頻度が低くても甚大な災害をもたらします。
…つづく…
(『天気のからくり』坪木和久 新潮選書 2025年)












