2023年5月21日日曜日

汗をかくようになりました

今朝の暑さに汗をかきました(^^;
二つ並んで赤くて美味しそうに見えるけど猛毒です。
実の形から「ヒョウタンボク(別名キンギンボク)
明日は、暑さのうえに黄砂まで…

各地で夏日 熱中症に注意 今夜から広範囲で黄砂飛来か 注意を」(NHK)
クリの雌花が咲いていました。

第5章 花
 ●花のにおいと昆虫


…前略…

 ちなみに、クリの花からは独特のにおいがします。
クリはブナ科の植物ですが、ブナ科の多くは、雄花序がシッポのように長く垂れ下がって目立たない色をしているので、風媒の植物です。
しかし、クリの雄花序は上向きについており、色も黄色から白色と目立ち、強いにおいも出し、また蜜も出すことから虫媒とされています。
 ブナ科やヤナギ科の植物は、同じ科でも風媒花と虫媒花の両方の種類を含んでいます。
例えば、ブナ科のブナやカシ(コナラ属植物)、あるいはヤナギ科のポプラなどの花は風媒の特徴を持っていますが、それに対して、ブナ科のクリやシイ(スダジイ)、あるいはヤナギ類では虫媒の特徴を持っています。
(『観察する目が変わる 植物学入門』矢野興一 ベレ出版 2012年)
 山と蛇

 稲妻の光にも似て、一瞬に眼前から消え去る蛇、「蛇行(だこう)」の語によって表現される緩やかな蛇の動き、自分の身体のうえに自分の身体をかさねて、じっと動かない、いかにもくつろいでいるかのように見えるトグロを巻く蛇など、蛇の姿態はさまざまである。
 それらのなかのどれに蛇の正位を見るかは、民族によって異なるが、古代日本人はそのトグロを巻く姿にもっとも厳粛な蛇を見、円錐(えんすい)形の山やまをそれに見立てて信仰したようである。
後述するように、秀麗な円錐形の神奈備山(かんなびやま)は神蛇山と解読されるが、古代日本人の目には、それは、取りもなおさず、祖先神の蛇がずっしりとトグロを巻いている姿として映ったのである。
(『日本人の死生観 蛇 転生する祖先神』吉野裕子 河出書房新社 2015年)
 奈良・三輪の地には、古来、明神の巳(みい)さんが三輪山を七巻き半している、という伝承があるが、それはつまり、三輪の山容にトグロを巻く蛇を連想していた証拠である。
 しかし、このトグロは、蛇にとってけっして、「寛(くつろ)いでいる姿勢ではなく、敵を攻撃しやすい体勢」(高田栄一氏)なのである。
それはまさに行動に移ろうとする蛇の前段階の姿勢といえようか。
静止のなかに動きを秘めた体位であって、そこに蛇の真髄(しんずい)を見た彼らの感性をわたしたちは重視すべきであろう。
 家屋と蛇

 縄文時代の円形竪穴住居にも古代日本人は、トグロを巻く蛇の姿を見た。
その内側は蛇の胎内という意識があって、家屋は神聖な祭場でもあった。
屋根を地上にまで葺(ふ)きおろした円錐形状の家屋は、はるか後代まで産屋(うぶや)、祭りのカリヤ(グロ)の形で残存した。
 蛇の胎内としての円錐形の仮屋は、後述するように、人の生誕にも、祖神の顕現にも、人生途上における折目節目の脱皮新生の呪術においても、すべて必要不可欠な呪物だったのである。
 蛇の古名――神は蛇身(カミ)

