朝、戸を開けるとほんの少し涼しい
夕方、スーパーの駐車場に車を止めると
影が長くなっていて日の入りがはやくなっている。
昨日から公園では、クズの花の甘い香りに気がつきました。
これから台風の季節
「熱帯低気圧 今夜遅くに台風に発達する見込み 最新情報の確認を」(NHK)先日、黄檗山萬福寺を訪ねた時に田上菊舎の句碑がありました。
月を笠(かさ)に着て遊ばゞや旅のそら 田上菊舎(たがみきくしゃ)
江戸後期の女流俳人。
父は長府(山口県)藩士だった。
若くして寡婦となり、やがて尼になる。
詩・書・画また茶や琴にも一家をなした才女らしい。
各地への旅もよくした。
茶で有名な宇治の中国風の禅寺万福寺での作、「山門を出れば日本ぞ茶摘みうた」はよく知られるが、この句のような作の方が味はこまやかである。
夫に死なれ、大旅行を思いたった二十八歳当時の作だという。
大らかなひろがりの中に新生の意志がこもり、風格のある句だ。
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)田上菊舎(1753-1826)
俳人。長府藩士田上由永の長女。
16歳で村田家に嫁したが、24歳で寡婦となる。
28歳の時剃髪。
その後は女流に前例のない長途の俳行脚の日を送った。
書画、茶道、琴をよくした。
還暦の自賀撰集に『手折菊』。
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)今でこそ女性の一人旅は珍しくありませんが
第二部 女旅日記からみえる近世 -おんながえがいた近世点景-
第三章 女旅日記からみえるもの-まとめにかえて-
【人の情け】
五街道をはずれた地方の旅では、何かと不自由なことが多い。
とくに一夜の宿を見出せないときの宿の提供は有難い。
…中略…
一人旅をする長門の田上菊舎が見知らぬ人々に温かい親切を受けたのは、一度や二度ではない。
京都で行われる芭蕉の百年忌に参加するために、周防の三田尻から船に乗り瀬戸内海を上ったが、風向きが悪く、追風を待っていては法会に間に合わないかもしれないと、備前の下津井で船を離れ、徒歩で陸路を行くことにした。
播磨の片島で上品なやさしそうな人に出会い、一夜の宿を願ったが断られた。
(『近世の女旅日記事典』柴桂子 東京堂出版 2005年)「日は山の端に 入相も過 鳥さへおのが寝ぐらをを定め 我はいづこに野宿せん」と心細く思っていたところに、六〇歳ほどの男が「いかで立迷ふぞ」と声をかけてきたので理由を話すと、今宵の宿を世話しようと今市村へ連れ帰り、とある家に案内した。
その家は妻はなく、一〇歳ばかりの少女と親子二人暮しであった。
庭には桃、桜、梨、山吹が咲きそろい、「おぼろ景色の白妙なるに 彼佐野ゝやどりの古へも斯やあらん」と、その昔北条時頼が借りた上野の佐野の宿も、このようであったのではと思われる物静かな居心地のよい家であった。
先ず笠も脱ぎこゝろよし花の雪
見かけによらじ心のはなの宿 (「首途」)
親子のいたわりは一かたではなく、翌朝は娘に半里ほど送られ姫路へ向かった。
(『近世の女旅日記事典』柴桂子 東京堂出版 2005年)三度目の黄檗山萬福寺訪問でやっと韋駄天さまに出会うことができましたが、
ある像のお姿にイメージが違いすぎて結び付かなかったことがあります。
夢枕獏さんもビックリされていました(^_-)
黄檗宗あれこれのこと 夢枕獏
(一)
黄檗宗萬福寺(おうばくしゅうまんぷくじ)と言えば、承応3年(1654)に、中国から弟子二〇人を連れてやってきた隠元(いんげん)禅師が開いた、禅宗系の寺である。
大陸から日本へ入ってきた仏教ということで言えば、一番新しい宗教である。
日本へ来られた時、隠元禅師は六十三歳。
すでに我が国は鎖国状態にあった。
鎖国の本来の目的は、キリスト教の流入を防ぐためにあったとはいえ、新宗教を、日本の地に根づかせるために、たいへんな苦労があったであろうことは、充分に想像できる。
隠元禅師がこの日本に持ち込んだものの中には、新しい仏教のみではなく、新しい音楽や、普茶(ふちゃ)料理と呼ばれる精進料理がある。
