まだまだ平年よりも気温が高いですが、35℃を切るとホッとしますね。
これから雨の予報ですが、
「北日本 荒れた天気の見込み 北海道では線状降水帯発生のおそれ」(NHK) わが待ちし秋はきぬらしこのゆふべ草むらごとに虫の声する
【語義】「きぬらし」は「来たと見える」。
【評言】平凡な歌のようで、しかもしみじみと胸にしみ入る力を持った歌である。
「秋来ぬと目にはさやかにみえねども風の音にぞ驚かれぬる」などと比べると遙かに実感味の切実さがある。
「このゆふべ」がよく利いている。
ふと虫の音に心をたおめた刹那の心の動きが「このゆふべ」の一句でピタリと捉えられている。
「このゆふべ」のおかげで「きぬらし」も活きているのである。
「わが待ちし」「草むらごとに」などの表現も吾々では容易に出ない言葉である。
(『良寛和尚歌集』相馬御風編注 岩波文庫 2025年) 彼岸(ひがん)
二十四節気の一つである秋分を中日として、その前後の三日ずつを含めた七日間をいう。
秋分は現行の太陽暦では9月23日ごろ、旧暦では8月になる。
春彼岸が稲作の開始直前という時期であったのに対し、秋彼岸は稲の収穫期ないしはその直前にあたる。
かつて広島県あたりの農家では、春彼岸から1日5回になった食事が秋彼岸の中日から1日4度食に戻り、稲こぎなどの夜なべ仕事がはじまったという。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年) 寺では春彼岸と同様に彼岸会(え)の法要が行われる。
民間でも、春と同じように餅や団子を作って仏壇に供えたり、墓参り・寺参りをする風が一般的である。
しかし、たとえば高知県葉山村では「秋の彼岸は親知らず」といって秋には墓参りをしないというような例もある。
秋田県にみられた盆に類似した先祖迎えの行事も春彼岸のみで、秋には行われない。
春彼岸にのみみられる習俗は、もともと春先の農耕開始期の儀礼であったものが彼岸という特定の期間に定着したものであろう。
地方によっては秋彼岸は農繁期にかかることもあって、行事の密度は概して春彼岸よりも低いが、このころ穂掛け祭りをする例もある。
一方、春彼岸と秋彼岸を対にする儀礼や伝承もある。
熊本県矢部町では、春彼岸にムラの戸主が集まって願立てという豊穣を祈る行事を行ない、秋彼岸に願解きをする。
また南九州各地には、春彼岸にヤマワロ(山童)が山から川に下りてガラッパ(河童)となり、秋彼岸にはふたたび山に帰ってヤマワロとなるという、田の神と山の神との間の交替・去来を思わせる伝承がある。
ただし、農神の去来伝承や収穫儀礼そのものは、彼岸よりもむしろその前後の社日(しゃにち)と結びついていることが多い。 なお、春分・秋分は、明治11(1878)年の太政官達によって春季皇霊祭・秋季皇霊祭という国の祭日に定められた。
皇霊祭は、宮中三殿の一つである皇霊殿において、天皇みずからが歴代の天皇・皇后その他の皇霊を祀る儀礼である。
また第二次大戦後は「国民の祝日に関する法律」(1948年)によって春分の日・秋分の日として国民の祝日となっている。 (小嶋)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)お勧めの番組があります(^^)/
小雪と発酵おばあちゃん「富山・泡を楽しむバタバタ茶」
富山県の朝日町(あさひまち)だけのお茶です。
お茶は発酵のさせ方で種類が分かれているそうです。
発酵させないお茶は、緑茶やほうじ茶。
茶葉に含まれる酵素の力で発酵させるのはウーロン茶や紅茶。
蒸したあとに菌の力で発酵させるのがバタバタ茶やプーアル茶。
