2026年4月1日水曜日

新年度が始まりました

春に三日の晴れなし」の諺があるように
新年度の始まりも雨でした。
そろそろ咲いているかなと見ると咲いていた!
地獄の釜の蓋」とか「医者殺し(医者いらず)」の別名があります。

先月で終わった朝ドラ「ばけばけ」でヘブンがよく「ジゴク」と言っていたけど
この薬草があれば蓋をしてくれたかな(^_-)
 この花を見ていると獅子舞を連想します。

2026 南京町 春節祭」(2月17日/21~23日)

先日、神戸の元町を散歩しましたが、
朝ドラ「ばけばけ」では神戸でのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が描かれていませんでした。
SNSを見ていると「史実」云々の書き込みをよく見かけますが
ドラマとドキュメントを一緒くたにしていると思います。
ラフカディオ・ハーンの人生で何を描きたいのか
今回の朝ドラ「ばけばけ」は、小泉セツの『思ひ出の記』をもとに描いていたと思います。
その主題がぶれることなく描かれていたと思います。
ラフカディオ・ハーンについて調べると興味深いことがいっぱいあります。
神戸でのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について書かれていたのが

 第5章 神戸ゆかりの外国人群像 
          崎山昌廣(神戸学院大学客員教授、前神戸市立博物館副館長) 
 日本を愛した二人の文人


「ジャポニスム」と呼ばれ、日本の浮世絵や陶磁器の絵柄などが19世紀後半の西欧の画家や文学者たちに新鮮な強い刺激を与え、たとえばフランス印象派絵画の誕生と密接な関係があるのだが、それがちょうど日本の文明開化期と重なり合う。
「文明開化」といえば、先生は欧米人、日本人は生徒……といった一方通行の図式で考えられがちだが、決してそうではなく、文化の相互交流があったのである。
事実、開港後の神戸港からの欧米向け輸出品でもかなりの量を版画、陶磁器や日本趣味の各種製品が占めていた。
(『神戸と居留地 多文化共生都市の原像』神戸外国人居留地研究会編 神戸新聞総合出版センター 2005年)
 開国によって、それまではベールに包まれていた日本の内情や独特の文化、風習なども少しずつ知られるようになった。
そうなるともっと詳しく知りたくなる。
日本文化への関心や憧憬の念に駆られて来日する欧米人が増えてきた。
居留地の貿易商らとまったく異なるタイプであり、ここでは神戸ゆかりの二人の文人を取り上げてみたい。
 ギリシャ生まれの英国人ラフカディオ・ハーンは、1890(明治23)年に40歳で来日した。
松江中学の英語教師をしている間に、神話と伝説の国に深く魅せられ、それが後に『怪談』や『東の国より』『心』などの名作を生む素地となった。
生涯の伴侶、小泉セツと巡り会えたのも松江であった。
その意味では、ハーンといえば松江……となるのは当然といえば当然かも知れない。
 しかし、温暖の地で生まれ、暮らし続けてきたハーンには日本海側の出雲の厳しい寒さが耐え切れず、松江在住は一年三カ月の短期間に過ぎなかった。
熊本の旧制五高で3年間教えた後、1894(明治27)年秋、神戸に移り住んで、東京帝国大学で職を得るまで、神戸在住は2年近くに及んだのである。
 神戸では居留地にあった英字新聞「コウベ・クロニクル」の論説記者になり、月給は五高の半額だったというが、水を得た魚のようにコラムを書きまくった。
ハーンは本来ジャーナリストで、米国南部のニューオーリンズなどで長く新聞記者をしていて、来日の最初の目的も旅行記を書くためだった。
本業に戻った気分で張り切りすぎたせいか眼病を患って執筆不能になり、わずか四カ月で退社のやむなきに至る。
しかし彼が執筆した数々の論説を読むと、『怪談』の作家とはまた違う、もう一つのハーン像を発見できる。
客観的で透徹した批判精神と感受性豊かで鋭い表現力を持つジャーナリストのそれである。
「外国勢力の後退」というコラム(恒文社刊『ハーン著作集・第五巻』所収)がある。
日本が日清戦争で勝ち進む中で居留地返還につながる条約改正に成功した時点のもので、当時の国際情勢と日本の立場とか、居留地の欧米人たちの微妙な感情を的確冷静に捉えていて非常に興味深い。
   古くから日本に住んでいる外国人が次のように言うのを最近耳にした。「いいかね、君。この戦争の後、日本人は非常に生意気になるから、彼らと仲良く付き合うことはできなくなるだろう」。彼の言葉は他の大勢の外国人の考えを表している……(彼の)言葉が全く間違っているとは言えないと思う。清国を征服した後、日本人はこれまでよりはるかに自己主張をするようになるだろう。政治上、およびその他の面で、あらゆる外国の影響力が大幅に後退すると予想できる……(中略は筆者、以下同じ)
 日本はこれまで欧米文明に学び、近代化を進めてきたが、戦勝後は外国の影響力排除にかかるだろうと見抜き、続いてこう論じている。

  しかしながら、筆者はこの傾向を遺憾なこととも憂慮すべきこととも考えていない。日本が完全な独立国の地位を持つことを悔しがり、新たに獲得し、絶えず増大する国家的誇り――国力という意味である――を非難することは、馬鹿らしいほど利己的であろう……日本の工業と商業が新しく大きな弾みを得ることにより、外国人商人は得るものはあっても何も失わないだろうと筆者は確信できるだけである……
 日本は、国力増大で欧米諸国と対等に付き合えるようになる。
それは外国人にとっても決して損にはならないと指摘した上で、最後に皮肉のワサビを効かす。