『古語拾遺』(807年)に、「古語に大蛇を羽羽(はは)といふ」と記されている。
 いっぽう、『和名抄』は、「蟒蛇(うはばみ)」を「夜方加加智(やまかかち)」と訓(よ)み、『重修本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』にも、「ウハバミは一名、ヤマカガチ・オホヘビ・ヲカバミ、本邦の大蛇の名」と見えている。
「カカチ」「カガチ」は、「ハハ」と同じく蛇の古名であった。
「カカチ」の「チ」は、霊格を表わす語とされている。
そこでこの「チ」をはずせば、「カカチ」の中枢は「カカ」となる。
 おそらく「カカ」は、「ハハ」以前の大蛇の名称であって、子音転換によって「カカ」から「ハハ」に移行したものであろう。
この種の交替は、クナドノ神→フナドノ神、鱗(コケ)→雲脂(フケ)、などの類例がある。
 さらに「カカ」「ハハ」は、それぞれ「カ」「ハ」の畳語であって、それらの原語は「カ」「ハ」と推測される。
沖縄宮古(みやこ)では蛇を「パウ」といっている。
 舟の竜骨(りゅうこつ<キール>)を、古語に「カハラ」というが、それは「蛇腹(カハラ)」であって、「カ」は蛇のもっとも古いことばと思われるのである。
「屍(カバネ)」もおそらく「蛇骨(カホネ)」の転訛であろう。
 ところで、「神(カミ)」の古形は「カム」、「身(ミ)」の古形は「ム」である(『岩波古語辞典』)。
それならば、神(カム)=蛇身(カム)=蛇身(カミ)=蛇(ハミ)となり、いっぽう「カチ」「カヂ」は、「カガチ」より古い蛇の名称であろう。
 神すなわち蛇身と推測したが、これは神話の内容からも推測できる。
つまり『古事記』のよれば、神武天皇の后(きさき)イスケヨリ姫は、美和の大物主神(おおものぬしのかみ)の子ゆえ、神の御子であると、ということになっている。
三輪山の神は名だたる蛇神であって、同様の表現は、大田田根子(おおたたねこ)の出自においても用いられている。
蛇の子孫をことさらに神の子という以上、神すなわち蛇と解されるのである。
 また神が蛇身(カミ)であるならば、その顕現、影向(ようごう)を願って、神への至上の手向(たむ)けは、当然、その蛇身を象(かたど)るものとなるはずである。
  ところで日本において神への手向けは、古代から長い繊維の「木綿幣(ゆうしで)」ときまっている。
大滝晴子氏のご教示によれば、木綿の繊維の原料は「楮(こうぞ)」であり、楮は「梶(かじ)」のことである。
 楮の原名は「カカソ」。
ここに蛇の古名が「カカ」であることを考えあわせれば、「カカソ」とは「蛇麻(カカソ)」である。
 いっぽう、「カヂ」は、前述のように「カガチ」と同様に蛇のことだから、「楮」すなわち「梶」となる。
このように名実ともに蛇を潜在させている木綿幣が、神への至上の手向けであるならば、それを手向けられる神は、まさに蛇身として推測されるのである。
 なお、梶の葉模様は蛇身として名高い諏訪明神の神衣の紋様であり(拙著『』参照)、また七夕の織姫への手向けも梶の葉である。
 古代日本人は、蛇の姿そのものに神聖性を見、これを信仰した。
先述のように円錐形の山、家屋にトグロを巻く蛇を見、そのほか樹木、川、道、風にいたるまで、この世の森羅万象を蛇の姿に擬(なぞら)えてこれらを崇拝、信仰し、あるいは祭場とした。
 このような具体的、即物的な信仰心をよく表現する仮説、「神(カミ)=蛇身(カミ)」は、それなりの正当性をもつものではなかろうか。
 日本人の死生観へ

 日本人にとって「神」とは何か。
その問いに答え、その神を把握することなしに古代日本人の死生観、世界観、ひいては日本人そのものをもとらえることはできない。
 他界を領するものが神であり、その神が蛇であることが明らかになれば、古代日本人の「死生観」も、自然にそのたしかな姿をわたしたちの前に展開してくれるのである。
(『日本人の死生観 蛇 転生する祖先神』吉野裕子 河出書房新社 2015年)
今朝の父の一枚です(^^)/
実が熟すると母と一緒に飛ばして遊んでいました。
セイヨウボダイジュだと思うのですが、また、別の機会に紹介したいと思います。

 シロツメクサ Trifolium repens

…前略…

 クローバー類は蜜源植物としても重要で、特にホワイト・クローバーの蜜は蜂蜜の中でも高級品扱いされる。
四つ葉のクローバー探しも楽しいが、昔は、女の子達がホワイト・クローバーの花摘みをして花輪を作って遊ぶ光景が見られたものだ。
今の子供達は、そのような遊びを知っているだろうか。
レンゲソウっといい、シロツメクサといい、春の野辺には、このような遊びを恵んでくれる野の花々が数々ある。
自然を友とするこのような遊びが、失われつつあるのを寂しがるのは、年寄りのノスタルジーかもしれないが、惜しい気がする。
 野生化した帰化植物の中で、これほど恵みを与えてくれる植物もないだろう。
四つ葉でなくとも、やはり幸せをもたらす植物と云いたい。
(『柳宗民の雑草ノオト』 毎日新聞社 2002年)