
29日、梅雨が明けた沖縄に続いて
「鹿児島 奄美地方が梅雨明け 西日本中心に2日にかけ大雨おそれ」(NHK)
大阪は、去年、6月27日頃でしたが
「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):近畿」(気象庁)
雨がポツポツ降ったり止んだりの梅雨空でした。
ニチニチソウがこんな隙間で生長しているとビックリしました(°0°)
6月28日以来の公園なのですが、セミの声を聞きました。
瀬戸内晴美時代に書いた『花芯』(1958年)は、ポルノだと批判されたうえに5年間も干されてしまった。
数年前に発表された石原慎太郎の『太陽の季節』は、芥川賞(34回 1955年下半期)を受賞しました。
この違いはなんなんでしょうね……「皇室典範改正案 養子の男の子に皇位継承資格 審議で論点に」(NHK)
〝中曽根元外相「言葉適切でなかったと反省」愛子さまめぐる発言〟(NHK 6月29日)
この方は、「憲法改正実現本部長」なんですよね…
何故、男系男子でなければ天皇になれないのでしょうか?
「天皇皇后両陛下 オランダ訪問終え ベルギーに到着」(NHK 6月20日)
天皇皇后両陛下を出迎えられたエリザベート王女は、将来、ベルギー女王になられます。
(ベルギーでは1991年に憲法が改正され、男女の区別なく長子が次期君主になると決まった)
「諸外国の王位継承制度」(国立国会図書館デジタルコレクション)「中曽根」で検索すると息子の引き起こしたパーティーのこともネットで出ているのですが
父(祖父)である中曽根康弘に「キミらみたいなのは海軍魂を知らんだろうな」と言われたときに
美輪明宏さんが返した言葉が痛快です。
ここには転記しませんが知らないひとは、「美輪明宏(丸山明宏) 中曽根康弘」等で検索してみてください。
衆議院での質疑が掲載されています。
〝「海軍航空基地第二設営班資料」と慰安所開設における中曽根元総理の「取計」に関する質問主意書〟(衆議院 平成25年5月26日提出)
私の知っている自民党は、いろんな考えや立場の方がおられた
自民党の矜持を持っておられる方だと思う岩屋毅議員について一水会が投稿していました。 「交響曲第二番〝地獄〟」つづき
そんな中へ、お父ちゃんが帰って来ました。
浦上へ集金に行くのをさぼって、反対の方角の茂木の方へ自転車で一人、釣りに行く途中だったそうで助かったのです。
「空襲警報解除!」
誰かかが怒鳴りました。
「また、来るかもしれんな。今度、やられたら、もう終(しま)いばい。今のうちに田手原に逃げよう」
お父ちゃんに言われて僕達は外へ出ました。
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年) 外へ出ると、何かいつもと違って見晴らしがよくなっているようです。
気がつくと、目の前の、戦前は中華料理屋だった高い建物が、ぺちゃんこになっています。
そこは大きなコンクリート造りだったせいか、三菱(みつびし)の女子挺身隊の寮になっていたのです。
男の人達がトビ口で掘り起こしています。
全員の半分が作業に出て、半分居残っていたのだそうです。
「おや、ここにも潰れとる」
あちこちで、そう言いながら、せっせと掘ります。
微(かす)かな息のある女学生達は皆、
「お母さん」と言っています。 僕達は、それを横目に見ながら、家へ向かって走り出しました。
むかしカフェーだったので、一面ガラス張りだった玄関は、ふっ飛んでガラスも何もありません。
廊下はガラスが板の上に隙間(すきま)もなく直角に突きささっているので針山のようです。
必死とはいえ、よく、こんな針山を裸足(はだし)で踏んで逃げたものだと今更ながら吃驚します。
今度は板を渡して部屋に入り、清ちゃんが一先(ひとま)ず当座入用のものだけを手早くまとめ、皆で背負ったり、担いだり、自転車の荷台に乗せたりで外へ出ました。 田手原村へ逃げる道すがら、何度も振り返ると、ネロが放火したローマ市のように天を焦がして長崎の街は燃え続けています。
(浦上の丸山家はどうなったかしらん。お祖母ちゃんやおばさんや、従兄<いとこ>や友達、皆、どうしたのかしら)
僕は初めて不安な気持ちになりました。 郊外の坂道は逃げ行く人々が右往左往で混雑しています。
その中で、近所の下宿屋のお姉さんが、座りもせず中腰の変な格好で、ぼんやり魂が抜けたように燃える街を見下ろしています。
傍には、リヤカーが置いてあり、中には枕(まくら)が一つと本が一冊だけ、ポツンと乗っていました。
両わきには、下宿していた学生が二人、これもぼんやり半裸のまま石段に腰かけて遠い炎の街を眺めています。 「どうか死なせてくれまっしぇ! 離してくれまっしぇ! この子ば死なせて、私ばっかり生きちゃおれんとです。戦地に行っとる主人に申し訳なかです。この子は初めての子供です。どうか私も……」
その大きな声に振り向くと、女の人が巡査さんや二、三人の人に掴(つか)まえられて叫んでいます。
下には莚(むしろ)が被せてあり、赤ちゃんの死骸(しがい)が手だけのぞいてます。 そばのお祖母さんが話しているのを聞くと、新婚後、間もなく夫は出征し、戦地から子供に会うのを楽しみにしていると手紙が来ており、その奥さんは今日買物に行き爆撃に会い、やっと逃げのびて、やれ、よかったと背負った子をおろしたら、赤ちゃんの首がなかったそうなのです。
そう言えば、その女の人の後ろ髪から首、背中は血だらけです。 「馬鹿(ばか)っ、死んで何になるか!」
巡査が、舌を嚙(か)もうとした女の人の口に手を入れて、次にハンカチを丸めて口に押し込みその両手をオンブの紐(ひも)で後ろ手に縛りました。
女の人は縛られたまま、首のない赤ちゃんの上の莚に倒れこみ、転がりながら哭(な)いています。
悲しい長崎。
日本晴れの空一杯を瞬く間に覆ってゆく白煙黒煙に追われて僕達は人の波と幾多の悲劇に躓(つまず)きながら田手原村へ逃げて行きます。
(『紫の履歴書―新装版―』美輪明宏 水書房 2007年)
「海軍魂」は「海軍欺」なんでしょうね。 6月22日(月)と1週間以上も前になるのですが、
父が撮したカワセミです。
ズ~ッと会えなかったので大喜びしていました!(^^)!
「クマ」つづき
秋になりドングリや山ブドウが実ると、それまで草を食べていたクマは、これら栄養価の高い木の実をたっぷり食べるようになる。
そして皮下脂肪をたくわえ、根雪になる前に穴にこもる。
冬ごもりの穴として、ツキノワグマはもっぱら樹洞を利用する。
ヒグマは斜面の土を掘って穴を作る。
この冬ごもりの穴は、同時に産室である。
1~2月にツキノワグマは300~500グラム、ヒグマで500~700グラム、およそ親に似つかわしくない小さな子が平均二頭生まれる。
子は穴の中で授乳され、5月ごろに穴を出る。
急激な開発と乱伐で、クマの住み場はせばまっていく。
とくに樹洞のある大木の減少は、ツキノワグマにとって危機的状況である。
(新妻昭夫)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)











