2023年5月5日金曜日

こどもの日

今朝も来園者が多かったです。
昨日は、駐車場に入る車が長い列を作っていましたが
今朝は、長い列を作るほどではありませんでした。
10時頃に駐車場を出たのでそのあとのことは分りませんが…
ブログ記事を書こうとしたら
震度6強「今後注意すべきポイントは」気象庁会見を詳しく〟(NHK)
この連休で旅行に出かけている人も多いのではないでしょうか。
地域の方々や旅行者のみなさんの無事を祈ります。

はじめに
 名所はなぜ名所になったか


 人は旅行すると、旅先の名物の中から家人や知人のために土産物を探します。
お土産をもらった人は、包みを解きながら土産話を聞きます。
土産はその土地の香りがあるのです。
土産話のもとになる名所は、なぜ名所になったのでしょうか。
その土地の名物は、なぜ名物になるのでしょうか。
(『四季の地球科学―日本列島の時空を歩く』尾池和夫 岩波新書 2012年)
  大地の由来とそこに育まれた生態系を知ることは、そのような由来を考える手がかりになるでしょう。
 日本列島と大陸の間にある日本海はたいへん若い海で、およそ1600万年前に開き始めました。
一方、東北日本の東にある太平洋の海底は、世界でいちばん古い海底で、生れてからおよそ1億8000万年以上たっています。
日本列島をとり囲む海には、世界でもっとも生物多様性の豊かな生態系があります。
…後略…
(『四季の地球科学―日本列島の時空を歩く』尾池和夫 岩波新書 2012年)

日本に地震が多いわけ」(小学6年)

大阪は、埋立地「夢洲(ゆめしま)」にカジノをつくる計画だそうですが、
府や市から埋立地の地盤や南海トラフ地震の情報提供を受けた上で立候補されているのでしょうか?
私は、カジノは必要ないと考えているのでいらぬ心配はやめときますが…
 グレーテルのかまど「端午の節句のあくまき
鹿児島県のあくまきには、木の灰汁、タケの皮で包む知恵がつまっています。

チコちゃんに叱られる!「▽こどもの日って……」で
新谷尚紀さんは、「葉っぱで巻く食文化」と「こどもの日の歴史」という2つが、組み合わさっていると話されていました。
春 五月 皐月(さつき)
 端午の節句

 五月五日は「端午(たんご)の節句」。
この端午の節句に欠かせない植物といえば「菖蒲(しょうぶ)」です。
端午の節句は「菖蒲の節句」ともいわれ、「菖蒲」の読みが「勝負」や「尚武」(武勇や武道を重んじること)と同じことから、鎌倉時代頃から特に「男の子の節句」として、子どもの健康を祈り、成長を祝う日とされてきました。
現在は「こどもの日」として、兜を飾ったり、柏餅やちまきをいただいてお祝いします。
(『鳩居堂の歳時記』広田千悦子著 鳩居堂監修 主婦の友社 平成28年)
 菖蒲という、ことばの響きが尊ばれている以外にも、家の軒に菖蒲とよもぎを挿して邪気を祓うなど、菖蒲にまつわる風習はかなり古い時代から見られます。
また、菖蒲には実際に抗菌や解毒、鎮静などの効能があります。
香りには災いを避ける力があるとされ、シュッととがった葉のかたちは縁起がよいといわれています。
独特の香りを放つ根元は、ほんのりと赤みを帯びているのが特徴で、菖蒲湯には、この部分を湯につけて香りをとります。
 また、『万葉集』が編(あ)まれた時代には山野に出て薬草を摘む「薬狩り」も行われ、菖蒲やよもぎなどを添えて薬玉(くすりだま)を作り、飾ったり身につけたりしたとか。
 最近は、五月晴れの空にたなびく鯉幟(こいのぼり)もなかなか見られなくなりましたが、兜などを飾ったり、菖蒲を使った古来の風習を楽しむのもいいでしょう。
(『鳩居堂の歳時記』広田千悦子著 鳩居堂監修 主婦の友社 平成28年)
Ⅱ ヒメ殺し
 女の家