木魚もそうだ。
一般に知られているもので言えば、インゲンマメがそうである。
隠元禅師が持ち込んだから、この名がついた。
(『新版 古寺巡礼 京都 第19巻 萬福寺』梅原猛:監修、仙石泰山、夢枕獏:執筆 淡光社 平成20年) ぼくが、初めて萬福寺へいったのは、三〇数年前である。
この時、何より驚いたのは、天王殿で見た弥勒菩薩(みろくぼさつ)である。
普通、我々が知っている弥勒菩薩と言えば、京都は広隆寺におわします、あの、ほっそりとした優美な姿態の半跏思惟(はんかしゆい)像である。
サンスクリット語でマイトレーヤと呼ばれる未来仏で、五十六億七千万年後に、我々を救うために兜率天(とそつてん)よりこの地上に降りていらっしゃる方である。 しかし、この萬福寺にいらっしゃる弥勒菩薩は、少しも優美なお姿をしていらっしゃらない。
どでんと片膝を立ててお座りになっておられ、ぷっくりとした太鼓腹を、惜し気もなく人前にさらし、そのふくよかなお貌(かお)で、呵々大笑(かかたいしょう)しておられるのである。
うちわを持たせれば、
(そう言えば、夏になると、こんな親父近所にいたよなあ)
と思わせる方なのである。
色々訊ねてみたら、これは、皆もよく知っているあの布袋様(ほていさま)であり、実はこの布袋様、弥勒菩薩の化身であるとか。 ああ、なるほどなあ、あちらの優美な弥勒様だったら、五十六億七千万年待たなくちゃいけない。
そんな気の遠くなるような時間だったら、だいたい、太陽が燃えつきる頃であり、太陽が膨張して大きくなり、焼けただれたこの地上にはもう生きている生物はいないであろう。
そんなところへやってきたって、もう遅いじゃないの――そんな心配をしてしまうところである。 いったい、我々はどうすればよいのか――と困っているところへ、
「このわしがおるがな」
とやってきた近所のおっさん、といった風のお姿をしているのが、この布袋様なのである。
「心配せんでええ、このわしがみいんな助けてやるがな」
大笑されているそのお貌を見ているうちに、そんな声さえ聴こえてきそうなのである。
ははあ、なるほど――仏教のおもしろさや深さを、ぼくに教えてくれたのが、この弥勒菩薩であり、布袋様であったのである。
(『新版 古寺巡礼 京都 第19巻 萬福寺』梅原猛:監修、仙石泰山、夢枕獏:執筆 淡光社 平成20年)今朝の父の一枚です(^^)/
「近畿 統計開始以来最も早い梅雨入りと梅雨明けに 気象庁発表」(関西NHK)
梅雨の時期が短くてほとんど雨が降りませんでした。
明日の予報は、雨ですが少々の雨が降ってもおいつかないほど乾燥しています。
かと思うと
「関東で夕方から夜にかけ線状降水帯発生のおそれ 厳重警戒を」(NHK)
小さな島国なのにこの違いは……
序章 天変地異とは何か
日本列島はなぜ災害が多いのか
日本に住んでいるわれわれは、ともすれば、どうしてこの国はこんなに災害が多いんだ、と考えてしまいがちです。
たしかに地震や台風にはひっきりなしに見舞われている気もしますが、本当に日本には災害がおおいのでしょうか。
人間は心理的な印象に強く左右されがちですので、自分が住んでいる国だからそうした印象を抱いているにすぎないということはないでしょうか。
この問題を考えるために、日本列島のおかれた地理的な位置を考えてみます。
日本列島は南北に2500kmも延びた弓状の島の列で、地勢的にはアジアから太平洋に張り出した防波堤のような役割をしています。
この長さは、地球の半径6400kmのじつに3分の1以上を占めています。
そのため気候帯としては、亜熱帯から亜寒帯にまでわたっています。
そうしたことからさまざまな植物や動物が棲息し、山や湖などの景観も変化に富んでいて、風光明媚(ふうこうめいび)な国となっています。
しかし、「美しい花には棘(とげ)がある」ともいうように、日本では有史以来、大きな災害が頻発していることは事実です。
では、それはほかの国と比べても多いのでしょうか。
以下に述べるように、それは、地形・地質的な配列からの必然なのです。
…つづく…
(『天変地異の地球学』藤岡換太郎 ブルーバックス 2022年)