2024年4月2日火曜日

ポカポカ陽気

今朝はポカポカ陽気でした。
でも飛行機雲が長くのびていたので…
明日の予報は雨で、散歩に行けそうもないなぁ
開花宣言は知っていたけど

平年より2日早く宇治茶の「萌芽宣言」 一番茶収穫準備始まる〟(京都NHK)
青森県と岩手県で震度5弱 津波の心配なし」(NHK)

地震が続いていますね…

 要石(かなめいし)

 地震、雷、火事、おやじ、という言葉があります。
これはこの世の中で恐いものを順にあげたものですが、地震が一番になっています。
昔の人々もやはり地震が一番恐かったものと思われます。
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)
 ところで、上田市塩田町本郷に武高国(たけたかくに)神社というお宮がありますが、この境内に要石という石があります。
高さ1メートルほどの石で、立てえぼしのような形をしていますが、この石にはこんな話が伝えられています。
 江戸時代の末にこの地方ではたびたび地震が起こったので、塩田二十二か村の人々は、鹿島神社の要石にならってこの石を安置し、平穏になることの願いをこめて祈りました。
 鹿島神社は、茨城県鹿島町にあり、古くから多くの人々の信仰を集めているお宮ですが、ここに要石があります。
大昔の人々は、地震は、地の中で日本国中にまたがって横たわっている大ナマズによって起こされるものと考えていました。
あるとき、このナマズが地中でぐるっと体を回したそうです。
そうして、首と尾が鹿島で会ったそうです。
それを見た鹿島の神は、すかさずクギで首と尾を留めました。
このクギが要石だというのです。
塩田組の人々は、この故事にあやかって、この石を立てて地震を止めようとしたのです。
 上水内郡中条村日下野(くさかの)に臥雲院(がうんいん)という寺がありますが、ここにも要石があります。
お寺をゆるぎないものにするためにすえたといいますが、詳しいことはわからなくなっています。
六十センチ位の立方形の石ですが、先は屋根のようになっています。
池の中にあって、手で押すとぐらぐら動きますが、底は池の中に深く入っているらしく、掘り出そうとしても掘れないないそうです。
血脈水(けちみゃくすい)、塵穴(ちりあな)、仏殿破風、片目の魚、風穴、秋雨などとともに、この寺の七不思議になっているそうです。
 上水内郡三水(さみず)村芋川の西耕地にも要石があります。
大きさは三・六メートルほどで、地上に三十センチあまり出ています。
この石も動くけれど、地の中に深く入っていて、抜くことができないといわれています。
   (浅川欽一<民俗研究家>)
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)
塩田平の文化財 -ナマズをおさえる石-」(塩田まちづくり協議会)

現在の要石」(鹿嶋デジタル博物館)

鯰は弁天さんの使者とも言われています。
2018年11月2日に今宮神社の「宗像社 鯰の台石」を見てきました。
第二章 伝説
 3 要石伝説

 鹿島神宮の境内にある要石は、古代から伝わる「鹿島の七不思議」の一つとして知られており、このことは古い史料に記されており、それは丸い大きな石でその一部分が地面につき出し、その頭は幾分くぼみ、残りの部分は土中深く埋没しているという。
図1〔九頁(省略:以下同じ)〕と図18-2には、木の柵で囲まれたかなり大きな岩のように描かれているが、これは明らかな誇張である。
実際には、図19-1、2と図20-1のように、古記録の記載やはじめの二つの絵とはちがって、地上部分の直径が約25センチ、高さ10―15センチ程度のものである。
今も木の柵で囲われ、そこに約1.5メートルの榊 Eurya ochnacea が植えられ、それに御幣がかけられている。
今日でも、鹿島を崇拝する人々にとってその石は重要性を失っていない。
(『鯰絵―民俗的想像力の世界』C.アウエハント著 小松和彦他訳 岩波文庫 2013年)
 …中略…

 次に各地にみられる要石の事例をいくつか挙げてみよう。
一本松(静岡県駿東郡原町)では要石神社の傍に石がある。
この石の「根」は社殿より大橋家の屋敷の井戸まで達し、大地震のときも揺れることなく、安政の大地震にもその災害を免れたという。
高潮のときもこの石から上に潮が来ることはない。
武高神社は(長野県小県<ちいさがた>郡中塩田村本郷)の境内にも要石が祀られている。
弘化4年〔1847年〕3月より地震が頻々(しくしく)と起こったが、塩田組二二村で鹿島神宮の要石にならって、ここに安置して祈願した。
小池(石川県鳳至郡西保村)では、地震岩ともいっている。
鹿島(和歌山県日高郡南部町)では、鹿島の下には地震のがいるが、鹿島明神が上から抑えつけているので、昔からこの土地には地震も津波も起こらないという。
この神が初めてここに来られたとき坐し給うたという石が海中にある。
これを要石といっている。
国富村(島根県簸川<ひかわ>郡)の旧家本佐氏の屋敷内にも要石がある。
国引のとき、八束水臣津野(ヤツカミズオミツノ)命が記念に建てた杭が化して石になったといい、今は地震除けの守護神として崇められている。
中山太郎(『日本民俗学辞典』)によれば、要石のそばにある小石は、地すべり除けの護符となる。

 …後略…

(『鯰絵―民俗的想像力の世界』C.アウエハント著 小松和彦他訳 岩波文庫 2013年)
今朝の父の一枚です(^^)/
シジュウカラ♂を写していました。
昨日のアオサギを写した画像を見てアレッと思いませんでしたか?
アオサギが座っているのですが膝が逆に曲がっているのではと…
実は、膝ではなく人間の……

質問156 鳥のひざは人間と逆に後ろに曲がっていますがどうしてですか? 

回答]鳥のひざは人間と同じように前に曲がっています。
ただひざの位置が体の中に入ってしまっていて見えないものですから、多くの人がかかとをひざと見誤っているのです。
 このことは別におどろくほどのことではありません。
というのは、大腿骨が筋肉の中に腰の関節から水平に前方に向かってうめ込まれてしまっていて、脚はひざから下が自由に動くからです。
鳥のかかとから指先までは非常に長く、そこがすねのように見えるのです。
(『鳥についての300の質問 君が知りたいすべてに答える』A.クリュックシァンク H.クリュックシァンク著 青柳昌宏訳 講談社ブルーバックス 1982年)

鳥の脚」(日本野鳥の会 札幌支部)