 1

「女の家」の民俗事象について、柳田国男と折口信夫が珍しく一致した見解を示している。
柳田は岩手県北部に伝わるオカタボンダシという行事に注目した。
これは旧2月9日、女房の別称であるオカタが家から追い出されるというもので、面白半分の遊びであるにもかかわらず、家の主婦に地位の変遷を示した事例といえるのである。
さらに伊豆大島で、5月4日の夜、家の主人が主婦の尻をたたきながら、「五日のショウブひとしょうぶ」という唱え言をしたという事例が比較され、共通して、女が追い出されているが、本来その現象は逆転していたもので、女の支配する一日が存在していた証拠であろうとしている。
男性中心の社会体制であると、女はできるだけ自ら権能を制限して、亭主関白を認めようとしたのである。
とくに5月の田植え月で、田の神の奉仕者としての女性は重要な役割を担っているので、5月の節日が、わざわざ選ばれたのだろうと推察している(「女の家」『定本柳田國男集』第15巻、312~319ページ)。
「或は五月五日に限らず、家のうちの祭事には、男の口の出せぬ部分があって、指図を受けずに主婦がどしどしと断行して居たのを、寧ろこの一回の総勘定によつて、昔のままに承認しようとしたものと解せられる」(前掲書、315ページ)というのである。
女が男の制圧を受けないで、逆に男に指図する日が、一年に一昼夜だけであり、その日は5月の田植えに先だつ節供であり、これが「女の家」の言い伝えとなった。
5月5日が「女の家」とされているのは、「江戸期の文芸にも屢々見えて居て、京大阪の人たちも常に之を口にしてゐた」(前掲書、313ページ)と柳田が指摘しているのは、民俗学上定説化している近松門左衛門の浄瑠璃「女殺油地獄」の一節にある「女の家」の記事であった。
(『ヒメの民俗学』宮田登 ちくま学芸文庫 2000年)
 折口信夫は、「女殺油地獄」の下巻の書き出しに「三界に家のない女ながら、五月五日のひと夜さを、女の家と言ふざかし」に着目して、「男が出払うた後に、女だけ家に残ると言ふ風のあつた暗示を含んでゐる」(「最古日本の女性生活の根柢」『折口信夫全集』第2巻、159ページ)とのべている。
この「女の家」は、折口の思考では、古俗として、「女が家に居るのは、巫女となつて祀りをしてをり、男が出払ふのは、物忌み生活のため一ケ所に籠つてゐることを意味する」ということである(「民俗学上よりみた五月の節供」『折口信夫全集』第15巻、156ページ)。
柳田は同じ「女の家」でも、古俗を強調せず主婦の地位の変化相に言及したのであり、折口は専ら、原型の抽出に熱心である。
 5月5日夜だけでなく、新嘗の夜もまた「女の家」に相当すると折口は説いた。
それは『万葉集』巻14の東歌、