   一部の愚かな人々は現に西欧に対する日本の忘恩について語っている! それに対して日本はこう言い返すだろう。日本は西欧に対して感謝の念は持っていない。なぜなら感謝する理由がないからである。また正しいにせよ間違っているにせよ、全く逆の感情を持たざるを得ない強い理由がある。日本人は言う、「われわれが西欧から電報、鉄道、学校制度、甲鉄鑑、軍事訓練の考えなどを受け入れたことは確かに真実である。しかしまた、それらに対して多大な支払いをせざるを得なかったことも真実である。西欧は一度として贈り物をしてくれなかった――無料のものは何もなかった」。……外国の侵略に対して自らを守る必要性から、日本が間接的に手に入れたさまざまな利益について日本の感情がいかなるものかは、全く別の問題である。日本これらのものに対して十分に感謝しているし、これからも感謝し続けるだろう。
 近代世界史の文脈の中に日本近代化を的確に位置づけ、さらに国力増大に伴う排外傾向まで鋭敏に予測しており、1世紀以上経た今日の世界の中の日本にも当てはまるような指摘が少なからずあるのには驚かされる。
 もっとも「コウベ・クロニクル」の主読者は居留地の欧米人だから、「愚かな人々」と皮肉られた彼らの苦虫を噛み潰したような顔が目に浮ぶようだ。
また条約改正で多くの有利な既得権が失われたことへの彼らの不平不満が高まりつつあった状況も読み取れる。
 ハーンは、これらの論説以外にもいろんな評論で日本の近代化、近代文明受容のあり方について極めて客観的な目を向けている。
これらを読むと、彼は決して単純な日本賛美者ではなく、まして滅び行く古い日本にのみ魅せられた異邦の文人とは違うことが分かる。
 詩人の魂とジャーナリストの目――。
双方が見事に融合された所産としてハーン文学全体は見直されるべきではないか。
神話の国ギリシャと妖精の国アイルランドの混じり合った血が日本の神話・伝承と照応し、世界遍歴と記者修業で培われた透徹した観察眼が神戸で蘇り、ハーン文学の新展開が神戸時代にあったと見ても間違いではあるまい。
 文筆活動の面だけでなく、彼の人生そのものでもこの時期は大きな転機となった。
家族の将来を考えて日本帰化を決意、英国籍を捨てて妻セツの籍に入り、「小泉八雲」と改名したのが神戸時代だったのである。
神戸では2年近くの間に山手界隈で3回も転居、その一つ、下山手通六丁目の中央労働センター前に「小泉八雲旧居跡」の碑が建っている。
 帰化して小泉八雲となった明治29年、東京帝国大学英文科講師に迎えられ神戸を離れたが、東大では解雇通告を突きつけられたりで恵まれなかった。
1904(明治37)年9月26日、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲、心臓病で死去。
享年54歳。
 ハーン離神と入れ違いに、一人のポルトガル人が来神した。
W・デ・モラエスである。

 …後略…

(『神戸と居留地 多文化共生都市の原像』神戸外国人居留地研究会編 神戸新聞総合出版センター 2005年)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と神戸」(神戸・兵庫の郷土史Web研究館)

小泉八雲と神戸」(ひょうご労働図書館)

トキは、石を投げつけられ頭に怪我をしましたが
二人目に紹介されているW・デ・モラエスは、
こよなく愛したヨネの病死」に打ちのめされ、福本ヨネの故郷徳島に移住しました。
徳島では、ヨネの姪コハルと同棲しますが、3年後にコハルも結核で先立たれます。
その徳島では「変な外人」と気味悪がれ、スパイ呼ばわりされたり、
散歩中にトキのように石を投げられることもしばしばあったそうです。

徳島を愛した異邦人モラエス」(モラエスデジタル資料館)
「神は戦争起こす指導者の祈りを拒絶」、ローマ教皇が異例の発言〟(Reuters 3月30日)

ローマ教皇が「新約聖書」からではなく、
ユダヤ教の聖典でもある「旧約聖書」から引用したことに重い意味があると思います。
シオニストはユダヤ教徒とは言えないと思いますが。

 イザヤ書
 第一章

 15

あなたがたが手を伸(の)べるとき、
わたしは目をおおって、あなたがたを見ない。
たとい多くの祈(いのり)をささげても、わたしは聞かない。
あなたがたの手は血まみれである。

(『旧約聖書 1955年改訳』日本聖書協会 1969年)
今朝の父の一枚です(^^)/
池から遠いのですが、カルガモも花見にきていました(^_-)
桜の花を見ていると中心が赤くなりだしました。
サクラの花はだんだん中心が赤くなる」(植物Q&A)

 漂鳥の夏と冬 

 そのヒヨドリが、いつのまにか姿が見えなくなったのに気がついたのは、4月もなかばのことでした。
そして6月になって、友人たちと高尾山(たかおさん<東京都八王子市>)に行き、ヒヨドリと再会することができたのです。
 そうです。
夏は山の林、冬は平地の庭や公園にすむ漂鳥だということを自分目で確かめたのでした。
 それから10年ほど後のことです。
私はまだ大学生でした。
鳥好きの仲間の一人から、「うちの近くにヒヨドリの巣があるけど見にこないかい」と誘われました。
まさかヒヨドリが平地で繁殖するなんてと半信半疑で見に行ったものです。
そこは植木屋の苗木畑でした。
巣は、イヌツゲの地面から約2メートルの高さの枝につくってありました。
大きさは両手の親指と人差し指で輪をつくったぐらいの小さな巣です。
 巣は荷造り用の白いビニールひもや枯れ草でできています。
中には赤裸のひなが4羽いました。

 …つづく…

(『自然観察12ヵ月』海野和男編著 岩波ジュニア新書 1983年)