後発酵茶(こうはっこうちゃ)と呼ばれています。
お茶の名前は知っていてもこのような違いがあるとは知らなかったです(^^ゞ
バタバタ茶の効能について研究して入る森脇真希助教(富山大学)によると
「今、分かってる範囲だと女性ホルモン エストロゲン作用があって
おばあちゃんたち元気なのはそのせいかなと」
エストロゲンとは女性ホルモンの一つで肌のハリを保ったり血管や骨の老化を防ぐ働きがあるそうです。
森脇先生の研究によるとバタバタ茶にはエストロゲンと似た作用があることが分かっています。
このバタバタ茶については、図書館に本があったので、後日、紹介したいと思います。
再放送が明日
明日、9月21日(日)午後6時から6時30分ありますよ(^^)/
「テントが消え、道路が現れた 変貌するガザ 衛星画像は語る」(NHK 9月19日)
次の報告を読むと、何故、ネタニヤフが戦争を止められないのか、またイスラエル軍の現状を知ることができます。
その一部を転記しますφ(.. )
ガザ 狙われるジャーナリストたち
──市民社会の抵抗はいま
川上泰徳
8月、イスラエル軍の攻撃により、アルジャジーラの記者ら6人が殺害された。
<10・7>以後、ガザで命を落としたジャーナリストの数は、泥沼のイラク戦争をも上回る。
攻撃の背景、飢餓のただ中でのガザ市民たちによる抵抗の現在を報告する。
(『世界 2025年10月号』岩波書店) イスラエル軍によるガザ攻撃が始まって22カ月。
この間6万2000人が死亡し、うち1万8000人が子供という惨状である。
今年3月初めからガザは完全封鎖され、食料の搬入が止まった。
220万人が飢餓状態に置かれ、ガザ保健省は8月22日時点で飢餓と栄養失調で273人が死亡した(うち112人が子供)と集計している。 英国、フランス、カナダなど、「イスラエルの自衛権」を支持してきた〝友好国〟が、ガザの人道状況が悪化する中で、イスラエル批判に転じた。
しかし、ネタニヤフ政権は批判に挑戦するかのように、8月8日に「ガザ市の制圧」を閣議決定した。
ネタニヤフ首相は制圧地域をガザ全土に広げ、最終的には住民を最南部のラファにつくる「人道都市」に強制退避させる計画を打ち出している。
21世紀の強制収容所である。 狙われたメディア用テント(省略)
パレスチナ民衆にとってのハマス(省略)
市民社会の抵抗の様相(省略)
離れゆく軍と国民
8月27日現在、エジプト、カタールによる仲介作業が進むイスラエルとハマスの「停戦」が実現したとしても、1月の停戦合意をイスラエルが一方的に破棄して攻撃を再開したように、ネタニヤフ首相が自分から「戦争終結」に進むことはないだろう。
ガザの全住民排除を唱える極右政党に連立存続の決定権を握られ、自らは汚職などの刑事被告人であり、「戦争終結」は政治生命の終わりとなる。
…中略… 疲弊するイスラエル軍
「ハマスの戦闘指揮系統は破綻している」というのがイスラエル軍の評価である。
それでもハマスの抗戦は続いている。
戦闘員は総延長500キロのトンネルに隠れ、交戦を続け、地下を移動し、ビルが崩れて瓦礫の中にある出口から、イスラエル軍を監視し、軍車両の通り道に手作りの爆弾を仕掛け、車両を爆破し、さらに銃撃する。
そんな作戦映像が、カッサーム軍団のサイトで流れている。
ハアレツ紙は今年5月、イスラエル空軍による4万回以上の空爆の結果、ガザには3000発の不発弾が残り、カッサーム軍団は不発弾から爆発物を取り出していると報じた。
実際に軍団の映像にはバケツに蓋をしたような爆弾を運ぶ戦闘員の姿が出てくる。