  鳰鳥の葛飾早稲を贄すとも、
     彼愛しきを外に立てめやも

  誰ぞ。此家の戸押ふる。新嘗忌に、
     わが夫を遣りて、斎ふ此戸を

この二首について、折口は「新嘗の夜は、神と巫女と相共に、米の贄を喰ふ晩で、神事に与らぬ男や家族は、脇に出払ふたのである」(『折口信夫全集』第2巻、159ページ)とうことを前提に解釈している。
前者は、神饌を神に奉る夜であるが、折角愛人が外に来ているのを知って、どうして中へ入れないでおけるだろうかという若い女性の心持がうかがえ、誰がこの家の戸を動かしているのか、忍んでいる男だろうか、といった女房が一人だけ家に籠っているときの実感をうたっているというのである。
 万葉の時代に「女の家」に相当する風習のあったことが指摘され得るのであり、女だけ籠る空間が、永い伝統をもっていたことを示唆している。
そのほかに3月3日に女が家を離れて物忌生活を過ごす信仰があったとも折口は説く。
「三月三日に女が野山に籠つて、女ばかりの生活をした。女が神事に仕へる資格を作る為のものいみで、此ものいみが了ると、女は聖なる資格を得て、戻つて来る。此資格は、祭りの終るまで続く。即、村共有の巫女となつて宗教上の実権を握るのである」(前掲書第15巻、338ページ)。
物忌は、神に仕える要件だとした折口の巫女論は、女性が日常生活から隔離されることを一つの前提としている。
したがって、家を離れる山籠りと、男を追い出して家内に籠る場合と二通りあり、新嘗の夜は、後者に相当し、3月3日は前者に相当しているのである。
また戸外の物忌みは、3月3日のほかにも4月8日と7月7日の七夕があげられている。
民俗行事としては、いずれも女子たちが、弁当をもって、山野あるいは川辺に行き、むしろを敷いて煮たきをして、1日楽しく過ごすものであり、それらのルーツは、折口の巫女論に還元されるべきものだった。
  ここで注目する5月5日は、女だけが家内に籠り、男は家から出払っているものであり、女が家を支配する日ということから、女天下の日ともいった。
「恐らく、五月四日の真夜中から、五日の夜明け迄家に籠つてゐる女の許へ、村の男は神になつて、仮装して訪問して来るのである。女は其を迎へて待遇するのである。換言すると、男は此日田の神になり、女は田の神の巫女となるのである。日本風の考へから、男の訪問に先立つて、禊ぎが厳重に行はれた。此禊ぎが、端午に日の水を浴びて穢れを流す方式と結び付いた。(中略)五月中の田植えのはじまる頃なら、何時と限つたことなしに、田の神が女の家に一夜泊つて帰る形をすれば、其でよかつたのである」(前掲書第15巻、64ページ)。
この折口の指摘は、彼の持論である神と巫女の関連をいいながら、近世の風俗の上では、俗人の村の男が、神化して女の許に通う形態に変化している点、また中国風の五月節供の禊祓の意味が、女性と来訪する神との関係で強化され、ここに日本化したモデルが成立している点をとらえている。

…後略…

(『ヒメの民俗学』宮田登 ちくま学芸文庫 2000年)
 巻第十四 3386

 鳰鳥(にほどり)の葛飾早稲を饗(にへ)すとも、そのかなしきを、外(と)に立てめやも

今日は、新嘗(にいなめ)だ。それで人を払(はろ)うて、神様に、葛飾の早稲をお供え申しているのだ。
(誰も内へ入れることは出来ない、)としても、あの可愛いお方をじっと、表に立たして置こうか。
(『口訳万葉集(下)』折口信夫 岩波現代文庫 2017年)
巻第十四 3460

 誰(たれ)ぞこの家(や)の戸おそぶる。新嘗(にふなみ)に吾が夫(せ)をやりて、斎(いは)ふこの戸(と)

誰だ。この内の戸を押してあけようとするのは。今日は新嘗祭りのために、家中はすっかり、吾が檀那(だんな)までも外へ行かして、私が慎んで、籠っている家の戸を、叩くのは誰だ。
(『口訳万葉集(下)』折口信夫 岩波現代文庫 2017年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カワラヒワに出会っていました。
私は、野鳥の撮影をあきらめて木や草の花、虫たちなどを写しています。

帰宅後、しばらくして叔父が来てくれました。
5月5日は、祖母の命日です。
手土産に粽と柏餅をもってきてくれました(*´▽`*)
1時間ほどして叔母と従妹も来てくれました。
コロナ禍の3年間、揃って集まることができませんでした。

5月5日は、母の誕生日でもあります。
我が家では、誕生日を祝うということがなくなりました。