2025年9月10日水曜日

雨の降らない日が続き

モクレンを見ると花が咲いている
葉を見ると茶色く枯れている
樹木は葉で季節を感じるようだけど
葉が枯れてしまったので冬になり、暖かい(?)春になったと思ったのかな?
今夜から雨が降るようだけど、ほどほどの雨だったらのいいのだけど

西日本・東日本中心 非常に激しい雨のおそれ 土砂災害など警戒」(NHK)
ガガイモの花が咲いていました。

オホクニヌシが出雲の御大(みほ)の岬にいる時、ガガイモの実の殻のような舟に乗って波頭を行く、蛾の皮をそっくり剥いで作った衣服をまとった神がやってき」たのは少名毗古那神(スクナ・ビコナのカミ)
(『古事記』池澤夏樹訳より)

大阪の道修町(どしょうまち)には少彦名(すくなひこな)神社(神農さん)があります。
先日、石清水八幡宮にお参りしましたが、

 第1章 八幡
 ―日本神話に登場しない外来の荒ぶる神


 …前略…

 八幡は外来、韓国の神だった!

 歴史の舞台に突然あらわれ、瞬く間に皇位を左右するまでの力を発揮するようになった八幡という神は、いったいどこから生まれてきたのだろうか。
すでに述べたように、八幡神は、『古事記』『日本書紀』にも登場しない。
(『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』島田裕巳 幻冬舎新書 2013年)
 その問題を考える前に、宇佐八幡宮関係の資料のことについてふれておきたい。
 この本のなかで取り上げる神々という存在は神道の領域に属しているわけだが、神道の世界について述べている資料となると、仏教に比較すれば圧倒的に少ない。
それは、神道という宗教の性格によるところが大きく、とくに時代を遡(さかのぼ)れば遡るほど、信仰の実態を伝えてくれる資料に乏しいのである。
 宇佐の八幡神にかんして、一般によく用いられる資料としては、『宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起(みろくじこんりゅうえんぎ)』と、『八幡宇佐宮託宣集』がある。
前者は、『建立縁起(こんりゅうえんぎ)』あるいは『承和縁起(しょうわえんぎ)』と略され、後者は『託宣集』と略される。
 前者が『承和縁起』と称されるのは、末尾に承和11年6月17日の日付が記されているからである。
承和11年は、西暦で844年にあたる。
書名からすると、宇佐八幡宮の神宮寺である弥勒寺の由来について述べたもののように思えるが、弥勒寺と八幡宮は一体の関係にあり、この資料は宇佐八幡宮の縁起と言ってもいい性格をもっている。
 承和11年の文書そのものは伝わっておらず、15世紀末に宇佐八幡宮から勧請されて生まれた京都の石清水八幡宮の護国寺の検校法印大和尚位准法務僧正奏清(けんぎょうほういんだいかしょういじゅんぽうむそうじょうそうせい)という僧侶によって書写されたものが伝わっている。
 その点で、『承和縁起』の成立年代が問題になるが、承和11年をかなり下るのではないかと考えられている。
ただ、歴史学者・逵日出典(つじひでのり)は、平安初期までには存在していたと述べている(『八幡神と神仏習合』講談社現代新書)。
 もう一つの『託宣集』は、さらに時代が下がり、鎌倉時代末期に成立したものである。
著者は、弥勒寺の学僧であった神吽(しんうん)という人物で、正応(しょうおう)3(1290)年に書きはじめ、正和2(1313)年に書き終えられている。
前後には後の時代の人間による追補があり、16巻本として伝わっている。
『託宣集』は、宇佐八幡宮にかんする旧記や古伝を集めたもので、多くの言い伝えが含まれているが、果たしてそこに記されたことがどの程度、事実を踏まえたものかはたしかでない。
それを用いる場合には、ほかの資料と照合する必要があり、少なくともその記述をそのまま歴史上の事実として認めるわけにはいかない。
 宇佐八幡宮の成立と歴史について、必ずしもはっきりとしたことが分かっているわけではない。
そのため、八幡信仰にかんする解説書では、『承和縁起』や『託宣集』の記述をそのまま採用してしまっているものがあるが、疑わしい部分があることは否定できないのである。
 その点で、八幡神の資料について、注意して扱っていかなければならないのだが、『託宣集』には、八幡神の起源にかんして、「辛国(からくに)の城に、始めて八流の幡(はた)と天降って、吾(われ)は日本の神と成れり」という一文が出てくる。
辛国は韓国のことであり、辛国の城とは朝鮮半島からの渡来人が生活するようになった地域のことをさすと考えられる。
そこに八幡神が天降り、日本の神となったというのである。
ということは、八幡神は日本の固有の神ではなく、外来の神、韓国の神であったことを意味する。

 …つづく…

(『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』島田裕巳 幻冬舎新書 2013年)
最深日本研究 ~外国人博士の目~「鉄道を知りたい
韓国の観光社会学者・安(アン)ウンビョルさんの日本の鉄道の研究が紹介されていました。

指導教授を務めた社会学者の吉見俊哉(しゅんや)教授は、
ウンビョルさんの研究がもたらす社会的な意義について

安さんの研究が明らかにしているのは
実は鉄道は速いだけが取り柄の技術ではないということ
そうではなくて途中のプロセスの価値というものを実は内包していた
それを成長のために、あるいは高速化、
効率化のために切り捨ててしまった
私たち自身の前提というか、価値観というか
これを安さんの研究は、
そうではない可能性を見せてくれることによって
私たち自身、多くの日本人自身の常識に対して
問いを投げかけてくれている


学生の頃など時刻表を見ながら想像するのが楽しかったなぁ!
そばやうどんを食べる余裕があるのはどこの停車駅かとか(^_-)
ダーウィンが来た!「1000年の都 京都生きものワールドご案内!

5月18日に訪ねた法然院の住職である梶田真章(かじたしんしょう)さんは

お寺というのは僧侶が暮らしながら
生きものとのご縁で私たちは暮らしているという感覚を養うための場所
いろんな植物を昔の方が植えたり
鳥が運んできたりして大事に育ててきた
今朝の父の一枚です(^^)/
公園には、雨宿りをする場所がいくつかあります。

 第1章 台風と豪雨のからくり
 世界最大の川は空にある?


 京都の賀茂川(かもがわ)と高野川(たかのがわ)が合流して鴨川(かもがわ)となるところに下鴨(しもがも)神社があります。
神社のある糺の森(ただすのもり)には、鴨長明(かものちょうめい<155頃~1216>)が方丈記(ほうじょうき)をしたためたとされる方丈庵が再現されています。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし」
 この冒頭の一節は、文学的であるだけでなく物理学的でもあり、河の恒常性と無常の両方のイメージをよく表しています。
 河、または川とは、水が集まって流れる路(みち)のことをいいます。
日本で最も長くしかも最も流量の多い川は信濃川(しなのがわ<千曲川(ちくまがわ)>)で、1秒あたり平均およそ500tの水が流れています。
世界で最も長いのはアフリカのナイル川ですが、流れる水の量が最大なのは、南米大陸のアマゾン川です。
その1秒あたりの水の流量はおよそ20万tで、信濃川の400倍です。
 ご存じのように水は気体の水蒸気にもなります。
川を水の路というのであれば、大気中の水蒸気の流れる路を川とよぶこともできそうです。
実際、大気中にはそのような水蒸気の路があって、「大気の河」とよばれます。

 …つづく…

(『天気のからくり』坪木和久 新潮選書 2025年)