(「シタベニハゴロモ」 倉敷昆虫館)
6月下旬、イスラエルの装甲車が爆破され、兵士7人が死んだ攻撃の後、イスラエル紙マアリブのウェブサイトに装甲車を襲撃するカッサーム軍団の映像が掲示された。
記事では「ネタニヤフ首相とカッツ国防相は現実から乖離している。兵士たちは疲弊し、連立政権を維持するために、『先が見えない戦争』を戦い続けている」と政治の責任を批判していた。
圧倒的優位に見えるイスラエル軍だが、兵士たちはトンネルと瓦礫に潜むハマスの影におびえ、余裕のない疲弊状態で前線に立っていることが想像できる。記事では「ネタニヤフ首相とカッツ国防相は現実から乖離している。兵士たちは疲弊し、連立政権を維持するために、『先が見えない戦争』を戦い続けている」と政治の責任を批判していた。
今後、ガザ市制圧の軍事行動では、巨大爆弾が使えず、戦車さえ有効ではない。
そこで捨て身のゲリラ戦を受ければ、疑心暗鬼になったイスラエル軍がさらに民間人への無差別殺戮に向かうおそれがある。 カッサーム軍団の抗戦は、もはやハマスという組織の戦いではなく、ガザ市民の「抵抗」と連動し、民衆の総力戦となっていると考えるべきである。
市民はイスラエル軍の目的は「全住民の排除」だと考えている。
この22カ月、米国をはじめとする国際社会がイスラエルの軍事行動をなんら制止できなかったことで、「ハマスの降伏」や「武装解除」は戦争終結を保障しなくなった。
9月、世界の指導者が国連総会に会する機会に、ガザの悲劇を止める措置をとらなければ、私たちは史上最悪の人道的惨事を目にすることになりかねない。
(かわかみ・やすのり 中東ジャーナリスト)
(『世界 2025年10月号』岩波書店)イスラエルの若者たちは、人質を解放するのだと世界中からイスラエル軍に参加しました。
しかし、パレスチナの子どもや女性、老人を無差別に殺しているのを目撃するだけでなく自ら殺戮する立場になる。
ヤド・ヴァシェム記念館(ホロコースト博物館)で学んだナチスと同じ残虐行為をしている。
「イスラエル兵 PTSD」や「イスラエル兵 自殺」などで検索すると
「イスラエル国防省は14日、パレスチナ自治区ガザでの戦闘開始後、2万人以上のイスラエル兵が治療を受けており、うち半数を超える1万人以上に心的外傷後ストレス障害(PTSD)といった心理的症状があると発表した」(産経新聞 9月15日)
などという記事を読むことができます。
朝ドラ「あんぱん」でのぶが日本の正義を信じ、子どもたちを教えていたことで重い十字架を背負いました。
岩男がリン・シュエリャン少年と過ごす中でPTSDからの回復をはかっていたのではないでしょうか。
リン少年に殺されることでPTSDの苦しみから解放されたというのは言い過ぎでしょうか。
今朝の父の一枚です(^^)/
父も彼岸花を撮していました。
暑さ寒さも彼岸まで
■暑さ寒さも彼岸ぎり
■暑い寒いも彼岸まで
■寒さの果(はて)も彼岸ぎり
残暑も秋の彼岸頃になればしのぎやすくなるし、余寒の厳しさも春の彼岸頃になれば和らぐこと。
「彼岸」は、もともとは春分の秋分の日を中日として行なわれる仏事「彼岸会(ひがんえ)」のこと。
のちに、この期間の七日間を言うようになった。
このことわざの言うところは気象学の観点から見ても大体当っているようだ。
しかし、気象上の事実を表現している以上に、暑さ寒さに苦しむ人々を慰め癒(いや)すことわざとして使われてきた。
異表現も含めて江戸時代の使用頻度は高くはない。
見出し形は簡潔な表現ということもあって、今日、常用されている。
(『岩波ことわざ辞典』時田昌瑞 岩波書店 2000年)